2010年5月30日日曜日

チェルノブイリの子どものためのバザー


早いもので、クリスマスバザーから早半年が過ぎた。
恒例の初夏のバザーは来週の土曜日に行う。

チラシ約3300枚、すでに手分けして配布済。
それぞれの集合ポストに入れるだけなのでチラシ入れは割と簡単。
チラシはモノクロで印刷。
B4の用紙に4枚印刷。印刷そのものは図書館を利用するので紙代以外ほとんど費用はかからない。

ただし、B6判にカットしなくてはいけないのでそれが結構大変。
A4用紙を使ってA5判にするのでもいいのだが、色のついた紙を使いたいとなると高くつく。
それでいつもB4になる。B4だと500枚単位で行きつけの文具屋さんでも安く買える。
でも次回こそA4を使おうかと考えている。

イラストは娘が描いてメールで送ってくれた。
web用はごらんのようにご近所のお姉さんに色をつけてもらった。

チラシは前回のバザーの報告も兼ねている。
収益は募金としてチェルノブイリ子ども基金に贈るがすべてではない。

売れ残った衣類などを引き受けてもらう婦人厚生施設「かにた」への送料および少しのカンパ、ほかにいくつかの団体に送る。


今年もぼちぼち品物が届き始めた。

やや異変が・・・

毎回山のように集まってきていた衣類が減ってきている。

さすがに10年以上も同じ地域でバザーをやってきて底をついてきたか!?

それとも高齢化の著しい我が団地。

かたづけるのも面倒になったか!?

今年は今のところ雑貨が多い。それも新品が多い。

でも、まだ1週間あるからこの先どういう展開になるかまだわからない。

2010年5月27日木曜日

六ヶ所「再処理工場」も「もんじゅ」もぼろぼろ

ストップ・ざ・もんじゅ東京の高木さんからの
メールを転送。
ほんとに大丈夫なのか!?

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六ヶ所再処理工場の
落としたレンガの回収ですが、一旦掴んで液面から引き上げたが、
落としてしまったとのこと。
「ゲームオーバー」、オシマイですね。

下記は〈デーリー東北〉です。


溶融炉のれんが回収後、落下か 原燃、試運 転終了に影響も
2010年5月26日 20:48 カテゴリー:科学・環境
 日本原燃は26日、試運転中の使用済み核燃料再処理工場
(青森県六ケ所村)で、溶融炉に落下したれんがとみられる
固形物をいったん回収したが、再び炉内に落とした可能性が
高いと発表した。

 遠隔操作でつかん だ固形物を、引き上げ時に落としたとみら
れる。今後、固形物の場所の特定から作業を始める必要があり、
10月としている試運転終了はますます厳しい状況と なった。

 原燃によると、26日午後、器具で炉の底にあった固形物を
つかみ、引き上げているところをカメラで確認。その後、固形
物の周囲に 付着している高レベル放射性廃棄物のガラスを除去
するため、炉の上部でつかんだままの状態にしていた。

 ところが、回収物の破損状況などを 確認するため別の場所に
移し、器具を確認したところ、何もつかんでいなかった。

 れんが落下は高レベル廃棄物のガラス固化体を製造する溶融
炉内で発生、試運転が終了できない大きな要因となっている。

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もんじゅはトラブルが続いています。
理解しがたいです。


〈毎日新聞より一部〉

もんじゅ:クレーンから煙 環境に影響なし
 試験運転中の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市、
28万キロワット)で26日午後3時半ごろ、メンテナンス廃棄物
処理建物(放射線管理区 域)内の30トンクレーンから煙が出て
いるのを作業員が発見。通報を受けた地元消防組合が消防車を
出動させ、自然に煙が収まったのを確認した。もんじゅの運転
再開後、地元消防車が出動するのは初めて。火災に該当しない
事案といい、作業員8人にけがはなかった。

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2010年5月26日水曜日

ハイチのマザーテレサ

24日のNHKクローズアップ現代を見た。
医師で修道女の藤井昭子さん、83歳。
貧困国ハイチで30年以上にわたって医療支援活動行ってきた。
地震発生時は3年ぶりの帰国中で、先月ようやく現地に戻ることが
できた須藤さんに、同行取材したのが24日の番組だった。

以下のブログに藤井さんの活動状況が載っていた。

来栖宥子★午後のアダージョ

ハイチの“マザーテレサ”~大地震からの復興へ奔走
産経ニュース2010.3.8 15:43

この産経新聞の記事を見てNHKは追跡取材を決定したのかなと思った。


瓦礫の山と化した病院。でも仲間の健在を知り、喜びあう場面。

結核患者のための病院だった。
どうしても隔離する必要のある重病者のみ、テントに収容。
そうでない人たちはちりぢりに。

病人のために必要なきれいな水がない。
水を確保するために藤井さんと現地の人が国際的な救援組織に掛け合う場面。

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 WFP 国連世界食糧計画の事務所:
  ここは食料を支援する所だ、水は扱っていない。
  でも必要だ。どうしたらよいか?
  では、ユニセフに行ってみたら。

 ユニセフ:調査する(ほんとうに必要かどうか)ため、日にちがかかる。
  その間、水がないと困る。調査が終わるまでの間、水はどうしたらよいか?
  では、赤十字に相談したら。

※遠かったのか、違う理由か、赤十字への訪問場面はなかった。

 国連事務局窓口:こちらではどうしようもない。

※その後、NPO団体に相談して、当座の水をもらえることになった。

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現地の悲惨な状況報告のあと、番組の最後には藤井さんがスタジオでインタビューを受けた。
その中で一番印象に残ったことば。

●83歳ということで、そろそろ活動を辞めようと考えることはありませんか?

○でも年でなくて、引退ってことは考えません。引退は職業ですよね。
でも私は、一つの生き方ですから。生き方に引退はないんじゃないでしょうか。


※そして、重大な発言。

●患者を隔離できない事態になって、今どんなことを一番恐れていますか?

○結局、地震のために患者さんがちゃんとした治療を受けないまま、分散してます。
一部の本当に重症の患者さんだけがテント生活をしていますけど、病院を出ざるをえなかった患者さんたちが、菌をばらまいてしまっている。
しかも、治療を中断したことで菌が強くなって、耐性菌になってしまう。
その目に見えない耐性菌をばらまいているので、その感染を受けると、今度は治療しても治すことができない。
そのことは非常に大きな問題だと思います。というのは、これから先、世界中はもう交通がすごいですから、もうハイチだけの問題ではないわけですね。
世界中の問題なのです。

※すでに藤井さんの発言内容がホームページに掲載されている。詳しくはこちらを。

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これは国際社会が緊急に取り組むべき問題ではないのか?
一刻も早く病院を建設してちらばった患者たちを集めて
治療を再開しなくてはいけないのではないか?


NHKに電話をして募金先があるかどうか聞いてみた。

●募金口座名 
 「クリストロア宣教修道女会ハイチ援助会」
  郵便振替 00120-4-29007

NHKに再放送の予定も聞いてみたが、こちらはまだ予定されてないそうだ。

すばらしい日本人が世界にいる。
まだまだ知らない偉大な人たちが日本人に限らずたくさんいるのだろう。

国谷さんの話はいつも歯切れがよく鋭い。
この日のインタビューは柔らかだった。

気持ちを引き出すように、・・・ですか?と語尾を小さな声で優しく聞いていた。

そのつど、やや間をおいて、
静かな声でたんたんと語っていた藤井さん。

ん? 現地との中継か? と錯覚しそうだった。

2010年5月21日金曜日

渋谷の夜をパレード

もんじゅを止めよう
止めようもんじゅ

聖者の行進の替え歌で渋谷の街をパレード。

小雨の中、平日の夜の車道を思いっきり大きな声で歌いながら

渋谷勤労福祉会館のある公園通りから駅まで
わずか15分ぐらいのパレードだったが
気分がよかった!

人数もわずか20人ぐらい?
パレードの距離も短い。
どう考えても不測の事態は起きそうもない。

おまわりさんはとても親切。

さ、この車の後からついてきてくださいね。
はい、スタートしましょう!!

土日の混雑した街中とちがって、
整然とした感じさえ受ける渋谷の通り。

人数は少なかったけれど横断幕は何枚もあり
歌声は大きく目立っていたと思う。

沿道の人たち、結構、手を振ってくれたり
カメラを向けたり。

終わった後、さっさとビールを1杯だけ飲もうと
数人とお店に。
約束どおり、1杯だけ飲んで
明日ね、と別れた。

明日は;
★「もんじゅ」緊急院内集会★
  ●2010年5月21日(金) 
場 所:衆議院第二議員会館  第2会議室
 10:30~11:00 状況について
     報告 小林圭二さん(元京大原子炉実験所講師)
 11:00~12:30 ヒヤリング 要請相手:保安院、原子力機構
   ・2次系ナトリウム漏えい検出器の故障問題
   ・連日出ている警報に関して
・制御棒挿入操作ミスに関して
   ・広報体制について
呼びかけ議員
服部良一(衆)、近藤正道(参)、川田龍平(参)、平山誠(参)
主 催:脱原発政策実現全国ネットワーク
事務局 ストップ・ザ・もんじゅ

※!※!※!鳴り続ける警報、続発するトラブル※!※!※!
大事に至る前にもんじゅは止まってほしい。

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今日(木)は、母のところへ顔を出し、
6月初めに開く、チェルノブイリ救援「リサイクル・バザー」の
チラシを図書館で印刷し、それから渋谷に出かけた。

蒸し暑い日だったが、気持ちはさわやかな1日だった。

2010年5月16日日曜日

「沖縄に基地はいらない」報告&もんじゅはいらない・集会

◆◇◆先週金曜日の報告「沖縄に基地はいらない」全国同時アクションTokyo

久しぶりに国会前に行った。

NO BASE! OKINAWA 5・14
      国会前ヒューマンチェーンへ! 
      
寒かったが、500人ぐらいの人が集合。
知り合いもたくさんいた。

さっそくにYou Tubeにアップしてくれた人がいる。

また、写真をアップしてくれた人も。


◆◇◆東電本社交渉のお知らせ

日時 6月3日(木)午後1時30分から
会場 東新ビル1F 新橋駅から3分 東電本社から1分

事前質問締切りは5月19日。

株主総会(6月25日予定)前なので、総会での質問の参考になる。
株主総会の質問締切日は東電・総務に問い合わせを。


◆◇◆「もんじゅ」はいったいどうなっているの!?
大事故の前にもんじゅを廃炉にするしかない!
5/20(木) 午後6時30分~8時30分ごろ
 終了後パレード(予定)
会場 渋谷勤労福祉会館 渋谷区神南1-19-8

パレードは会館前スタートでハチ公前の大交差点を
左折して駅近くの宮下公園入り口で流れ解散(予定 / 約10分ほど)

報告 高木章次 
ゲスト 伴 英幸さん(原子力資料情報室/予定) 
ほか交渉中

資料代 500円(予定)
主催 ストップ・ザ・もんじゅ東京
TEL 03-5225-7213 FAX 03-5225-7214

2010年5月11日火曜日

スナメリを守ろう!

スナメリを守ろう!
海を守ろう!
自然を守ろう!
私たちを守ろう!

海を埋め立てて元に戻す方法を
知っていますか?

海は元に戻りません!


などと叫びながら日曜日の午後パレードをした。

若い女性の音頭だったからか
なんだか楽しげなシュプレヒコールだ。


「緊急シンポジウム&パレード(いのちの海を埋め立てないで!~瀬戸内・長島の
海から自然との共生を考える~)


いろんなデモ、いや、主に反原発関連のデモ・パレード、に参加したが今回のコースは初めて。

集会のあった、明大前リバティタワーのすぐ近く
有名な山の上ホテルのあるすぐそばに錦華公園があり
そこが出発地点。

お茶の水から神保町、そういえば、4月のチェルノブイリイベントのときチラシまきにこの辺を歩いたな、とまだ記憶も新たに古書店街を通り、水道橋方面に向かい後楽園を右前方にみながらパレードは進んだ。

今回は怪しげな一団、いえいえスナメリの仮装か?

そういう人たちが踊りながら楽器を鳴らしながら
列の後方守っていた。

街を歩いている人々の、結構興味深げな視線を感じる。
携帯を向ける人たちもたくさん。
チラシをみて、質問をしてくる若者もいた。

スナメリというのはこんなにかわいらしい生物だ。

スナメリを守ろう!

「STOP!上関原発」

Free Space~自由空間~

ともだちのブログでもパレードの様子をとりあげてくれた。
昼下がりのマダム

上関原発予定地田ノ浦の現地の様子を動画で見ることもできる。

さらにこんな情報も。
 「5月5日に祝島で、イラストレーターの黒田征太郎さんが、「祝の島」の応援旗を描くライブパフォーマンスがありました。二階堂和美(広島大竹市在住)さん(にかちゃん)の歌とコラボしています」


「祝の島」の旗を描く

あれ? おとなしい旗?
と思ったら、2枚描いている。

とても楽しそうな黒田さんとにかちゃんと島の人たち。
見ているこちらまで楽しくなってくる。

2010年5月7日金曜日

母のいらだち

連休初めの4月29日(木)、姉と孫2人と運転手(姉の息子)が
やってきた。

おきまりの母のホームの近くの公園で孫2人はひとしきり遊んだ後、
母を連れて昼食に。

今回は和風ファミレスへ。

広々とした畳のあるテーブルにつき、くつろいだ。


そのあと、月曜日にまた、ホームに行き、
今日、木曜日にも行ってきた。

私にとっては理想的な訪問回数。

母ではないほかの人に食事介助をボランティアとして行っているが
それも果たせた。

今日は珍しくメガネをかけて雑誌を読んでいた。
職員の方も、何か読む本はない?と聞かれてびっくり。

食事以外はほとんど自室で寝ていることが多いからだ。

何日に1日は眠れない日がくる。

たぶん、昨日寝てないらしく、目が赤い。
そして、精神は高揚して興奮気味。

なんだか機嫌がよく、いきなり今日は2千円でいいか、と
私にお金をくれようとしている。
今日はって、いつももらってないけど・・・とつぶやく。

いらないよ、お金はあるから、と言うと
ほっとしたようにお金をしまう。

私が食事を他の人にあげている間、何でそんなことをしているのか?
という顔でちらちらと見ている。

そのうち、

ここへきてからまったく寝てない、
薬をくれ、という。

じゃ、あとで看護士さんに夜になったら睡眠薬をくださいと
お願いしておこうと言うと、ここのはきかないから
おとうさんからもらってきてくれ、と。
おとうさん?
同居していた妹の連れ合いのことか?

**は何でこないの?と弟の名前を盛んに言う。
早く**来てちょうだい。
お金と薬を持ってきてよ。

姉の名前も出して、同じ要求をしている。

私がもらってくるから、と言ったら
もう帰って来ないんでしょう?
行かないでよ。みんな(私のきょうだいのこと)が来るまで、
ほかの人と雑談をしていて、と。


荷物を作って待っているのに**はまだ来ない。

**は大人だから自分で来られるよ。

あんたが一緒に連れてこないからいけないんだよ。

何であんただけいつもひょこひょことくるの?
どうしてみんなと来ないの?

私が悪者になっている。

29日に姉がきたとき、公園でひ孫の遊ぶのをみていた母に
姉はついに言った。

※※※は死んだんだよ。と妹の名前を言った。

嘘だ、死んでないよ。

嘘じゃない、1月に死んだ、57歳で死ぬなんてかわいそうだね。

そのとき、姉と私がほかの話をして笑った。

何で笑うの。※※※が死んだというのに、と怒った。

しばらくして、また、※※※なんか死んでないよ、と怒ったように言っていた。

今日は、もう、姉たちが来たことも完全に忘れていた。

2010年5月4日火曜日

明日、丸木美術館で沖縄/佐喜眞美術館館長の講演

5月5日は丸木美術館の開館記念日。
今年のイベント:丸木美術館43周年 開館記念日

メインは佐喜眞美術館館長・佐喜眞道夫さんの講演。

 佐喜眞美術館:沖縄県宜野湾市の普天間基地の一部を
 取り戻して 建てられた私立の美術館である。
 丸木位里・俊夫妻による「沖縄戦の図」の常設展示のほか、
 企画展や演奏会の開催もある。

東京荒川少年少女合唱隊による
コンサートや「みなまた海のこえ」の上映会など
盛りだくさんの催しになっている。

丸木美術館の周辺は緑がいっぱい。
都幾川を眺めながら、散歩するにも絶好の日和。

美術館から送迎車も出る。

  東武東上線森林公園駅南口発(池袋から急行で1時間)
    →丸木美術館
  11:30 12:30 13:30

  丸木美術館発→東武東上線森林公園駅南口 
  15:00 パーティ終了後

2010年5月2日日曜日

「戦争孤児の心の闇」を読んで

昨日読んだ、日本の戦争孤児のことが
頭から離れない。

石川逸子さんが発行されている小冊子『ヒロシマナガサキを考える』(4・15発行)に「戦争孤児の心の闇」(金田茉里)が載っていた。
私には衝撃的な内容だった。

日本の戦争孤児に思いを馳せたことがなかった、と改めて思った。


戦争孤児を知っているか、夫に聞いてみた。

小学校か中学校のころ、上野に遊びに行ったとき、
孤児がたくさん、地下道にいて、怖かった。

あのころだからブルーシートも段ボールもなく
そのまま寝転がっていた、と。

昭和19年生まれの夫。
敗戦の20年に幼な子だった子らが、夫が見たという孤児か?
小学生ぐらいの子もたくさんいた、という内容と
年齢がどうも一致しないが、
でも、何回も見た、と言っていた。

私の生まれた新潟の片田舎では、空襲も受けていないし、
まして孤児の話など、まわりでは聞いたことはない。

東京に出ていた父親のきょうだいが家族を連れて
疎開してきたということは後から聞いて知っているが、
空襲にあって命を落とした人や孤児になった親戚はいなかった。

靴磨きの孤児の話などは、物語りの中の話として記憶しているだけ。

中国残留孤児の話は、ラジオ、テレビ、新聞で報道されている
範囲で知っているが、日本の孤児の話はあっただろうか?

いや、あったには違いないが、自分の心の中ではまったく
抜けおちていた、ということに、内容以上に衝撃を受けている。

そして、それは過去のことを知らなかった、だけにとどまらず
今現在も戦乱の地に孤児がいて、さらに孤児が生み出され
続けているという現状を思い、暗澹とした気持にならざるを得ない。


今日は孫の1歳の誕生を祝って、昼食会があった。

大人8人の前に子どもが一人。
手を叩いた、笑った、と言ってはよろこぶ大人たち。

かわいい孫を前になんだか素直には喜べなかった。

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「戦争孤児の心の闇」(金田茉里)
 <小見出し>
 親の死の受け止め方
 親戚、知人、養子先で。差別された子どもたちの心理的虐待
 浮浪児の生活、地獄をはいまわる
 孤児収容施設での生活、国方針は養子に出すことだった
 学童疎開中に孤児になったもの
 孤児施設には2つの在り方があった。(鉄の格子と愛の監視)
 身売りされた孤児
 働ける年代になって。貧困、偏見をうける
 差別、偏見
 追悼碑問題 大きいしこりを抱えている
 晩年になって離れない恐怖心

東京大空襲訴訟
金田さんたちがわずかな預金を切り崩して提訴している理由
 第一 空襲死者の追悼碑の建立
 第二 戦争障害者、戦災孤児の救済
 第三 空襲を歴史に残し、戦争御できない国にするため
 
戦没者遺族年金は平均年間300万円~400万円。
孤児はゼロ円。
空襲で顔にケロイド、指が折れ曲がっても障害者に該当されない民間人。
かたや軍人は同程度の障害で年505万円の支給を受けている。

と石川逸子さんは書いている。