2008年9月22日月曜日

看板に偽りあり?

チェルノブイリ救援活動のことを中心に母との日々を書くつもりで始めたこのブログ。
4月の救援イベントの際、1枚でもチケットを売ることに、つながれば、という狙いもあって始めたのだった。

「みえない雲上映会&池田香代子講演会」は成功のうちに終わることができ、ひとまずほっとしたら、
結局そのまま救援活動の日々(を書くこと)は後退したままとなった。

救援活動は停滞していたわけではなく、その証拠に(?)、チェルノブイリ子ども基金の「事務局だより」も8月から始めた。こちらはスタッフ交替で、週2回ぐらいの割できっちり更新している。
http://blog.goo.ne.jp/cherno1986jimukyoku/

そちらを読んでもらえばわかるのだが、来年のカレンダー制作と年4回発行の「基金ニュース」の編集が重なり、結構忙しい。

でも、モノを作っていく過程というのは大変だけれど楽しい。
ほかの人の助けも借りての協同作業。

ニュース編集は山場を超えた。
後はカレンダーだ。


ところで、昨日は久しぶりに会う娘と母のところで待ち合わせをした。
たまには外食に連れ出そうと前日に考えつき、ご近所を誘い、断られ、誰かいないかな、と思い出したのが娘だ。つまり孫なのだ。何かと忙しい娘はどうせ空いてないだろうが、と声をかけたら空いていた。

娘がおばあちゃんのところに行くのは2か月ぶりぐらいか?
でも、顔を見るなり、**ちゃん、ずいぶん背が伸びたね、とすぐにわかった。もう背が伸びる年ではないのだが・・・ しばらく会わなかったのでそう思ったのだろう。

私だとぶっちょう面をしているのだが、孫の顔を見るのはうれしいらしい。

お昼もみんなきれいに食べた。

雨が降ってきたので近所の人が車を出してくれた。
送迎つきで、レストランから母の部屋に戻り、しばらくゆっくりして帰ってきた。

もう帰るの?と娘に。私には、お前も帰るのか?
今度いつ来るの?

おどろき! 初めての言葉だった。
この日は「○○ちゃんをいじめないで」という言葉も出なかった。

2008年9月14日日曜日

「12人の怒れる男」を見た

我が家は連れが日経新聞をとっている。
あまりおもしろくもない新聞だが、映画批評欄はなかなかのものだ、とかねてから思っている。

1,2週間前にみた映画評に5つ星のマークがついていた。

これはあまりない。
大きな紙面にとりあげるのだから悪いのはもちろん載せない。
大体が4つだ。

前にA新聞の批評を読んで見に行ったら、すごくおもしろくない映画だったことがある。
それ以来、額面通りには受け取らないことにしている。書く人もいろいろ事情もあるのだろう。

しかし、日経に載ったので、はずれたことはない。と、書くと映画通のようだがまったく違う。

田舎には映画館はなかった。
子どものころ、父親に背負われて公民館でやっていた映画を見た記憶がある。
中村錦之助のチャンバラとかだった。
何で背負われていたかというと、小学生以下は無料だったのでそう見せるためだった?
たぶん、どんな映画を見たか覚えているので小学生の1,2年のころだと思う。

そのほかは学校の体育館で映画を見た。
「にあんちゃん」「荷車の歌」など文部省推薦のまじめな映画だった。
小中学校のときは学校で映画の話題もなかった。

高校のとき、ウェストサイドストーリーを従兄の大学生が連れて行ってくれた。
夏休みで母の実家があった長岡へ遊びに行っていた。

母の実家は庄屋もやった古い家だったが、母の兄が農業技術員で転勤が多く田舎の古い家は処分して長岡に住んでいた。

だから、母が家というときにまず、田舎の生家を思い、長岡の家を思い、そのあと、婚家(私たちと住んだ家)を思い、妹と暮らした上越の家を思う。

この埼玉の次女(私だ)の家の近くのグループホームにいることが、腑に落ちなくとも尤もな話だ。

話を映画に戻すと、高校までの映画歴はそんなものだ。

映画館のたくさんある大都会に住むようになっても数えるほどしか映画は見ていない。

近年、やっと自由な時間を手に入れ、映画を楽しめるようになった。

シニアになったら何でも1000円で見られるなんて、とシニアになるのが待ち遠しくてならなかったが、なんてことはない。1000円になっても時間がないとみられないのだ。

世間は3連休の人も多いと思うが、2連休。今日は映画に行こう、と決めていた。

どんなにおもしろいか書こうとしたのだが、時間切れ。
http://www.12-movie.com/


いやいや、最初の話とつながらなくなった。
5つ星がついていたのは「イントゥザワールド」という映画だった。

評判がよいから見たい、と思ったものの題名もろくに覚えていなかった。
シャンテシネだけは覚えていたのでそこに行ったのだが、
どれかな、12人の怒れる男?これではない。
もう一つのもそうではない。じゃ、これか「イントゥザワールド」だ。
しかし、時間が合わなかった。

で、12人の怒れる男、これにするか、ということで決めた。
それでも始まるまで時間がある。
喫茶店で時間をつぶし、20分前に行ったら長蛇の列。
なんと、まえ3列しか空いてないという。
老眼だから、後ろでないとまずいのに・・・
しょうがない、3列目に座った。頭を座席にもたらせて見るようになっている。

まずい、下手をすると眠るのでは? 不安がよぎった。
心配無用。眠気はまったく襲わなかった。

始まってすぐ、ガスパジン・・・という声。 ん? これはロシア語?
有名なアメリカ映画のリメイク版というの看板を見てわかったのだが、どこの映画かも知らないで入ったのだ。

2008年9月11日木曜日

すでに9月も半ば

月日の経つのはほんとに早い。

今日は9・11。政府はイラクに派遣している空自を撤退させると発表した。
この日をあえて選んだのはなぜかわからないが、うれしい発表だ。

今日はまた北海道の十勝沖で地震があった。岩手、青森でも別の地震があったという。
たまたま北海道にいる友人に電話したら、とても暑い。31度もあると言っていた。

地球は怒っている。戦争どころではない。


さて、母もまだ怒っている。
私の顔をみてもニコリともしない。

仕事が休みだったので10時のお茶の時間に合わせて行った。
この前の土日は仕事と会議で母のところには行けなかったのでちょっと久し振りだった。

母の仲間の人たちはおやつを持っていくと喜んでくれる。今日は梨。
これまでに私が持っていったのは、トウモロコシ、枝豆、メロンなど。

みなさん、幸いにお腹も大丈夫の人たちばかりなので、あげてもいいと職員のお墨付き。

大体、ゆでたママのトウモロコシや枝豆など、ふつう、施設では出ない。
でも子供のころから食べているものだから、喜んで食べるのも当たり前だ。

梨もみなさん喜んで食べた。母も食べた。
そのあと、背中がかゆいから掻けという。
そう言えばこの前行ったときも背中を掻かされた。

職員には言いにくいのか。それともせめて背中ぐらいは搔け、ということなのか。

帰る時、いつものフレーズ。
○○ちゃんをいじめないでよ! いじめてないね!