2008年6月21日土曜日

忙しかった1週間

6月は1年の救援活動の中でも一番ほっとしているときかもしれない。

4月のイベントは一大事業だから半年ぐらいは大変。

7月になると現地での一大事業のひとつ、甲状腺手術後の子どもの保養(特別保養と呼んでいる)が始まる。現地とのやりとりやらこちらからもスタッフが出かける準備やら、何かと大変になる。

ベラルーシ、ウクライナそれぞれの保養所により、期間も違うので8月も子どもたちの保養がある。

日本からはスタッフのほかにボランティアも訪れて、保養の期間中子どもたちに日本の文化や遊びを教えたりすることを、1997年以来続けている。多いときは10人以上、最近は2,3人という少ない人数になってきたが何とか続いている。この期間、子どもたちはもちろん大喜びの保養になる。

現地での保養期間中は、残っているスタッフがのんびりと夏休み、という気分にもなれず、8月が終るまでは留守番の事務局も緊張がとれない。

今年は幸か不幸か保養が縮小になったので、事務局も夏休みをとる。
子どもたちにとっては不幸なことだ。

というわけで、上半期で6月は余裕がある時期なわけだが、ニュースの発行があり、まったくのんびりとはいかない。

その上、今年は母のことで何かと時間をとられる。
昨日も編集の真っ只中だったが姉一家が来たため、事務局には行かなかった。
幸か不幸か今はパソコンのメールを使って居ながらにして仕事ができる。
朝のうちにメールで必要なものを送り、印刷の段取りをして、休んでも大丈夫という状態に。

昨日の「みんなの家」での様子はまた後で書く。

そうそう、昨日の朝は、お姑さんの世話のために引っ越していったSさんも突然見えた。
お互いの母の情報交換する間もなく、姉達が現われた。


もう一つ忙しかったのは、同じ棟に住んでいたやはり高齢の方が昨年末有料のホームに入られて、このほど家を処分するということになり、家具や食器など使ってくれる人はいないだろうか、という話が持ち込まれたためだ。2年前に夫さんが亡くなられて一人暮らしだったが、その方の前の家のIさんが何かと面倒を見ていた。我が家もそうだが、世話になるのは遠い家族(親戚)より近くの他人である。

チェルノブイリのためのバザーを行なっていることを、その家の子どもさんにIさんが伝えてくれて、少しでもカンパになるのなら幸いだ、ということになった。急きょ、何人かに声をかけて家具を見に行ったり食器を運んだりした。1人暮らしなのに、たくさんのそれも大型の家具ばかりで、私たちの仲間では引き取りたいという人はいなかった。でも食器や雑貨は気に入ったものもあり、少しずつカンパが生まれた。約5000円ぐらいだったが基金へのカンパになった。

忙しかったが、ご近所との交流もできたし、カンパも生まれたのだから感謝。

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