「チェルノブイリの子どものためのリサイクルグループ“カリーナ”」という長い名前が私たちグループの正式名称だ。
ウクライナのチェルノブイリ被災者でもある少年少女合唱団「チェルボナ・カリーナ」にあやかって名前をつけた。
カリーナというのは植物の名前でチェルボナは赤いという意味。赤いカリーナの実は心身を癒す実として、昔からジャムやジュースにしてウクライナでは食されてきた。
チェルノブイリ事故により心身共に傷を負った少年少女たち。少しでも回復して健康な日々を過ごしてほしい、という願いを込めた、と合唱団を作った指導者の先生は言われていた。
日本には1996年4月に来日して以来、何回も全国で公演を行なっている。
埼玉でも98年、99年、2001年と公演を重ねた。
先日「徹子の部屋」に出演して一躍全国的に有名になった、ナターシャ・グジーもそのチェルボナ・カリーナの一員だった。
特に98年の来日時は埼玉の実行委員会がナターシャの出演を強く希望して、最初のメンバーに入っていなかったナターシャを加えてもらった、といういきさつがある。
それが今、歌手として堂々と活躍している現在につながっているねと、ときどき埼玉の仲間の間ではそのときのことが話題に上る。
話しがそれたが、我がグループ“カリーナ”は98年4月のチェルボナ カリーナ・コンサートに合わせるように、98年1月にリサイクルショップを開店。
ショップと言っても小さな本屋さんの一角を借りてのスタート。
数人で当番を決めて詰めた。
しかし、そもそも店にお客さんがこなくて、書店を閉めようかというところに借りたのだ。
お客さんはあまりこなかった。こないのでは売りようがない。
数か月でお店は撤退。で、自宅を拠点として、年に何回かのバザーを行なって救援金を生み出すことに変更。
今年のバザーはあさって土曜日。今日の午前は1回目の準備の日だった。
実は今年、メンバーの1人が引越し、我がグループは最大のピンチを迎えた。ごたぶんにもれず高齢化が進んでいるグループの中にあって一番若いSさんの引越しは痛かった。彼女の都合がつかなかったらバザーは中止か、と覚悟もした。
しかし、なんとか今年は都合をつけてくれた。今日の準備にも遠くから参加。
おしゃべりをしながらの整理・値段付けは楽しい。
この続きはあした。
1 件のコメント:
若葉さま、フェニックス証券の丹羽です。その節はありがとうございました。あらためて御礼申し上げます。グーグルのブログ仲間になっていたんですね。うれしいです。お互い更新大変ですが、がんばっていきましょう!
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