母は元気だったが比較的静かだった。顔を見るなり、荷物を早く運んで、と言った。
一緒に行った近所のOさんとAさんのこと、すぐにはわからなかったようだが、ややあって笑顔を見せた。
でも、こんな所にはいつまでもいられないんだよ、と。
Aさんがじゃ、どこへ行きたいの?
とたずねたら黙った。
すぐ反論するときはハイのときだが、今日はそうでなかった。
2人は15分ぐらいで帰り、私はそのあと1時間ぐらいいた。
しかし、もともと母と子の会話がある間柄ではない。
子どものころはともかく、大人になってからは4人の姉妹弟とも母との会話は多い家族ではない。だから今さら2人であれやこれや話すことがない。
そばでテレビを見たり、本を読んだりしていた。そのうち、母は横になり眠ったようだったので洗面所に立った。 帰ったのか? という母の声が聞こえた。敏感に感じ取っている。
母のところから戻って違う近所の人と出かけた。
彼女は両親を数年前に相次いで看取り、昨年、夫さんも亡くした。
両親はそんなにひどくはないが認知症だったという。夫さんは70ちょうどだったが、5年ぐらい病気がちだったせいかやはり認知症が出ていたという。
彼女が言うには、どの人も、たいがい最後は自分が「生まれ育った家」に帰りたい、と思うらしいよ、と。
母も確かにそうだ。私たちが生まれ育った家、つまり嫁いだ家の話しはあまりしない。すでに跡形もないのだが実家の話しがよく出る。私がまだ4,5歳のころ、その家はあった。かすかに覚えている。ヤギの乳を飲まされたのが嫌だった。ヤギの乳は臭い。母が帰りたい家はあそこなんだろうな~。
近所の人たちと意見交換できることで、一人で悩まなくてすむことがありがたい。
そう言えば25日は母の誕生日だった。超田舎に育った私たちは誕生日祝いなど家族でし合ったこともなく今年も忘れた。
あとからになるが何か考えようかな。
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