今回、いつにも増してバザーが熱気を帯びたのは品物の質が高かった、せいもある。以前にも、仲間の親族が急死されて、遺された貴金属類が提供された。そのときもかなりの募金ができた。今回は食器が多く出て、ここ数年では一番の売り上げだった。
お連れ合いがなくなり、処分に困っているところに、バザーのチラシが入った。昨年の募金高や寄付先が明記してある。少しでも役に立つなら。自宅も片付くし、一石二鳥と思ったのではないか?
提供したい、見に来てほしいと連絡があった。
仲間2人がその方の自宅に行き、3時間ほど費やして品物をよりわけ、運んだ。
何でも、亡くなった方は料理の得意な方で、好きで集めた食器がたくさん。しかも桐の箱に入ったままのものなど、かなり高価そうな食器群だった。「そうな」と書いたのは私自身はブランドものや名器を見る目をまったくもちあわせていないからだ。
洋服類は当節あまり売れない。安ければ売れるが高くてはだめだ。一番提供されるのは洋服なので山と届いた洋服をさばくためには、100円が主流になっている。
そこへいくと、食器はサイズもないし、どこの家でも使うものだから、いいものなら少々高くても売れる。
毎日使っていると飽きるから、この際にと、バザーで買って自分の家のはバザーに出す、というふうにうまくリサイクルしている人もいる。
実は私自身そうしたいと思っているが、出すのをより分けて、きれいに洗っておく、ということができない。それなのに毎回いくつか買って増える一方だ。次回こそ、きちんと出したいと願っているが。
そうそう、もう一つ、宝石類もあった。宝石と言っても何百万円もするものではないが、1万円の指輪が2つも売れた。
やはり、亡くなられた母親のものを出してくれた人がいたためだ。
バザーで1万円というのは貴金属をおいてない。1万円と値段をつけるにあたっては鑑定もしてもらった。元の値段は10倍~20倍のものだ。
食器を出された方はバザー会場にも見えられた。どんなふうに売られているのか、気になったのだろう。提供してくれたお礼を言ったら、いや、こちらこそ片付けてもらって助かりました、とお礼を言われた。ついでに、「何かほしいものはありませんか? 男性の品物もありますよ」との言葉に苦笑いしながら早々に帰られた。
オールドタウン化した我が街は、これからこんな事情が増えるのだろうか?
売る側の高齢化と相まって、提供品が増えても対応がどこまでできるか?
だんだん不透明なこの先である。
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