2008年5月8日木曜日

脚本家と認知症の母

荒唐無稽なお芝居の話しの続き。

荒唐無稽という言葉は私が言っているのではない。チラシに書いてあったのだ。
たとえば、老婆に拳銃で打たれた人々が生き返るシーンがあった。

これってうちの母が常に言っていることと同じ?

母は昔のことはともかく最近になって死んだ人のことはよくわからない。
だれだれの母親が死んだ、とか、親戚のだれだれが死んだとか、話して聞かせて、わかったのかなと思っていても、あの人は生き返ったんだって、だれだれのお母さんも生き返ったんだって、近ごろ、生き返るのが流行っているみたいだよ、とあっけらかんと言う。

母が一番愛している末っ子の息子(つまり私の弟)の子どものことを、おうおうにして、たった一人の孫、などと言う。

私たち姉妹3人にはそれぞれ子どもがいる。うちの2人の子どもを含めた母の5人の孫は全部母と姓が違う。弟の家族だけが母と同じ姓だ。だからたった一人の孫、というのもまったく間違いとも言えない。

そのかわいい孫がいじめられる、誰か助けて~ と時々夢か妄想かによって叫ぶ。

孫を心配するあまりこんな表現も使う。

***に川に沈められて3日3晩何も食べさせられていない。足をポキポキ折られているんだよ。

そうそう簡単にカニではあるまいし、足をポキポキ折られるわけがないだろう!


芝居の荒唐無稽の場面はたいがい夢か現か、といった設定だ。

脚本家の頭の構造と認知症の母と似通っている点があるのでは? 

芝居を見ながらぼんやり思っていた。

実際、母の世話をしばらくみた私の連れは、すごいな、おばあちゃんの話は本になるね、とよく言っていた。妄想によって、独り言が続くとき、もうその話しは聞いたから今度は違う話をして、とリクエストをしたりしていた。

もちろん母はその意味は理解していない。

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