日本の核武装の疑惑を追うーー広瀬隆、槌田敦講演会に参加。
24日の土曜日、雨がまだ止まない夕方、会場に着いたら、広瀬隆さんの講演がちょうどはじまるところだった。
満員とはいかなかったがそれなりに席は埋まっていた。
主催は「核開発に反対する会」、第9回目の講演会だった。たぶん、私は2回ぐらいしか出ていない。
広瀬さんの講演タイトルは「新潟県中越沖地震についての記録と、六ヶ所村再処理工場の危険性」について。
今、若い人たちの間でロッカショが焦点になっている、と言っても過言ではないほど、六ヶ所村の再処理工場のことが話題になっている。
六ヶ所村の再処理工場建設の時から、いや、建設前からその危険性を訴えてきた広瀬隆さん。
私の手元にデイズジャパン創刊号がある。
これは今出版されているフォトジャーナリズム月刊誌のデイズジャパンではなく、講談社から出ていた写真月刊雑誌のデイズジャパン。
この雑誌のことは広河隆一さんが今のデイズジャパン発刊のときに触れている。
とにかく講談社のデイズジャパンはあることがきっかけで廃刊になった。
毎号買っていたわけではないが、創刊号に「四番目の恐怖」と題して、六ヶ所村のことが出ている。創刊号の表紙は故ダイアナさんとチャールズ皇太子。1988年4月の発行。チェルノブイリから2年目の春だ。
この本が出たころ、まだ私はそんなにチェルノブイリに関心があったわけではない。
半年ぐらい前から集会、勉強にボチボチ通いだしたばかりのころ。この本のことは誰か知人から聞いて買ったのだと思う。
創刊号が発売された直後に、日比谷公園で原発止めよう2万人行動が故高木仁三郎さんらの呼びかけであり、地域の人たちと一緒に参加した。全国から集まった多くの市民で公園は埋め尽くされた。
この後、地域でネットワークができ活動していくことになるのだが、同時に、全国で草の根的に広がった反原発運動は深く静かに深更した、と思ったが、一方、ゴミ問題やそのほかの環境問題に関心が移る人も出て、表面的にはあまり広がらなくなってしまった。
しかし、いったん知ってしまったことを知らないことにはできない。
それぞれ関わることは違うようになっても、核の恐ろしさを知っていく人たちは、確実に増えていたと思う。
また、原発や核関連施設が目の前にある人たち、あるいはこれから最終処分場となるかもしれない、という恐れのある地域の人たちは他の問題に目を向けることはできない。
仕事のつながりで反対運動を直接できない人も、地元にいたらいつ事故が起きるか、核の恐怖を持ち続けながらの生活を余儀なくされている。
チェルノブイリ、スリーマイル島、ウィンズケール、そして青森をつなぐ運命「四番目の恐怖」。
調査・文 広瀬隆 + 取材・写真 広河隆一
カラー写真と図を見開きに配置した32ページにおよぶこの特集は、私たちに衝撃を与えた。雑誌から抜き刷りにした小冊子も広まった。単行本にもなり文庫本にもなった。もうとっくにどちらも廃刊になっていると思うが。
図解入りの再処理工場10の危険性を本から書き出してみると
1、輸送事故 2、プール破壊 3、化学爆発 4、処理後の排水
5、ガス放出 6、放射能漏れ 7、核爆発 8、冷却不能
9、ガラス破壊 10、地下水汚染
しかし、重大なことがここには書かれていない。
地震のことが、この当時はまだあまり問題にされていなかったのだ。
「原発震災」という言葉がささやかれる昨今、土曜日の広瀬さんの講演も昨年の新潟県中越沖地震についての話から始まった。
専門家の間では断層が早くから問題視されていたが、東電や国は根拠もなく死断層と決めつけていた。
阪神大震災発生の直前、94年12月に三陸はるか沖地震あり、翌年の3月、雪解けと共に、道路に亀裂が走っているのが露見。大きな亀裂の先は、まさに高レベル放射性廃棄物貯蔵庫(まだ着工前)につながる、と広瀬さんの資料に。この再処理施設直下に断層があるのを隠していた日本原燃サービスの内部資料が外に出て、地元新聞1面に書かれたのが1988年10月。デイズジャパン創刊の秋のことになる。
そして、広瀬さんの講演を聞いた翌日曜日、
「再処理工場直下に活断層か 青森県六ケ所村」という大きな見出しが各誌に掲載された。
青森の地元紙はもちろんだが京都新聞などもトップの扱いだったとか。さっそくにPDFにしてくれた仲間がいた。
http://www.greenaction-japan.org/newspaper/080525_kyoto.pdf
チェルノブイリの教訓を無にしないために、事故の起きる前に再処理施設を止めたい。
最近は止めるより、止まるのではないか、と思えてきたと、いつもの悲観的な広瀬さんらしからぬ楽観的な見通しで締めくくった。
そうだったらうれしいが。
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