2009年2月23日月曜日

コンサートの紹介

つながる歌 つながる舞 つながるいのち―戦争と女性の人権博物館建設のためのチャリティーコンサート

日時■2009年2月28日(土)18:00開演会場
■東京一ツ橋ホール(東京都千代田区一ツ橋2-6-2 日本教育会館3F) 
出演■趙寿玉(ちょうすおく/サルプリ舞い、その他)   ■李政美(いぢょんみ/歌)     ■安聖民(あんそんみん/パンソリ)主催■つながるコンサート東京実行委員会
このコンサートを教えてくれたKY生さんのブログ黙々と-part3
詳しい紹介が載っている。

李政美さんの歌は何回か聞いたことがある。CDも2枚持っている。
人柄も歌も柔らかでのびやか。
多くの熱狂的ファンがいるらしいが、KY生さんもその一人。

韓国の本格的舞を見るのは初めてでとても楽しみだ。
このブログでも紹介したいと思っていたが、今になってしまった。
もう、席は完売とのことで、見ようと思っていた人、いる人には
残念な知らせ。


もう一つ、コンサートのお知らせ。

こちらはウクライナの民族楽器・バンドゥーラの弾き語りで人々を魅了している ナターシャグジーのコンサート。
ナターシャ・グジー公式ホームページ

★来日10周年記念コンサート ナターシャ・グジー
~伝えたい想い~ こころに響く歌声とバンドゥーラの音色にのせて
2月26日(木) 東京都台東区東京文化会館 小ホール
主催 東京労音

ところで知人のブログでナターシャ・グジーのことを紹介している。

 ブログプロフィール;
<家族九名の『九条の会・きゅう』です。憲法九条への思いを表したくてつい【九・きゅう】のつくものコレクションをはじめてしまいました>
9★Collection
で、何でナターシャかというと、CDが9枚になったので取り上げたというわけだ。

いろんな9のつくモノ、9のつくコトを探しては、ブログに取り上げている。

平和、いのちに関したものが多いのは必然だ。

そのコレクションが376にもなっている。その内容は圧巻!

順番が後になったが、「黙々と」のプロフィールには<デモと映画と卓球と本と旅と音楽と友と花と旨いもん> と載っている。

どちらも見やすくきれいなブログで感心至極。

2009年2月22日日曜日

チューリップのプレゼントが届いた


写真は娘の結婚式の翌日、届いたチューリップの鉢植え。

式は神社で厳かに執り行われたが、いわゆる披露宴はしなかった。
だから、両親への花束贈呈の代わりみたい。

思いもかけないプレゼントでうれしかった。

ちゃんと手紙もついていた。


ところで、今日は娘の式の様子ではなく・・・
私たち親の根性物語を披露。

夫つまり花嫁の父は近年とみにお腹がでてきた。
持病もあり、あまり太ってはいけないのだが、散歩にカロリー制限に涙ぐましい、ではなく、そこそこの努力をしているがなかなかやせず、おかしいな、と体重計に乗っては常に首を傾げている日々。

式には正装でなくともよい、と、両家で暗黙の了解だったが、黒の礼服を着る、という。
若いころ買った1着しかない礼服。サイズがまったくあわない。

ズボンは直してもらったがそれでも入らない。

仕方ない、買うか、とデパートなど物色したようだが、かなり高いことに気がついた。
いまどきだから安いのからいろいろあるのだが、この年になってあまり安いのは着たくないという。

娘にみっともない思いはさせたくないという親心?

しょうがない、ズボンは他の黒いので間に合わせることにし、上着のボタンがはまるまでやせることを決意。

あるとき、何だかあまり食べないことに気がつき、食べないようにしているの?
と聞いたら、「うん」との答え。

甲斐あって見事、式前日には4キロ減。
上着のボタンがはまった。

いや~、お金と愛情がからむと強いものだ。
そのまま、キープすれば大したものだが、辛かったからもういいんだと、体重は元に戻りつつある。

そして、花嫁の母は、ハナから着物、と決めていた。
洋服も着物も最近買ったことがない。

私に限らず、どの家にもたいがい着物の数枚はある。
タンスの肥やしになっているままではあまりに着物がかわいそうだ。

いまどきの洋服を買うとなるとそれなりの金額を出さないとならないだろう。

その点、着物はよい。
何年経っても、形そのものに流行などない。
年齢に不足はなし。着物もそれなりに似合うに違いない、と自己判断。
幸いご近所に着せてくれる人がいる。
当日、朝7時には我が家にきてくれた。

そんな人がいなかったら、着物など着る気も起きなかったに違いない。
帯はきついかも知れないけど、これぐらいがいいですよ、と言われ、きついとは言いだせず、大丈夫です、とつい言ってしまって、後でちょっと後悔。
しかし、やせ我慢もときには必要。

着付け終了。
雨の中、電車に乗って、階段を歩いたりできるのか?
不安もあったが、根性で歩いた。
食べるのは少し苦しかったが、食事も食べた。
帰宅までまったく着くずれしなかった。

というわけで、めずらしく親が根性を出した1日だったのである。

そうそう後日談がある。

娘が写真を持っておばあちゃんのところに見せに行った。
「この端に写っているおばあちゃんは誰?」
「お母さんだよ。アナタの娘」
着物を着ると、誰でもよく言えば落ち着いて見えるが老けて見えるのもたしか。
母はしっかりしている。

2009年2月20日金曜日

富士山と河津桜





見事な写真が送られてきた。

撮ったのは神奈川に住むNさん。

うまい!

撮影がうまいという意味だが、思わず食べたくなるような
富士山だ。

美しくてうまそー。


2009年2月18日水曜日

チェルノブイリは今

例年のことながら、4月26日前後に救援イベントを行う。
今年も早、その時期になった。

世の中は、チェルノブイリのことなど忘れたかのようだ。

100年来の経済危機?

まるで天変地異のごとくそれ一色。

それに加えて日本は内閣が崩壊するかしないか。

大変な事態である。

23年も前の原発事故のことなど思いだすどころではない。

しかし、今も汚染地に住む人々がいる。

日々、内部被曝し続けている人々がいる。

事故のときの子どもが大人になり、大人のガンが増えている。

次世代の子どもが病気になっている。

ウクライナだけで250万人の被災者がおり、そのうち28万人は
事故処理作業者で55万人が子どもたちだ。(2008年ウクライナ政府発表)

ロシア、ベラルーシ、ウクライナ合わせて700万人ぐらいの人々が
被災者あるいは汚染地域の住民ということになっている。

京大原子炉研究所の今中哲二さんらが事故20年目の2006年に
発表した報告に詳しい。

しかし、「汚染地域の住民数」と「チェルノブイリ事故被害者数(事故放射能の影響を受けた地域に住んでいたか住んでいる住民数)」の違いがよくわからない。

こちらの報告を読めばわかる人はわかるのだろう?

いずれにしろ、2年前と今と数字的にはあまり変わってないようだ。

細かなところは誰もわからない、というのが真相かもしれない。

2009年2月10日火曜日

「美しき天然」の歌

昨年の9月ごろだったか。
母のグループホームでKさん(男性)が歌を歌っていた。
その歌、知ってる知ってる、小学校で習いましたよ。とS(女)さんが。

声を合わせて歌い出した。
メロディーもどこかで聞いたことがあるな、とボーッと聞いていたが
「美しき天然」というのよ、Sさんの言葉が頭に残っていた。

ちょっと変わった題名だな、とそのとき感じた。

その後、新聞のコラムで歌手の沢田研二さんがその歌について書いていてその切り抜きをとっておいた。

この歌は明治33年ごろに作られたらしいが、沢田研二は木下サーカスで流れていた曲として知っていたのだった。
曲に美しい詩がついていたのを知ったのは小学校3年のときに、先生がオルガンを弾きながら歌ってくれたときだそうだ。

ずっとその切り抜きを持ち歩いていたのだが、なんだかその機会がなく日曜日に母のところに行ったとき、やっと職員の方に見せた。

普段歌うのを聞いたことがないTさんが、知ってます、と歌い出した。
Tさんは母のお仲間では最高年で89歳。

私はオンチで有名でした、と言いながら、ほぼ歌詞を覚えていた。

私たちのころは歌が少なかったから、ほとんどの人が知っているはずですよ。とも言われた。
件のSさんも交えて、何人かで合唱になった。

昔の歌というのは体に沁み込んでいるのか?
好きな日本の歌はと聞かれたらこの歌ははずせない、と沢田研二さんが述べているように「よい曲」だからなのだろうか?

検索したら歌詞が出ていた。歌も聴くことができる。

美しき天然

youtubeでは田谷力三が歌っている画像も見ることができる。

おばあちゃんたちに見せてあげたいものだ。

2009年2月2日月曜日

粕汁

あっという間に2月。

30日に娘の結婚式があった。

娘の友達のブログにこんなことが載っていた。
晴レとケ「今年の初めでたい」

浅草神社での式の様子などはこの次に書くとして。
昨日の日曜日は母のところへ行ってきた。

前日、つけな(漬け菜)を煮た。
野沢菜(田舎ではつけなと総称)のしょっぱいのを姉が送ってきたのだが、 ちょっとやそっとでは塩が抜けない。

そうだ、昔、酒粕けを加えて母が煮ていたな~
と思いだして、酒粕をスーパーから買ってきて、つけなと大根・里芋・人参・ キノコ・ネギなどある野菜何でもいれて、ぐつぐつと煮込んだ。
煮えた野菜の中に粕を入れてさら煮込んで出来上がり。
味はつけなの塩味のみ。

連れも息子も、実は粕や麹の味付けが好きではない。
しかし、珍しかったのか2人ともそれなりに食べた。
正確に言うと具だくさんの汁物だから、食べて飲んだ。

というかほかに大したおかずもなかったから
それを食すしかなかったか・・・

昨日は母のお昼に合わせて、粕汁を瓶に詰めたのを持参した。

案の定、母は寝ている。
起きないんですよ、と職員の方。
ほんとにいつ行っても大体熟睡している。

しょうがないから母の仲間の人と世間話をして時間を稼いだ。
外から入っていくと汗が出るぐらい暑い。

それなのに母はしこたま着込んだままベッドに入っている。
寝るときは1枚脱いで寝てね、といつも言うのだが。

職員の人に言わせると、ご本人は寒いとおっしゃるので、と。
そういう意思は尊重しないで脱がしてくれるといいのだが・・・
無理やりやるわけにもいかないのだろう。

洋服をたくさん着てふとんに入ると熱がこもって体温が上がる。
田舎にいたときも、たくさん着こんで寝ていた。
その上、電気毛布も使っていたからよく熱を出していた。

今は、電気毛布やアンカなど使ってないのでまだましかもしれない。

配膳のころになって、ようやく起きた。
私も隣に座らせてもらう。

持参の箸で一緒につまむ。

おばが特養に入っていたころ、食事は寝たきりの人も、寝たまま座れる椅子に座らせて食道で職員の方が食べさせていた。
お連れ合いらしい人が通って食べさせている人もいた。

母のところはそんなに重症の人はいないのでみんな一人で食べられる。

全体のカロリーは1日1500kcalぐらい。
いつも結構な品数と量だ。

職員の方も一緒に食べているが若い人は足りないだろう。
でも母のように寝てだけいる人には十分な量。
きらいなものは食べなくとも残してもいいと思っているが
そうはいかないか?
それぞれに声掛けをして食べた量を最後にチェックする。

母は自分がきらいなものとかは私に食べろ、と勧める。
大体が揚げ物など好きではない。

また、変ったものにも手を出さない。
昨日はデザートに出た桃の缶詰をカブの煮物と思ったか。
いきなり手を出して一口食べて確かめて
ごはんの上にのせて食べた。お口にあったのだ。

そろっと粕汁を出してみた。ちょっと野菜をつまんだ。
汁も少し飲ませた。
おいしくない、とはっきり言った。
そのあと、箸をつけなかった。

もうしばらく食べてないから、まったく異質な味と思ったのか。
しょっぱかったから受け付けなかったのか。

しょうがないから自分で食べた。
そんなにうまくはないが、この味はなつかしいだろう、と思ったのも
勝手な思いに過ぎなかった・・・

そう言えば、酒粕もなんだが薄味だった。
粕は、もっと酒臭い濃厚な味だと思ったが・・・

人の記憶が変わるのかも知れない。