2008年4月30日水曜日

残務整理

イベントが終ると残務整理がつきものだ。
締め切りがあるようなないようなものだから急ぐわけではないが狭い事務局、片付けないと何かと動きにくい。

今回のイベントの中で一番頭を悩ませたのは写真の移動だった。

タクシーを使い、なんとか移動ができた。以前は会場側で、前日着の荷物を引き受けてくれたものだた、当節どの会場も引き受けない。その日、借りた時間内しかダメ、というわけだ。

あまりにも利用者のことを考えてないと思うが、嫌だったら使わなくてもいいですよ、ということになる。

何しろめぼしい会場はすぐに埋まる。小さな市民団体としてはとても1年先、2年先までの予定などたてられない。そうすると借りられる会場もおのずと限られる。

今年、交通の便のよい、シビックホールを借りられたのは運がよかった・・・・・・。

写真展会場のレイアウトを少し奥行きのあるようにと考えた結果、展示壁面が当初の予定より増えてしまい、急きょ、追加の写真を借りることになり、展示初日に走った。何とか借りることができた。ボランティアと2人で電車で運んだが重かった。その写真が入っていた箱がボロボロだったので、ボランティアのTさんがダンボールを探してきてうまい具合に作ってくれた。

24日の上映会のあと、たくさんの荷物・・・写真、本・CDなどの残りを事務局に持ち帰ったがタクシー1台に詰め込んだ。前日もそうだった。
タクシー3台ぐらい呼ぶのかと思った、と、一緒にいた友達はあきれていた。やろうと思えば何でもできるんだね、とも言っていた。

そういうわけ。
お金を出せばなんでもできる時代ではあるが、お金で買えない、知恵と工夫でいろいろできたときの、達成感は格別。

まだ細かな残務整理は残っているが、大物は片付いた。

2008年4月28日月曜日

母の家

母は元気だったが比較的静かだった。顔を見るなり、荷物を早く運んで、と言った。

一緒に行った近所のOさんとAさんのこと、すぐにはわからなかったようだが、ややあって笑顔を見せた。
でも、こんな所にはいつまでもいられないんだよ、と。

Aさんがじゃ、どこへ行きたいの?
とたずねたら黙った。

すぐ反論するときはハイのときだが、今日はそうでなかった。

2人は15分ぐらいで帰り、私はそのあと1時間ぐらいいた。
しかし、もともと母と子の会話がある間柄ではない。
子どものころはともかく、大人になってからは4人の姉妹弟とも母との会話は多い家族ではない。だから今さら2人であれやこれや話すことがない。

そばでテレビを見たり、本を読んだりしていた。そのうち、母は横になり眠ったようだったので洗面所に立った。 帰ったのか? という母の声が聞こえた。敏感に感じ取っている。

母のところから戻って違う近所の人と出かけた。

彼女は両親を数年前に相次いで看取り、昨年、夫さんも亡くした。
両親はそんなにひどくはないが認知症だったという。夫さんは70ちょうどだったが、5年ぐらい病気がちだったせいかやはり認知症が出ていたという。

彼女が言うには、どの人も、たいがい最後は自分が「生まれ育った家」に帰りたい、と思うらしいよ、と。

母も確かにそうだ。私たちが生まれ育った家、つまり嫁いだ家の話しはあまりしない。すでに跡形もないのだが実家の話しがよく出る。私がまだ4,5歳のころ、その家はあった。かすかに覚えている。ヤギの乳を飲まされたのが嫌だった。ヤギの乳は臭い。母が帰りたい家はあそこなんだろうな~。

近所の人たちと意見交換できることで、一人で悩まなくてすむことがありがたい。

そう言えば25日は母の誕生日だった。超田舎に育った私たちは誕生日祝いなど家族でし合ったこともなく今年も忘れた。
あとからになるが何か考えようかな。

2008年4月26日土曜日

4・26 原発・再処理とめて地球を救おう! 集会&パレードに参加

チェルノブイリデーは毎年4月に巡ってくる。

まず、子ども基金主催の救援イベント。これが第一。

次が首都圏の市民団体共催で4・26前後に行なう「原発止めよう」集会&パレード。

今年は六ヶ所村の再処理工場の本格稼動を目前に控えているため、タイトルに掲げたような大そうな集会名だった。

原発関連の勉強会や集会は数々あれど、なかなか参加は難しくほとんどパス。

しかし、春のこの催しと秋に行なう原子力の日に対抗した反原子力行動だけはなんとか参加している。


昨年よりは参加者は多いようだった。約100人近く?

いつも必ず付いている私服が見えない。もう、このパレードには付く必要がない、とみなされたのか。聖火リレーのためそれどころではないのか。・・・・誰もつかないというのもまた寂しい。

パレードは、目立つ横断幕や立看板があり、人目をひいたと思う。私も何かないかと押入れを探したら何と、昔子どもが小さかったころ、近所の子どもたちと描いた布がみつかった。魚やカニの絵などがかわいらしく描いてある。19年前ぐらいの作品? 【原発を止めて】【柏崎の海を汚さないで】との文字も描いてある。

千駄ヶ谷の会場に飾っておいたら、柏崎の近くに住んでいるOさんが来ていて、貸してと持っていった。彼女は集会後すぐに帰ったので残念ながらパレードにはその布(今ならバナーと呼ぶ)は参加できなかったが柏崎で使われるなら布も本望だろう。

そういえば、核燃輸送に反対して、早朝連絡があったら輸送車が通る陸橋に集まり、車に向かってアピールするために作ったのだった。何回かその役目を果たしたが、その後すっかり忘れていた。

今も、核燃輸送車は私たちのまわりを通っているはずだ。一般車に紛れて何事もないように走っている。


明日は久しぶりに母のところへ行く予定。
近所の人が一緒に行ってみたいという。

みんなで行けば怖くない・・・。

2008年4月25日金曜日

チェルノブイリ22周年救援イベント盛況!+シビック

昨夜、映画会と講演会、無事終了。
結果的には無事に、ということだが、またもやいろいろ忘れ物があり冷や汗ものだった。
何度イベントを重ねても、慣れることがない。

しかし、映画のフィルムが届いたこと、ゲストの池田さんが無事到着されたこと、あとは、ま、大したことはないのかもしれない。

直前までビラまきをしようと、お昼と夕方とシビック前に集合。
朝からの雨もその時間には不思議と止んでくれた。

入場時にも雨は小降りだった。上映中はかなりのドシャ降り。帰るころもほぼ雨があがり、天も私たちに味方をしてくれた。

小ホール9割がたは入ったと思う。入場者約280名。
初めての人、地元の人も多かった。

反面、コンサートでは久しく会わない反原発の仲間の顔も結構見られた。


文京シビックを借りたことがある人はご存知と思うが、何かと管理が厳しい。マニュアル的というかなんというか、今どき珍しいのではないか?

本日の催し物、という看板が入り口に立っていて、それを使っていいことになっている。お昼過ぎに空いていたので貼った。すぐ、2人の職員が現れて、午後はほかの方が使っていますので・・・

ホールを見てきたが企業の会合でホール前にも看板は立っていなかった。つまり看板は夜まで空いていたのだ。

夕方4じごろ、もういいだろう、と貼りにいった。しかし、同じように断られた。

私たちが借りているのは書類上は6時からになっている。しかし、空いているのに。その日、看板を見た人が夜にこようという気持ちにならないとも限らない。一人でも多く入ったほうが私たちはもちろんだが、シビック側もうれしいのではないか?

ホールも5時にはすでに空いていて、がらんとしていた。私たちスタッフやボランティア、すでにお客さんも並びはじめたのに頑としてホールを開けない。

会場のことを書き出すとキリがない、講演、映画についての来場者の感想などはまたあとで。

2008年4月24日木曜日

写真展無事終了

文京シビック展示ギャラリーでの写真展、無事終了。

今日もお客さんが多かった。

語りも人気だった。
やわらなか「語り」は講談とは、また違った味がある。
たった10分の語りがこんなに力があるとは、実際に聞いてみるまではわからなかった。若い人たちが特に語りにひかれたようだ。

ご自由に、と置いた子ども基金の古いニュースのバックナンバーもずいぶん減った。
募金箱にはカンパも入っていた。

お隣の趣味の会の展覧会は6時ごろに閉まった。
前にほかで展覧会をやったときも、私たちはぎりぎりの時間までを展示時間としたがほかのグループは早かった。それでは勤め帰りの人たちは見ることができない。平日の夜の展示なのだからなるべく見てもらいたいと思ったら8時半ぐらいまで展示しなくては、と思っている。

夜、仕事帰りに当番をやってくれるボランティアさんがいるおかげで、子ども基金は遅くまでできる。

8時半終了後、急いで片づけにかかった。
飾り付けのときにいた人は、なんと誰もいない!
その上、女性ばかり!
しかし、手際よく片付け無事梱包も終了。
シビックから神楽坂までタクシーで運ぶ予定だった。ホール前でタクシーを止めたのだがあまりの多さに何台も断られた。

でも捨てる神あれば拾う神あり。
親切なタクシーさんがいた。後ろをあけて詰めるだけ詰めて後ろがあかないように紐でとめてくれた。座席には大きな写真を入れて、足元にも置いて、3人が乗って出発。

シビックから神楽坂までは近い。あっという間に着いた。
滅多にはずまない(というか滅多にタクシーに乗らない)チップを、ほんの少しはずみ、お礼を言って降りた。

親切なと言えば、会館の施設管理の人たちも親切だった。いつもどこでもそう思うが、現場の人たちは心がやさしいと思う。展示室のすべての備品を返し、あいさつに言ったKさんに、大成功だったね、よかったね、と言ってくれたという。

明日の映画会&講演会も2日間の写真展の余勢をかって大入りになることを。

2008年4月23日水曜日

写真展、初日終了

昨日、写真搬入のため、早い時間に通勤電車に乗った。
大きな荷物を2つ抱えて飛び乗ろうとしたらマジッー? との声が。
思わずひるんでしまって、乗れなかった。
そのあと空いているメトロ直通に乗ったが少しでも早いほうにと急行のあるほうにまた乗り換えてしまった。
ドア近くしか乗れなかったのでそこでもひんしゅくをかった。
いつも通勤時をはずしたのんびりした時間に乗っているので、すっかり満員電車の怖さを忘れてしまった。

朝の失敗がに続き、いろいろミスがあった。大きな忘れ物もあり、ドタバタ騒ぎをしたが、ボランティアさんたちの奮闘により、無事展示終了。隣で趣味の写真を展示していた人たちが、親切にいろいろアドバイスをしてくださって、助かった。

お昼ごろから黒い服を着た会社訪問のような若い男女が何人も訪れた。聞いてみると、会社説明会がホールであり、その帰りにのぞいたという。「語り」も座って聞いていかれた。見るつもりでない場で思いもかけない展示に出会って、とても緊張した様子でていねいに見ていかれた。学生同士がどこの学校からきたのか、など情報交換もしたりしていた。

区職員の人たちにも前日許可をもらってチラシをまいたのだか、それらしき人はあまり見当たらなかった。

意外と地元の人が多く来られた。区の図書館で見ました。この館はときどき訪れているから、とか。

文京方面での私たちの取り組みは初めてだったが、新しい人たちがチェルノブイリと出会ってくれた・・・なんだかとてもうれしくなった。

朝のドタバタはたくさんの人が訪れてくださったことですべて帳消しに。いい1日だった。

2008年4月22日火曜日

イベント前日

メインのイベントは24日の上映会と講演会だが、明日から2日間にわたって広河さんの写真展を開く。会場は24日と同じ文京シビック1階の展示場。会館そのものは文句なく地の利がよい。設備も新しく十分に整っている。ただし、展示ギャラリーが今ひとつ目立たない。

会館の1階のレストランが営業していればまだ賑わいがあるのだが、あいにく5月までは改築工事中でがらんとしている。少しでも目立つように、通路に面したガラスに貼るポスターなどあれこれ相談。いつも看板描きを引き受けてくれるTさんと連絡がとれない。なんでも新潟の反原発の団体に呼ばれてあちらで何か描いているらしい。Tさんはいつも当日始まる直前にその場で完成、ということが多い。それに習って明日、現場で工夫しようということになった。

写真展会場に花瓶は必要ですか? と会館側。貸し出しリストに入っている。花もいいが予算がない。その代わり、事務局にはウクライナやベラルーシからもらった民芸品などがある。子どもたちがつくった手作りの作品もある。それらを飾ることに。

写真展会場では日に3回、ボランティアの方による「語り」が行なわれる。1回の時間が12分。 ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシェービッチ著 『チェルノブイリの祈り』から「消防士の妻の話」  22日(火)第1回 11:40~  第2回 12:40~  第3回 15:00~   23日(水)第1回 12:40~  第2回 未定    第3回 17:30~   ステージでスポットライトを浴びて、「語る」のも いいけど、その物語にふさわしい場での「語り」はもっと自然でいいと思う、と本人の弁。一度聞いたことがあるが写真の前ではなかった。ふさわしい場所での「語り」、聞くのが楽しみ。

メインのイベントだけでなく、いろいろ企画・実行するのは大変だが、結果的にいろいろあったほうが宣伝もしやすい。あれやこれや抜けていることがないか、気になるが、結局抜けたり忘れたりするのもいつものこと。あけるしかない。たくさんの人が来てくれることを。

2008年4月20日日曜日

アースディに行ってみました

いや~ 驚いた。
10年ぐらい前に参加したことがあるがそのころはもっと地味だった。人の多さに驚き、一般企業が参加しているのに驚き。

会場の代々木公園に行くまでにすでに驚くべきことがいくつも。

まず、原宿駅のコンコース内、人の波が動かない。狭すぎるのだ。改札をようやく出てもなかなか広い道まで行けない。駅では今日は催し物が重なったため、大変込み合いご迷惑をおかけしています、とアナウンスをしていたが、大体土日はいつもこうだという。真剣に対策を考えないと危ないのでは?

参道の入り口には黒い洋服を着た娘さんたちが多数。
写真を撮り合ったりしている。

やっと道を渡って公園沿いの歩道に入るとストリートミージュシャンが数歩おきぐらいにびっしり、という表現がオーバーではないほど。隣の音にかき消されないようにまけじと大きな音を出し合っている。

やっと目当てのアースディ会場へ。確か、核関連では共同で一つブースを出していると聞いていたがあまりのテントの数でみつけられなかった。うろうろしていたら何人か知り合いにあった。4月24日のチェルノブイリイベントを宣伝。若いボランティアのYさんと合流。会場内ではチラシ撒きは、自分のテント前と決められているとかでおおっぴらには撒けなかったがそこそこはけた。

休憩しようということで行列ができていたオーガニック料理のところへ。500円だったがこういうところでは値段はこんなもんだろうと思った。おいしかった。食器を古い布でぬぐって(主催者が用意)返すと100円も返却がきたのにも驚き。汚れをぬぐってから洗う、ということを若い人たちが知るのはいいことだ。

企業のビールも売っていたが、オーガニックビールの方に、人は群がっていた。

NGOのテントと企業のテントの区分けとかどういうことになっているか知らないが、単なるマーケットと化していかないように今後の取り組みが難しいだろうな、とひとごとながら心配になった。

26日がチェルノブイリデーの4月。4月はほかのイベントにはほとんど関われないから自分の中でアースディはひとごとになっていた。チェルノブイリ救援活動に関わっていない脱原発、反原発の人たちの参加も少ない理由が少しだけわかった。

でも、お天気がよくチラシも配り、おいしい料理とワインを飲み、音楽を聞いて、楽しかった。
一緒につき合ってくれたYさんに感謝。

2008年4月19日土曜日

映画「みえない雲」はおもしろい

チケットを預かってくれているIさんから電話がきた。
ねぇ、ねぇ、ヨードを飲む話し、出てくる?
ううん、それは出てこない。ドキュメントではないし。
でも事故のあと、放射能の雲から逃げるところとか、病気になって入院している場面とかとてもリアルだよ。
そう、じゃ、ヨードの話しが出てくるとか強調しないほうがいいわね。

Iさんはチケットを売るためにあの手この手で買わせようとしてくれているみたいだ。
それはうれしいけど、小説の映画化ということは伝えていたのに・・・
詳しくは以下のURLをみてほしいが。

この中の上映劇場というページだけ違っている。
今、劇場でこの映画をやっているところはない。
それ以外は封切りされたとき(2006,12月)と同じ。
http://www.cqn.co.jp/mienaikumo/index.html

日本の原発の状況なども表になってでている。
資料先も明示してある。
原発事故がテーマだが、若い2人の愛も重要なテーマになっている。
恋愛映画とサスペンスとあわせもった、最後まで引き込まれる映画だ。

なぜヒットしなかったのかな。
見ない前に、おもしろくないと決めつけた人たちが多かったのか?

ぜひ、まだ見てない人は大きなスクリーンでこの映画をみてほしい。

一度見た人も、ドイツ文学翻訳家の池田香代子さんの話しを聞いてからもう一度映画をみると、前回見えなかったことがきっと見えるに違いない。私も話しを聞くのをとても楽しみにしている。

2008年4月18日金曜日

東電本社交渉でチラシを渡す

首都圏に住む反原発の人たちで長年東電本社交渉なるものを行なっている。「東電と共に脱原発をめざす会」、つまり「東電共の会」と称して月1回ぐらいの割で続いている。友の会ではない、共の会。

今日は久しぶりに参加した。救援活動に関わって以来、反原発の行動にはなかなか身を入れて関われない。しかし、今日は来週の「みえない雲」上映会の宣伝を、特に東電の人たちにしたくて、参加した。共の会・世話人が流したメールから;

●日時:4月17日(木)13:30~
場所:東新ビル(JR新橋下車徒歩4分)
テーマ:柏崎刈羽原発の地震被害と事故ほか

・どなたでも参加できます。
・あらかじめ提出した事前質問に回答してもらいます。

事前質問事項
・「H20年度経営計画(3/26)」について
・「福島の耐震安全性評価の中間報告(3/31)」について
・「K-7設備健全性の中間報告」「点検・評価作業」等
・活断層調査・地殻変動
・「作業被ばく線量」について
・「流通設備の被害」について
・その他主なプレス案件(配管設計の応力解析における不備など) 
      
東京電力と共に脱原発をめざす会


久しぶりの参加者としては内容にはとてもついていけない。それでも仲間と会って情報を交換しあったり、東電側の対応に笑ったり怒ったりできて、参加してよかったと思う。

東電社員に4月24日のチラシを渡した。社員の一人は有楽町のシネカノンで上映されたとき見ましたよ。と言っていた。
ほかの人も恐縮してもらってくれた。以前だったら、ただ受け取るだけ、という感じだったが、頭を下げながらお礼を言って受け取ってくれるようになった。

東電社員7人に渡した。このうち一人でも来てくれるといいな。

*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-**-*-*-*-**-*-*-*-**-*-*-*-*
22周年救援キャンペーン 4/24文京シビック小ホール 19時~
 『みえない雲』上映+池田香代子講演会
http://homepage2.nifty.com/chernobyl_children/index.html

2008年4月17日木曜日

認知症の母は今グループホームに

4月の救援キャンペーンにあわせるように、母は近所のグループホームに入所できた。近いのでいつでも気軽に行けるというのが利点で決めた。

最初は毎日通っていたが、慣れるまでは顔を見せないほうがいいかもしれない、と施設長に進言されて行くのを控えている。でも心配なので娘に行ってもらった。

元気だったよ。お母さんがきたら荷物を運んでもらう、と言ってたよ。
どこへ?
大阪の息子(私の弟)のところに行って、ちゃんと働けるようにごはんをしてあげなくては。十条に行くとも言っていた。
錯綜しているね。


備え付けの立派なロッカーとタンスが置いてあるが、今その中はからっぽだ。

私が前に行ったときも、十条(?)に行って親戚と住む。ごはんしに行かなくては。早く荷物を運んでと言っていた。


長年住んでいた上越に帰る、とは言わない。妹夫婦が破産して、病気になり、そこには帰れないというのは何となくわかっているらしい。

我が家に約半年いた。私以上に夫がよく面倒を見てくれた。定年になり私より時間があるから。
優しいけれど無職の家にはいられない、というのが母の言い分だった。

上越にいたときから、どこかに行かなくてはならない、と荷物をまとめていた。そのときの風呂敷包みも我が家に置いたままである。片付けると怒るのでそのままにしていた。

母にとって安住の地はない。グループホームが自分の家、と思うときがくるだろうか?
ちなみにホームの名前は「みんなの家」という。

2008年4月15日火曜日

『みえない雲』上映会&池田香代子講演会まであと10日

今日は、いつもより早く9時半に事務局へ。ボランティアのRさんが午前だけということでその時間となった。
近くの公共施設、教会、お店などチェック。ポスター掲示、チラシ配布をお願いするため。Rさんはダメと思われるところに許可をもらう名人。電話かけもうまい。

その後、ロシア語のボランティアSさんが到着。週1、2回、決まった時間に来られて、黙々と仕事をこなして静かに帰っていかれる。ロシア語の仕事がないときは、パンフに訂正シールを貼ったり、絵葉書を封筒に詰めたり単純作業も黙々と素早くこなす。

その次に現れたのは大学生Tさん。彼は線を引いたり、紙を切ったりさせたらピカ一。まっすぐにきっちりと仕上げる。印刷もきれいに仕上げる。職人はだしの技を持っている。

そして今日初登場のIさん。たまたま事務局とご近所さんで、自宅から歩いて来られた。
地元ならではの顔で、ここかしこをチェック。頼もしい。今後頼りになりそう。

夕方になって仕事帰りのNさんがのぞいてくれた。今年のイベントは文京シビックホール。文京区内で仕事をされているので、ホール近くはよく知っている。昼休み、仕事帰り、チラシを配布してくれるという、やはり頼もしい存在。

普段は2人か3人でひっそりと仕事をしている事務局が大いににぎわった。こうでなくてはイベントは盛り上がらない。

いろんなところに宣伝している成果が徐々に現れている。明日になるとあと9日。まだまだチケットは余っている。間に合うか~ 心配。しかし、今日はうれしいことがあった。掲示してください、配布してください、とこちらからお願いするのだが、今日はあちらから、日にちもないからすぐに送ってと電話が。ロシア料理のお店からだった。ラジオのロシア語テキストを見たとか。チケットも1枚予約された。

チケットの予約はこちらから。↓
http://homepage2.nifty.com/chernobyl_children/concert_schedule/2008_4_24.html

母のことは常に気になっているが、とりあえず、今は24日に向けて、母について先送りしている状態。

2008年4月14日月曜日

集会でチラシ撒き

これから24日の「上映会&講演会」まで、できるだけの集会に参加してチラシ撒きに精を出す。
きょうは今話題沸騰の映画『靖国』に関するシンポジウム。メインスピーカーは森達也さん。さすが内容に対する関心の高さと森さん人気。全水道会館の会議室が満員の盛況。緊急シンポにも関わらず、
200人以上の人が詰め掛けた。

森さんは最初は稚拙すぎるレベルの問題だと思った、と語った。
刀匠の出演場面削除の問題が出てきて、これはパンドラの箱をあけてしまった、と。
受けてたつしかない、というところに。

カリヤさんのインタビューがネットで流れているが、台本を読んでいるようだ。

いったい何があったのか? 知りたい。

そもそもすべての表現はプロパガンダである。表現の本質だ。稲田議員は偏向だというが偏向は表現である。

などと語った。

                 * * * * * *

ネットに今日の声明などを流すそうなので、詳しくはそちらを探してみてください。

集会終了後、1階の出口で帰る人たちに4・24チェルノブイリイベントイベントのチラシを撒いた。用意した50枚はあっという間になくなった。この手の集会のあとはとても受け取りがよい。ただ、小さな会議室なので50枚で十分と思ったこちらの見通しが甘かった。

はじめまして

チェルノブイリ子ども基金のホームページhttp://www.smn.co.jp/cherno/index.htmlとは別に私的な事務局だよりとして日々書き連ねたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

今は、とにかくチェルノブイリ22周年救援キャンペーンの成功に向けて、1に宣伝、2に宣伝の毎日です。

今年のイベントは『みえない雲』の上映と池田香代子さんの講演会という組み合わせ。

4/24文京シビック小ホール 19時~ 『みえない雲』上映+池田香代子講演会http://homepage2.nifty.com/chernobyl_children/index.html

文京シビックホールという近年の取り組みとしてはもっとも地の利のよいところ。

平日の夜、仕事が終ってからもかけつけられる、地下鉄後楽園、春日からそのままシビックホールに入ることができる。

とりあえず、紹介して、またおいおいに内容などにふれたい。

ブログ初心者としてハンドルネームは若葉です。