2009年11月30日月曜日

昼夜逆転の母

明日はもう12月。
月日のたつのはほんとに早い。

今年最後の連休、といっても祭日なんて関係ない人も大勢いるわけだが。
うちもそうだ。
毎日が日曜日の連れ合いなどがそれにあたる。

もとい、その連休の11月22日、新潟から姉と甥と姪の子どもが来た。
高速道路の通行料が1000円になってから3度目の上埼だ。

1000円でなかったらこんなに気軽には来なかったに違いない。

その前日に泊まりにきた娘と我が孫もいて、一緒に母も連れ出して
レストランでの大昼食会。

陶器窯のあるレストランで、ランチの器はみんなオーナー(?)手作りの
器。朝霞ブランド「朝霞浜崎焼」。
民家の2階がギャラリーになっており1階がレストランになっている。
古い足踏みミシンや鏡台などの調度品が心地よい。

20食限定のランチ。おいしかった。
床暖房になっていて、眠ってしまった6カ月の孫はその床の上に
寝せておいた。

「かふぇぎゃらりー&陶芸工房 八右衛門」

私たちは大満足したのだが、一人母は浮かない顔をしていた。
その日、施設に行ったら荷物をまとめてあった。

職員の方が、いま、昼夜逆転しているようですと話す。

昼夜逆転すると、寝静まった夜中にいろいろ考え出す。
だれでもそうだと思うが、夜中に考え出すと妙に神経がとがって
鋭敏になってくる。

何か考えて荷づくりが始まる。
母にとってはまことに正常な状態となる。

夜中の仕事のあとだったので昼間はくたびれて不機嫌になっていたというわけか。

娘がおばあちゃん体の調子はどう? と気遣って聞いたが、
よいわけないでしょう? と言わんばかりの表情で黙って見返した。

眠っていた孫を見て、生きているのか? と聞いてきた。

姉の孫は3歳でおしゃま盛りだから、さすがに笑顔を向けられて
にこっとしていたが。

前回、姉が来た時「また来てね、待っているから」と言ったことなど
どこ吹く風だ。

あのお昼の日からちょうど1週間目の今日、母と会ってきたが
今日はおだやかな表情だった。

お昼を食べていかないのか? と聞いたがこういうときは
機嫌がいいとき。

今日はお昼を頼んでないから、また来るね。
とさよならをしてきた。
お隣に座っているおばあちゃんたちにもバイバイをすると
母よりいつまでも手を振ってくれていたりする。

2009年11月27日金曜日

バザーは今年も繁盛

21日のバザー、今年も始まる前から長蛇の列が・・・

いや、長蛇ではないが、小さな列ができる。

9時半からしか会場が使えないので11時オープンまで秒読みだ。

今回は前に手伝ってくれた若い男性が一人応援にきてくれた。

いつもより、きれいに洋服とか並んでいる。

100円均一とか200円均一コーナーでは
つい、まとめてバサッと置けばよい、どうせひっくり返してみるのだから・・・
ぐらいに考えている私たちとは大違い。

彼は会社員をやめて今介護の仕事をしている。
細やかなやさしさがある人だ。
夜勤もあるから、今回は休みにあたってラッキーだった。

もう一人若い女性も前回から手伝ってくれている。
チラシを各戸配布すれば十分、と思っている私たちだが、
主だったところの掲示板に、許可をとってくれて
貼ってくれた。

さあ、オープン。

しばし、混み合い、めぼしいものはお昼までに売れる。

手作りパン、クリスマスリース、お茶、小田原の低農薬みかん
なども売れた。

かつては1000円、2000円のコートなど売れたが、
バザー会場も今はデフレだ。
洋服は高くても500円どまりか。
洋服類はもうみんなたくさん持とうとしなくなった。

そこへいくと食器類はあきてくるので
自分のを出して、目新しいものを買うとかするから
まだ循環する。
よいものは高い値段(と言っても500円、1000円どまり)で
売れる。
毛布、シーツなどの新しいものも比較的よい値だ。
アクセサリーは300円が相場。
掘り出し物が多い。

差し入れのお昼を食べて、ぼちぼち午後から来た人たちが
残り物に福があるとばかりに、探している。

最後に片付けのときにまた、いいものが出てくる。

というわけで、今回は6万円の収益が出て、チェルノブイリの
子どもたちのためにすでに寄付をした。

また、「かにた」に衣類を5箱、「寿町」に2箱、カンパも3000円、2000円をそれぞれ送る。
ペシャワール会にも3000円送る予定。

以前だったらアフガンに冬物衣類をたくさん送っていたが、
今は世話をする人がいなくなって送ることができなくなった。

靴などもたくさん集めたときがあったが。
今でもきっと必要としている人たちがたくさんいるだろうに・・・

地域の障害者と共に運営しているお店「よろづや」に
食器、雑貨類6箱ほど引き受けてもらった。
よろづ市に私たちが出店することもあるので
お互い様ということで物品の提供だけで特にカンパは
していない。

たくさんの品物を引き受けてくれるところが
あるおかげでバザーを続けることができる。

2009年11月15日日曜日

チェルノブイリ救援クリスマスバザー

早いものだ。

初夏のバザーがついこの間だと思ったら
もうクリスマスバザー。

年2回のバザー、待っている人がいてくれる。

そろそろ準備しなくては、とぼんやり考えているころ
今度はいつですか? と問い合わせの電話があったりする。

今日は市内の環境フェスタで少し宣伝できた。

買うのを待っている人もいるが、品物を出すのを待っている人もいる。

いつも助かっていますよ、と環境フェスタで会った人に言われた。


助かっている、というのは、家の片づけができて、お役にも立てる、
という意味なのだろう。

私は初対面と思ったが、バザー参加者だった。

チラシを配布してから当日まで、家の前に品物を置いてってもらう方式。
みなさんほとんど黙って置いて行かれる。
もっとも声をかけていただいても留守が多いからお互いそのほうが合理的だ。

仕事から帰るとドアの前に品物が置いてある、という光景が1,2週間続く。
今年はわが集合住宅は大型修繕中で、エレベーターも共通廊下も
何かと足もとが悪い。

だから、受け入れ期間を短くしたので品物の集まりがちょっと気になる。

でも、今まで品物に不自由したことがないので今回も何とかなるだろう。

2009年11月8日日曜日

愛の街コンサート

今日は前からひいきにしている「コーラス横丁」というグループの定期演奏会にご近所さんと連れだって出かけた。
2年に1回の演奏会、今年は11回目、ということは結成して22年という歴史あるグループだ。

子育ての仲間同士で始めたのだそうだが、いわゆる一般的なママさんコーラスとは一味も二味も違うコーラスグループ。
大きな特徴は毎回、反戦の歌をメインに据えることだ。

「愛の街コンサート」というタイトルがつくこのコンサート、毎回「愛」がテーマで、今年の1部は母にまつわる歌。

おかあさんへ、未来へ、アベマリア、ママン など。

高田敏子さんの詩に指揮者の安藤由布樹さんが作曲した2曲(アイスクリームほか)はかわいらしい歌だった。

2部は、反戦の歌のオンパレード。
特に感動したのは茨木のり子さんの詩『わたしが一番きれいだったとき』に
安藤さんが作曲した歌。合唱によって、より詩の内容が鮮明になっていた。

ソロの部分があるから、と友から聞いていたのはこの部分だったのか。
友人のほかにもう一人それぞれがソロで歌う場面があった。

まるで自分が戦争時代に青春を送ったかのように歌っている二人の歌に、聞いていて思わず涙がこぼれた。
確かな反戦の思いが伝わってくる。

もうひとつ、フランスの歌だそうだが『脱走兵』という歌。
大統領閣下への手紙という形で語りかける歯切れのよいコミカルな歌。
初めて聞いたが気に入った。

そのほか、リメンバー ザ キッス、アルゼンチンよ泣かないで など。

合唱の合間に詩的な紹介が団員たちによって紹介。
全員が何かしらの持ち場・見せ場があった。
構成もなかなかのもの。

総勢21人。おや? 前回より増えたような気がする。
若い人もちらほら。

1部はカラフルなTシャツと真っ白なズボンの組み合わせ。
2部は白いロングドレスにラメ入りの上着。
手作りで工夫しているとか。毎回衣装を見るのも楽しみにしている。

手ごろな場所が抑えられなかったそうで、800人も入る会場。
近隣市の中でもひときわ評判のよいホールでの公演。
席は6、7割は埋まっていたと思う。

有名な人がいなくとも、継続してこれだけお客を呼べるのだから
大したものだ。

やわらかなそれでいて、強い意志をもった合唱。
心地よいひとときを過ごすことができた。
よいコンサートをありがとう。

2009年11月5日木曜日

プルサーマル試運転開始 佐賀・玄海原発で

テレビのニュースではほとんどのところでとりあげてないと友人の話。
今、たまたまついていたニュース23では報じていた。
さらに放射性物質を積んだワゴン車が東北道(?)で後続車と接触事故との報。
おきまりの放射能漏れはありませんと言っていたが。

プルサーマルのこと、ネットでは朝日、中日などでとりあげている。

プルサーマル始動 佐賀・玄海原発
2009年11月5日 夕刊
 一般の原発でプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を燃やす国内初のプルサーマルが5日、九州電力の玄海原発3号機(佐賀県玄海町、加圧水型軽水炉、118万キロワット)で事実上スタートした。
 午前11時に3号機の制御棒を引き抜いて原子炉を起動し、核分裂が開始。同日深夜にも核分裂が連鎖的に起こる臨界に到達する見通しだ。九電によると作業は順調に進んでいるという。
 プルサーマル実施は、電力業界として当初計画より約10年遅れ。核燃料をリサイクル使用する国策「核燃料サイクル」の実現に向け、九電は最後の一歩を踏み出した。
 九電は9日に発電を開始し、その後、段階的に出力を上げ、調整運転に入る。12月2日に出力の安定性や炉心の性能などを調べる経済産業省の「総合負荷性能検査」を受けて合格すれば、同日中に通常運転に戻し、プルサーマルによる発電が本格稼働する。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2009110502000244.html

asahicom
http://www.asahi.com/business/update/1105/SEB200911050003.html

こっちは国側の科学技術振興機構というところhttp://scienceportal.jp/news/daily/0911/0911051.html

2009年11月4日水曜日

今年と来年のチェルノブイリカレンダー

我が家のカレンダーのかける場所2つは決まっている。
台所兼居間とトイレと。

メインはもちろんチェルノブイリ救援カレンダー。

つい、先日までは六ヶ所の写真だった。
と書こうと思ったが、確認のため見たらまだそのままだった。

子ども基金のカレンダーは先月と次月が小さく併記してあるので
月が替ったからと言ってすぐにめくらなくとも支障はない。

だいぶ日にちが経ってから次の月に替えることもしばしば。

家族の中で耐えられなくなったものが替える。

事務局ではもちろん、2日の月曜日から新しい写真に替っているからもう、我が家も替っている気になっていたが・・・

10月は六ヶ所村の核燃施設に反対するデモの風景。
雲と夕陽と沼と。その沼のほとりをデモの人たちが歩いている。
「しん」とした緊張感が伝わってくる。

11月は一転してベラルーシの秋の風景。
野良仕事に使う馬車に夫婦らしき人たちが乗っている。

放射能は目に見えないから、のどかとしていいようのない
おだやかな風景であるが・・・

不思議なものだ。
どちらも撮影月日はかなり古い。
たぶん、1989年前後の写真。
だから、六ヶ所村にはまだ放射能はない。
ベラルーシには放射能がある。
それなのに受ける感じは反対・・・


さて、来年のカレンダーは「いのちの輝き」というタイトルがついている。

かつて、広河さんのスライド講演に接したとき
もっとも印象に残ったのは3人きょうだいの2人の姉妹が写った写真とニーナ先生の結婚式の写真だ。
ウェディングドレスと緑の大地。
その色鮮やかな美しさに魅せられた一人としては待望のカレンダーだ。

汚染された大地で2人の子どもを育て、夫と共にその地に暮らし続けているニーナ先生。

病気と闘いながら懸命に生きる子どもたち、それぞれの
“いのちの輝き”をカレンダーに込めている。

数年前、3人きょうだいについて焦点をあてたカレンダーも作った。
それから数年経た長女・ナージャが自分の子どもと写っている
写真も来年のカレンダーに出ている。

来年のカレンダーをかけるのも楽しみにしている。

子ども基金のHP「最新情報」欄に詳しい情報と申し込み先が
載っているので、まだの人はぜひ検討を。