2008年5月29日木曜日

初めての外泊

4月にグループホームに入所した母が、帰ってきた。

我が家からグループホームに入ったのだから、外泊とは言わないのかもしれない。
グループホームの場合、あくまで現住所は自宅なのだ。

正確には昨年11月に自宅から我が家にきたので、母にとっての自宅は上越だろう。
勝手に連れられた来ただけだから。

田舎から我が家に来るときに、甥が運転してきた。
行かない、とわめき、高速道路を走っている間、あわやドアが開きそうになってヒヤリとした瞬間があった。約6時間、ずーっと、車からおろして、と言い続けていた。

甥は背中から母の言葉を浴びせ続けられていた。我が家についたとき、いや~すさまじかったですね~、と心底疲弊した声をだした。

そんな母だから、ガンコさは百も承知していた。

眠れないと興奮して幻聴がひどくなる。誰かが迎えにくる、となったら荷物をまとめて玄関で待つ。夜中に何度でも外に出て幻聴の相手としゃべる。夜中だから、家に入って待とう、とさとすと、地域のみなさ~ん、聞いてください、大声で何か言い出す。

だから、ホームに入る、と決まったとき、その日までは半信半疑だった。
自宅であった面談にはうまくパスした。
多少、ヘンなところはあっても結構しっかり受け答えができる。
入居の下見にはとうとう連れ出せなかった。私と甥だけが見にいった。

そして、入居日、その日はわりとスムーズに運んだ。

少し前、大好きな息子と孫のいる大阪に行き、そこで、おばあちゃんは多くの老人の中から選ばれて新しい老人マンションに入ることができたんだよ。費用もかからない無料なんだよ。今、通知がきたから入る、と承諾してもいいか、と弟の嫁さんが聞いたらしい。

そばで孫も、すごいね~ おばあちゃんが良いおばあちゃんだから選ばれたんだよ。と持ち上げて。
その洗脳が少し効いていたのか?

入居の日、部屋に入って、自分の名前がドアの前にあるのを確認した。
おばあちゃん、いいタンスだね。おばあちゃんの部屋は新しくていいね、と私が言ったとき、うん、と確かにうなづいたのだ。

しかし、それは本当にわかって、ではなかった。

何で、自分はこんなところに閉じ込められているのか、という思いが日増しに強くなり、職員に対して暴言を吐き、玄関が開くのを待って、隙あらば出ようとするようになった。

ホームでもかかりつけの医師はいるのだが、一度、認知症、あるいは精神科の専門医に診てもらって、とSOSが出され、昨日、医者に連れていった。

母の顔見知りのご近所さんが車を出してくれて迎えに行ったら、荷物を持ってころがるように出てきた。母の頭の中では私のところに1泊して、翌日、上越に貯金を下ろしに行く、というストーリーが出来上がっていたらしい。

だから医者に行って待っている間も、興奮して、こんなところにいられない、早く行こうよ、と繰り返していた。ご近所さんがいてくれなかったら、逃げ出されていただろう。待合室では、母のように数人がかりで来ている人たちが何組かいた。

もっとも興奮しているときに医師が診たのだから都合はよかった。安定剤と睡眠薬をもらい、1週間後に一度きてください。特に、際立っているということは医師がみて、なかったのだろう。認知症だから、しょうがないですね、薬は強いのでサジ加減が大事です、と念を押された。つまり、ふらついたりしたら3回を2回、1回に減らしなさい、とのこと。

その後、食事をしてホームに戻ったのだが、私のところに来るはずだったのに戻されたことが不満で、興奮の度が増していくのがわかった。久しぶりにドライブして刺激も受けたのだろう。もらった薬も昼食後飲ませたのに、効き目がない。

ホームは一人では出られない仕組みなっているが、外から人がくると、母の部屋の前が駐車場になっていて、丸見え。あの人は、今玄関から入ってくる、と素早く察知して、先回りして、玄関が開くのを待っている。それを静止する職員。最近はその頻度が多いという。昨日も見かねて私が外に連れ出した。そしたら、戻らなくなり、お泊りと相成った。

今日もう一度医者に連れて行って、ホームに帰そうと思ったが、爆酔していてどうにもならない。
数日寝てなかったところに、昨日は歩き回ったから疲れたのだろう。
今日も仕事を休んだ。明日はどうしても仕事だから、連れていくつもりだが、うまくいくかどうか、保障の限りではない。

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