2008年11月29日土曜日

上野水上音楽堂で六ヶ所村再処理反対イベント

明日、30日、六ヶ所村再処理工場稼働に反対する首都圏市民たちが
集まってイベントを行う。

昨年も参加したが、今年もチェルノブイリ救援カレンダーを売ったり
ライブを楽しんだり、パレードにも参加したいと思う。

昨日の大雨がウソのように、関東は晴れている。
明日も晴れに違いない。

以下、実行委員からのメールを転載。

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東京・上野で11月30日に「反再処理集会」

NO NUKES MORE HEARTS 長年首都圏で反核や反再処理工場の活動を
してきた方々とワカモノたちが一緒になり、 昨年11月よりサイトを立ち上げ、
イベントを開催してきました。 4回目となる11月30日には上野水上音楽堂にて
入場料Freeイベントを開催いたします。


再処理工場は15回目の延期が報道されました。

デーリー東北

東奥日報

昨年につづき、今年は1月、7月、そして全国で集会やデモパレードなど、 一般
市民の手で、 各地で再処理工場に反対するイベントが展開されてきました。
また、市民の手で青森、岩手、東京と意見広告が出されました。

いつまでも、おいしい青森の魚や野菜やお米を食べて暮らして生きていきたい!

今回はタイトルにもあるように 秋の収穫祭ということで、フードブースやワーク
ショップブースも用意し、どなたにも気軽に来て楽しんでいただきながら、
真剣に伝えて持続可能なエネルギー循環社会を考えていくきっかけとなる
ようなトークやライブを企画準備しています。

56基目の原発建設計画で今まさに揺れている 山口県祝島の写真展なども開催致します。

今まで賛同いただきましたアーティストの方々と、さらなるつながりと展開を期待
するアーティストや 青森現地からもゲストをお呼びします。
当日起こしいただけない坂本龍一さん、辰巳芳子さんたちからはメッセージを頂きました。

フライヤー表:
フライヤー裏:
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明日予定のない人、参加のご検討を。

2008年11月27日木曜日

おだやかな1日



商店街の入り口の銀杏。
私の住むニュータウンには銀杏が多い。
その銀杏も葉っぱが落ちてきて、今、ニュータウン内の木々からは落ち葉がとめどもなく出てくる。
つい先日まではギンナンを拾っている人をよく見かけた。
私もろくに食べもしないのに落ちている実はつい拾いたくなり、少し拾った。実が小さいのを拾ったので2粒ほど食べたがあまりおいしくはなかった。
わが商店街は入居当時からあまり人が入ってなかった。
今では立派なシャッター商店街になっている。
人口の少ない田舎と違って、3300所帯もあるのになぜか?
この商店街はニュータウン計画のもとに作られていて、同じ間取りの店舗が並んでいる。
パチンコ屋などは1軒もない(計画にはなかったに違いない)。ファストフードの店もなかったが、近年、あまりに活気のない商店街に何とかしなければと思ったのか、マックがオープンした。でもそのマックも何ともお上品なおとなしい感じの店舗である。
しょせんはお仕着せの商店街では魅力がないのも当然か。
自然発生的にできた商店街だったらこんなに淋しい結果にはならなかったのでは?
と思うのは私だけ。
いやいや、今日は母との1日を書くつもりだった。
医者に連れて行き(ご近所さん同行)、友達がやっているカフェでランチを食べ、来月に開くバザーの印刷をして、結構な1日を過ごした。
母を医者へ連れ出すときは、寒いから嫌だとベッドから出ようとしなかったが、時間をかけて何とか連れ出した。医者の帰り、母もランチを食べたのだが、完食! 
友達は喜んでいた。
薄味で季節の野菜の味がしっかりとしておいしかった。
使われていた野菜のほとんどは自家栽培とか。
デザートはブルーベリーのゼリー。コーヒーもついて600円とは安い。
生活クラブ生協のクラブルームに日替わりで、作る人も交代でいろいろなメニューがある。
友達は雑穀米に野菜を中心としたメニュー。水曜日が彼女の日だ。
パンの日もあり、それは別の日。

2008年11月24日月曜日

晩秋の風景









晩秋の風景と題した写真が届いた。

いつもお連れ合いと2人、朝、散歩を楽しんでいる友人が散歩道に咲いている草花を撮って送ってくれる。

そろそろ花も終わりかけ、というメールが先日届いてから、さらに何枚も届いた。

花だけ際立たせる撮り方は、きっと普通でないなにかをカメラに? 施すのだと思うが、聞いてもわからないので聞かない。

とにかくほっとするような花が届く。名前は知らないけど花は知っている、というのもある。
まったく知らない花もある。

上から「小菊」「南京黄櫨」「石蕗」「皇帝ダリア」「烏瓜」

何歳ですか?

今日はあいにくの雨で肌寒いが、先週の月曜日はおだやかな日だった。
午前中、母のところに行ったとき、ちょうど散歩を、という時間になり眠っていた母を
無理やり起こして、一緒に散歩した。
母を含めて比較的足取りもしっかりしている女性ばかり4人。

職員の方と近くの神社まで歩いた。途中、畑があり、菊の花が満開。
香りも最高で3人のお仲間は見事さに歓声をあげていた。

母一人、ただ無心に歩いていた。
ベンチに座っても落ち着かず、早く帰ろうと言う。

もう少し座って休もうと言われて、仕方なく座っていた。
それでも拒否しないだけましだ。

腕をつないでまたゆっくりと施設に戻った。

きのう行ったときは、ベッドに入っていたが珍しく眼はあいていた。

相変わらず、言葉はないが、爪を切るよ、というとこっくんとうなずく。
ダメなときは首を振る。
3時のおやつの時間だったのでみんなのいるテーブルに連れて行った。

お茶をのみお煎餅を食べて、みんなの話は聞こえてはいないが結構長い時間座っていた。

母とはほとんど会話はないが、同じテーブルの2人とよもやま話に花が咲く・・・

行くたびにお母さん何歳ですか? と聞かれる。
今、86歳ですよ。
じゃ私は何歳?
あなたは母より2歳上の88歳でしょ。
あなたは何年生まれだから82歳ですね。
一番若いですね。

同じ会話を毎回する。

だから、話のネタに困ることはない。

2008年11月20日木曜日

老齢年金

母のことではない。
自分自身のことだ。

今日初めて自分のことで地域の社会保険事務所に行った。
入口で案内されて用紙をもらって年金給付の請求書を書くように言われた。
そこでまず、給付の種類があり、(老齢、障害、遺族の)3項目のどれかに丸をつけるようになっている。

ん? 障害でも遺族でもなければ、老齢しかない。

厚生年金と一口に呼んでいるが、老齢厚生年金なんだ、と当り前のことが、何だかショックだった。

昨年、めでたくもない60歳になった。年金の一部をもらえると言われていたが、何も通知がこない。

自分から言わない限りはもらえないのよ。とご近所さん。
連れはもう年金世代だが、どうだったかな? 忘れたという。

金額が少ないとわかっていたから手続きに積極的になれなかった。

若いころ、一時金というのをもらって厚生年金は一度脱退している。
結婚後、国民年金に入り、また厚生年金のある企業に勤めたのは2年足らず。

その後は、元祖フリーター(?)として、パート、アルバイト、自宅作業の仕事などをしてきた。
その間、連れの配偶者として国民年金に入っていた。

事務所は空いていて、事前に必要なものを調べて用意もしていったこともあり、案外と簡単に済んだ。

手続きが終わったのち、係りの人がどのぐらいもらえるか知っているか?と聞いてきた。

いいえ、少ないだろうとは思うけど、と私。

では、調べてきましょうと奥に行って内訳書を打ち出してきた。

それによると、60~61歳までは25600円。月額ではない、年額だ。
61~65歳までは年額6万円弱。
65歳以上で初めて満額をもらえる。連れの分からの振り替え加算額というのがあって、それも足して年額72万円ほど。

かけた額に比例するのだから文句も言えない。
もらえるだけでもありがたいが、内訳書の下欄には「実際の年金額はこの試算結果と異なることがあります」と書かれている。

そしてまだ我々の年代ではこのぐらいの年齢でもらえるが、70歳にならないともらえなくなる人たちが出てくる。

早く年をとったほうが得?

もらえる年齢はさらにもっとあがる可能性もあり、先行きはまったく不透明だ。

2008年11月13日木曜日

チェルノブイリ救援バザー危うし?

恒例のチェルノブイリ救援バザー。

11月中ごろに開くのがここ数年のこと。
今年も中旬の土日で会場を抑えようとしたのだが、あいにくとふさがっていた。

その次に選んだのが12月の初めの土曜日。

もうこれでしょうがないか、と決めたとたんに、実はその日も会場がふさがっていたのを見逃していました、と施設側から連絡が入った。

二転三転の末、12月7日(日)に決まった。

ところが、わがグループの若手2人にアクシデントが起きた。

一人は散歩中に足の小指を骨折。
埋立地によくあることだが、道路の下の草や木の根がときどき地上にまで影響を及ぼす。
無理やり閉じ込めて埋め立てて家を建てたり道路を造ったりしたわけで、本来の居住権(?)は彼ら植物にある。逆襲されても仕方ない面もあると思ったりもするが・・・

友達は道路が下からの逆襲により、うねっていた所につまづいた、ということらしい。
小指と言えど、家の中でもギプスをはめて松葉杖で動いていた。
全治3週間とかで、何とか7日までは治りそうでホッとした。

もう一人の若手はゴルフの練習所で隣の人が打ったクラブが頭にあたった? 
これは結構大変。
事実すぐにタンコブができて、病院に。
検査の結果、打たれたところは何でもない。
しかし、何かできているらしい、と。

さらに詳しい検査の結果、できていた嚢胞は今のところすぐに手術とかの心配はない、との診断。
でも慎重に経過を見守る必要はある。

とりあえず、7日は手伝える、ということになり、こちらもホッとした。

高齢化の著しいわがグループ。
気をつけよう、と言ったところで嚢胞などは予防のしようもないらしい。

みつからないだけで誰でも持っている可能性もあるとか。
だからと言ってまったく安全なもの、というわけでもないから困ったものだ。

とりあえず、バザーは12月7日に開く。
地域内に告知するのはまだこれからだが、都内の知人からすでにバザーに、と提供品が届いた。
ありがたい限りだ。
提供する人がいて買う人がいる。これでバザーは成り立っている。

まだまだ先だが主催者としても、バザー、楽しみにしている。

2008年11月10日月曜日

母と散歩に

昨日の日曜日は、ご近所さんが近くの直売センターに野菜を買いに行くから一緒にどう?と誘われた。
行く時、母のところにも寄ってくれた。

車だから、ちょっとぐらいの寄り道は簡単だ。

ちょうどお昼時にぶつかり、母も席に座っていた。
席替えがあったらしく、今までは長いテーブルにしてみんな一緒に座っていたのが、ちょうどよく女性2人に男性1人という具合に、3テーブルにわかれていた。

自分のテーブルの前には名前が貼ってあるのだが、一生懸命剥がしている男性がいて、そばの女性が貼り直してあげたりしていた。

母は、私に「腰かけたら」と珍しく口をきいた。最近はほとんどしゃべらない。
しかし、すぐに食事が運ばれてきたので、また来るからね、と早々にして出てきた。


今日は午前中時間があったため、昨日の分もと、10時の時間に合わせて自転車で出かけた。
みんなテーブルについてお茶を飲んでいるのに、母だけ自室できのう持っていったお煎餅を食べていた。

みんなのところに行こうか、と促したが、
「白い靴を履いた男の人が何人も次から次に来るから行かない」

男性は3人だけなのだが。
どうやら席替えになり、自分の周りは女性だけだったのが目の前に大きな体格の男性が1人見えるようになったため、怖いと感じているらしい。
目の前の男性はいたっておだやかな人だ。
いつも紙と鉛筆を持って字を書いている。ときに歌も出る。

母は田舎でディサービスに行っているときも、男の人がいるから行かない、とか、よく言っていた。
夫(つまり私の父)から暴力を受けていたころのことを思い出すのだろうか?

私の妹夫婦と暮らしていたが、妹の連れ合いのことをひどく嫌っていた。
それも男だったからかも知れない。

ま、そんなわけで部屋で煎餅を食べ、持って行ったリンゴを食べてやや落ち着いたところで散歩に連れ出してみた。

以前なら嫌だ、というところだが、今はおとなしい。
施設の周りを1周してベンチに腰かけて一休み。
そのあと、テーブルのところに連れていったら、おとなしく今度は座った。

目の前の男性は相変わらず、文字を書いていたが、あまり気にしていなかった。

お昼だから帰るね、と言うと、「食べていけばいいのに」と。

きょうは3つほどしごくまっとうにしゃべった。

2008年11月9日日曜日

筑紫哲也さんに献花


筑紫さんが亡くなった。

昨夜は鳥越さんの話しを聞き、今日は偶然ラジオで大橋巨泉さん、久米宏さんの話を聞いた。

業界人にも愛されて尊敬されていた筑紫さんだったんだな、としみじみ思いながら聞いていた。


ご冥福をお祈りします。

*写真は、知人が毎朝の散歩道などで撮って、ときどきメールで送ってくれるものの中から選んだ。
左から「風船蔓」「お辞儀草」「サボテン」撮影日は10月初め。最近とどいたばかり。

2008年11月3日月曜日

お風呂上りの時間だった

今日、母のところに行ったら、ちょうど午後の入浴中。

職員のかたには、あいにく・・・と言われたがこれ幸いとタンスの中を調べる。

以前は、母の前でタンスの中を調べたりしていると、何しているの! と怒られた。 かまうな、何も持って行くな、と言われる。

もっとも今は、薬のせいか、ほとんどボーッとしているのであまり怒りの声もださない、というかほとんど会話がない。

入浴後、お茶の時間になり、一緒にお茶をいただいた。
飲むのには飲むのだが、お茶を口に運ぼうとした手が、口の一歩手前で止まったままになっている。

はい、お茶飲んでいいよ、と促してやっと飲みだす、という具合だ。

統合失調症の人が飲むのと同じ薬らしいが、1日1錠でもとてもよく効いている、
としか思えない。

私の家にいたとき、薬は飲まない、と言ったらガンとして飲まなかった。

グループホームで薬を飲みだした直後は、おかずに混ぜたり、ヤクルトと一緒に飲ませたり、職員の方がとても苦労していた・・・ 。今はなんなく飲ませることができているらしい。

お医者さんは効いているときは半錠でもいいし、飲まない日があってもいいんですよ、サジ加減が大事です、と言われた。そしてそれも伝えてある。

いえ、飲ませたほうが落ち着いて、ご本人にもよいと思います、と減らす気持ちはホーム側ではないらしい。

それは安定していたほうが何かと都合がよいだろうが自発的な意思まで奪っていいのだろうか、
ホームに委託している身としては複雑の思いだ。

27日のホームの会議のあと、1日、今日と続けて母のところを訪問。つべこべ言う前に、 また前のように通ってみようと思っている今日この頃である。

新人(女性)が続けて入所。これで9人の定員が揃った。