2008年5月12日月曜日

母の日

母の日だからとわざわざ選んで出かけたわけではない。

土曜日は4月のチェルノブイリイベントの最後の実行委員会と打ち上げがあった。
(雨の中、何人かの人たちが参加してくれた。これはまた後で書きたい)

それで日曜になっただけである。
でもせっかく母の日なんだからとカーネーションを買って、姉が母にと送ってきた洋服を持って、でかけた。今、都内で暮らしている娘も後からくる、と連絡があった。

母と一緒に部屋でお昼を食べようかと思ってあらかじめ電話をした。

「はいはい、お部屋に運んでおきますね」、とスタッフの方は言われたのだが着いたらすでに食べていた。

「すみません、12時少し前に食べ始めるので」
ちっともかまわない。

どこもそうらしいが、グループホームは9人が1つのグループになっている。
反対側のフロアにもう1グループあり、合計18人が入っているが9人ずつそれぞれ一緒のテーブルで食事をする。

気をちらしても悪いので食事中の母には声をかけずにソファーに座ってテレビを見ていた。

機嫌が悪いとき、黙って母の部屋に入ると、怒る。
ふとんの中に大事なバッグが隠してある。お金を取られる、と思っている。
で、部屋に先に入らずに食事が終るのを待った。

母は耳が遠いので私がスタッフとあいさつをしていても気がつかない。
ほかの入居者は気がついた人もいたが、あまり興味をを示すわけでもなく、みんなは黙々と食べていた。

母の日だから今日は訪問者が多いかとおもいきや、意外と誰もいない。食事どきという時間のせいかもしれない。ソファーに座って、大画面でNHKのど自慢を見ていた。

食事が終わりトイレに行ってきたのを見てから、私はやっと声をかけた。

おだやかな顔だった。この前行ったとき、いきなり**ちゃんをいじめないでね、と私に怖い顔でにらみつけた。いじめてないよと私。この会話は何度したことだろう?

一番大事な孫のことを常に気にかけている。いじめないで、と言って、さらに私が持っていった、初夏用の着替えを見て、こんなに洋服を持ってきてどうするの? となじった。ここにいつまでもいられないでしょう? とも。
その日、私はそうそうに帰った。

でも、きょうは、洋服をタンスにしまっておくね、と言っても嫌がらなかった。
大体食事はよく食べるほうだが、今日はおかずをたくさん残していた。
私が持っていった、ミニトマトは部屋に戻ってから食べたのだが、口をゆすいでいたと思ったらすぐベッドに入った。
そうか、今日は眠たいモードなのだ。

娘もカーネーションが入った小さな花束を買ってきた。娘が声をかけたら、ちょっと嬉しそうにして花も認めたようだった。花を娘と飾っているうちに母はもういびきをかいて眠ってしまった。

新潟の自分の家にいるとき、ディーサービスに行かない日は、共稼ぎの妹夫婦は留守で1人で寝ていた。認知症が進んでからは、1人で外に出られないように戸締りされていたので寝るしかないとも言えた。
その結果、昼間寝て、夜は眠れないというパターンに陥ったりしていた。

我が家に来ても同じだった。昼間散歩に誘ってもほとんど出かけるのを嫌がってベッドにいるときが多かった。

ホームだったらある程度、リズムのある生活になるかも、と思ったがそう変わらない生活のようだ。何しろガンコだし、子どもではないのでしょうがないのかな。

100日も眠ってないんだよ、という数日とよく眠る数日と交互に繰り返しながらの日々は続くのだろう。

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