2011年1月31日月曜日

『六ヶ所村 ふるさとを吹く風』出版記念会に参加

土曜日は、菊川慶子さんの『六ヶ所村 ふるさとを吹く風』出版記念会に参加。

この前、再処理についての公聴会があり、菊川さんに会ったばかり。
にんにくもたくさんいただいたし、場所も池袋で近いし
これには参加しようと思っていた。

著書については子ども基金のブログでも紹介している。

会場は補助椅子を出すほどの盛況。

見知った顔がたくさん。
あら、福島のMさんも。
わざわざいらしたのだ。

大病を患ってから冬の間は千葉の息子さんの家で過ごすように
なった菊川さんだが、菊川さんのいない青森からも参加者が何人も。
長芋、ルバーブジャム、にんにくなどを持ってきて販売していた。

鎌田慧さんによる講演会に始まり
菊川さんと鎌田さんとのトーク、
そのあと、有機野菜を販売しているみさと屋さん手作りの軽食で交流会。

鎌田さんは青森・弘前の出身。
同県人にとっても下北はひなびた地だった、という。

1970年3月に初めて訪問した。
以来、40年間その下北を見守ってきた。
県内企業最大の「日本原燃」の本社がある六ヶ所村。
莫大な交付金を受け続けてきた。
でも、40年経っても周りの風景はほとんど変わらない。

20年前に六ヶ所村に女性が帰ってきた、と聞いた。
それが菊川さん。

菊川さんに何でチューリップなの?と質問。

笑われるかもしれないですが、と前置きして
母が花が好きで、その中でもチューリップが。
ふるさとにUターンしてきてわかったことは風の強い土地だということ。
小さい時はあまり感じなかった。
ほかで暮らしてみて戻ってきてそれがわかった。

★風→風力発電→風車→オランダ→チューリップ★

それでチューリップ。

もし、再処理がずっと止まったら
「チューリップ革命だ」と鎌田さん。

今、ルバーブジャムは産直で消費者団体と契約している。
ルバーブジャム工場では地元の人、3人を使っている。
春になったら、3人はまた働きにきてくれる。
もっと雇用を増やしたいと抱負を述べていた。

でも、大病に見舞われて、動けないということはどんなことか
身を持って知ったから、元気なうちに楽しみたい(人生を!?)。

明るく強く(でも病気になった・・・)しなやかな菊川さん。
健康にくれぐれも気をつけられて、大いに楽しみもみつけられて
日々を過ごしてもらいたい。

鎌田さん、菊川さんの本を読んでほしい。

鎌田慧『原発列島を行く』集英社新書 ほか多数。

菊川さんの本を図書館にリクエストしたら、
購入してくれたのはありがたいのだが、
なんと、分類が「機械工学」に。

環境問題、あるいはドキュメント、
もっと関心のありそうな分類にしてほしい。
こんど頼んでみよう。

菊川さんが最後に言ったことばが印象に残った。
残念ながら、お金の話は印象に残る。
(ほんとはもっといい話をたくさんしたのだが)

例の仕分けでもちょっとだけ話題になったが
高速増殖炉「もんじゅ」がらみの話。

もんじゅは止まっていても1日あたり5500万円がかかっている。
再処理工場は1日あたり何と7億円がかかっているとか。
今、止まっていても、だ。
これは十分に仕分けの対象にならないのだろうか?
菊川さんのブログにも7億円のことが書いてあった。

花とハーブのおしゃべり
http://rokkasho.hanatoherb.jp/

2011年1月24日月曜日

天皇とウィリアム王子の言葉

新聞、テレビのニュースをひごろきちんと見たり読んだりしていないので
ほかの人はどうなのだろう?

身近な人たち数人に、ウクライナ大統領が来日していたニュース、知っていた?
と聞いてみた。

全員が「知らない」と答えた。

来日のことは知ってはいたが、たまたま20日の日経新聞に小さくニュースが
載っていたのを読んだ。
天皇がチェルノブイリのことについて発言をされたことに
新鮮な驚きを持った。

それもかなり的確な言葉だ。

ネットでいくつか調べたらウェブ版では時事、朝日、毎日、産経などで
扱っていた。テレビ朝日でも伝えたようだ。
写真も出ているところがあったが、代表撮影、となっていた。

それぞれ微妙に宮内庁発表より短くしたり、言い回しを変えたりしているが
おおむね、同じような表記だった。
独自の取材ではないから当然か。

総合して、宮内庁発表に近い形での言葉は以下のようだと思う。

陛下は旧ソ連時代の1986年に起きたチェルノブイリ原発事故に
触れ、だいぶ前のことですがと前置きされたうえで、「さまざまな形で被災
した方がいて、ずっと心を痛めていました。最近の状況はどうでしょうか」と
尋ねた。

ヤヌコビッチ大統領の答えは、
「放射能漏れを防ぐために作られた石棺が老朽化したため国際社会に
支援を訴えている現状や、事故から25年が経過する今年、ウクライナで
原子力発電の安全を確保するための国際会議を開く予定を説明したと
いうことです。」

天皇の言葉は、チェルノブイリ事故とその後の被害、今の状況について
質問と心配している気持、と、このうえない的確な言葉だと思う。
それに対して、大統領は予想もしてない言葉を聞いたので(たぶん?)
あまり的確な返答とは言えない。

そもそも大統領の来日は日本政府の招待によるらしい。
官邸のHPに菅首相との共同声明が載っていた。
ニュースには小さくともなったのだろう。

話は変わるがたまたま買い求めたビックイシュー159号
ウィリアム王子のスペシャルインタビューが載っていた。

その中で、<私を触発してくれるストリート・ペーパー>という
タイトルでメッセージが載っていた。

 「経済の混迷が、私たちのコミュニティで暮らす路上生活者に
 壊滅的な打撃を与えています。~」

と始まるメッセージは、
 
 「路上生活者へ心を寄せる気持ちとその路上生活者を
 自立支援するために手を差し伸べている団体・組織に心より
 敬意を表します。」

と結んでいる。

全部を書き写す時間がないのでぜひ、買って読んでほしい。
メッセージのほかに横顔も載っている。

天皇もウィリアム王子も豊に暮らしている境遇での発言には
異論もあろう。

けれど、多方面に影響力のある立場の人が、このような発言を
行っていることを知るのはうれしい。

2011年1月21日金曜日

この寒さは年寄りにはこたえる

前回母のところに行ったとき、いつもおしゃべりの相手に
なってくれる97歳の方が、体調を崩されていた。

遠く山口から娘さんがいらしていた。

たまたま上京する用事があったので
来られたけど。
山口も雪で新幹線止まるかと思いました。
私も寒さのせいで体調が悪いです、と娘さん。

今日のぞいたときはだいぶ回復されていたが、
いつも車いすで活発に動き回っている人が
自室にいるとなんだかかわいそう。

年寄りでなくとも、私の娘と孫も風邪が暮れから治らない。

新潟の姉からは、毎日雪が降って
お客が来ない、と嘆きの電話があった。

新潟県でも新潟市内は大した雪は降らない。
それが今年は降り続いているそう。
お客は年寄りがほとんどなので、天候が悪かったら出てこないのだとか。

上越市も10日ごろは大したことはないと思っていたが
その後、毎日雪は降っているとか。

温暖化、温暖化の合唱はどこへ?

ところで、寒さにもかかわらず、母は絶好調?
○○が来ているから、ここへ連れてこい。
3時半から私たち(テーブルの前にいるお仲間を指して)は選挙に行く。
□□党に入れる、とはっきりと言っていた。

早く○○を連れてきてよ

わかった、今連れに行ってくる

ウソをつくのではないよ、お前はいつもウソをつくから

と背中の声に、もっともだと思いながら、職員に後をお願いして帰ってきた。

2011年1月17日月曜日

豪雪地 松之山温泉

ふるさと松之山の奇祭「婿投げ・すみ塗り」が今年も小正月にあたる
1月15日、無事に終わったようだ。

こちらのブログに記事が出ていた。
「婿投げ・すみ塗り」祭り(新潟・松之山温泉)

You Tubeにもすでに多くの映像がアップされていた。

今は便利というのかどうかわからないが、たとえ辺鄙な山の中からでも
通信ができれば、瞬時にして、たくさんの人に出来事を伝えることができる。

かつて松之山は●級へき地と呼ばれていた。
一番近い駅が「越後鹿渡」という駅で、冬は歩いて4時間かかった。

今はほくほく線の「松代」が近い。
また、今は除雪してどんな雪でも幹線道路は車が通るようになっている。

昭和42年1月11日、51歳で父は亡くなった。
奇しくも妹が亡くなった日と同じだ。
昨年も大雪だったが、あのときも大雪だった。

新潟市にいる姉と東京にいた私を、叔父が途中で迎えて、
東頸城郡の大島というところに1泊して連れて行ってくれた。
2日がかりの雪の中の行進だった。

父は私たち姉妹が着くのを待って、目を閉じた。


ところで松之山の位置するところは新潟4区と呼ばれていた。
(今は知らない)

日本社会党の結成に参加した猪俣浩三は、高田師範卒業後、高等小学校の
教員となる。
教員になりたてのときは必ず、へき地勤務が義務付けられていた。
松之山に赴任した猪俣浩三は、小作農家のあまりの貧しさをみて弁護士を志し
代議士となった、という。
webで検索したら、平塚市議の松本さんという人のブログに猪俣浩三のことが
書かれていた。ブログを見ると、松本さんは松之山の出身かも知れない。

ちなみに、同じころ自民党から4区選出代議士になった田中彰治という人がいる。
政界のマッチポンプとの異名をとった代議士だ。

子どもごころにも、猪俣さん、田中さんの名前と噂は植えつけられていて
なんだか、同じ選挙区にいることが誇らしい気持ちがしたものだ。

あの頃はよかった、と回顧する趣味はないが、右にしろ左にしろ
気骨のある政治家がいたのだ。

へき地の教師と言えば、母とも関連がある。

父亡きあと、母は町の計らいで、教員住宅の賄いの職を得た。

まだ先生になりたての若い人たちが最低2年は住まざるを得ない
教員住宅。
そこで母は生き生きと働いていたのだ。
母の人生で最も輝いていた時だろう。

今年母宛に届いた年賀状から;

  指折りの豪雪の地に枝張りて
  冬を耐え来し欅の巨木

昭和47年、松之山にて吟、と添え書きがあった。

2011年1月12日水曜日

EXODUS シアターX(カイ) 提携公演

11月に【祥子―PERFORM「アンヘリート」】というのを見た。
このブログにも簡単な感想を書いた。

この歳になっても知らないことは多く衝撃的な内容だった。

上記の内容をさらに深くした公演が行われる。

【転送・転載歓迎】

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
EXODUS  シアターX(カイ) 提携公演
2011年1月
   14日[Fri]19:30
   15日[Sat]15:00/19:00
   16日[Sun]15:00
   [開場 各30分前]

シンポジウム『いつか見る記憶⑤ 人間の闇』
   1月16日[日] 公演終了後(16:30Start予定)
   ◇シンポジウムパネラー
   嶋田美子 Shimada Yoshiko[ビジュアル・アーティスト
   中村弓子 Nakamura Yumiko[フランス文学・思想]
   森住 卓 Morizumi Takashi[フォトジャーナリスト]

     前売 \3,500 当日 \3,800[全席自由]    
    劇場 シアターΧ(カイ) [地図]
 【お問合せ】PHILIA PROJECT
   携帯 090-6517-0809
   PHILIA project 公式サイト

1:1 ART press~ フィリア・プロジェクトMM (毎月5日配信)

『ガイサンシーとその姉妹たち』『melos』の上映、上演を広げる会

「Guelb er Richat ensemble」公式サイト

2011年1月8日土曜日

武蔵野市民学校 1月上映会案内

12月も結構ギリギリまで映画会はあった。

忙しさにかまけてすべてをアップしないでしまったが。

年明けそうそう、今日からまた映画会が始まった。

今日のプログラムは見たい人が結構いるのではないか?
  1/8 13:10~ 柳瀬川図書館
  『天井桟敷の人々』 1945年 B&W 190分
  監督 マルセルカルネ


せめてチラシをもらった数日前、アップすべきだった、と反省。

とりあえず画像でチラシを掲載する。


 








 






2011年1月4日火曜日

今年の新潟は案外小雪(こゆき)のようだ



鎌倉長谷寺の木瓜
(神奈川のNさん撮影)





昨年の今ごろは大雪の中、田舎に行ったり来たりしていた。

妹が他界して、ほぼ1年。

あのときの壮絶な命のたたかいを忘れがちなきょうこのごろ。
自分のブログを読み返してみて、思いを新たにした。

忘れたわけではないが、1年近くも経つと、気持も薄らぐ。

暮れには、喪中はがき出すべきかどうか、悩んだ。

世の中の人々はどうしているのだろう?
ご近所に聞いたり、今までの喪中はがきをチェックしてみたり。

義理の母・兄弟姉妹が亡くなっても喪中はがきを出す人、
あるいは結婚して姓名が変わっていても、実の兄弟姉妹が亡くなって
喪中を出す人。

本当のところ、基準はないのかも知れない。

その人が故人をどう思っているか、で決まるのかな?

我が家の階下の人は、連れ合いのお母さん(同居してなかった)が
秋に亡くなり、その夫さんも年賀欠礼にした。

私も姓名が違っても実の妹だ。
つい最近亡くなったのだったら喪中にしただろう。

でも実質、1年だから、喪は明けたことにした。
だからいつものように年賀状も出した。

法事もするのかしないのかはっきりしなかったが
暮れになって、通知がきた。

10日に妹の1周忌が行われる。