大熊町から避難した友人が最初に避難させてもらったSさんのメール紹介:
(参考:原発のそばに住んでいた友人の話)
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福島原発の悪夢が始まって5日目、眠れぬ夜と恐怖の世界が依然
続いています。
大津波による電源喪失、原子炉冷却不能の事態、ベント管開放に
よる周辺環境の放射能汚染のはじまり、1F-1、1F-3、1F-2の水素
爆発、燃料溶融の開始、メルトダウンと水蒸気爆発への死の行進…。
更に、使用済み燃料プールの危機。(1F-1=第一原発1号機)
現場では、協力企業社員、東電社員が死に至る放射線を浴びながら、
必死の給水、収拾作業を敢行していますが、東電は原子炉を
コントロールできずに、
最悪の道を歩んでいるようにみえます。
ことここにおよんでも東電の情報隠し体質は変わらず、顰蹙をかいました。
政府は危機管理体制の脆弱さを露呈し、避難範囲を二転三転し
避難指示を出しました。
17万人の原発周辺住民がふるさとを追われ、隣接自治体はじめ
県内に避難するとともに、多くの人々が県外へと自主避難しています。
12日、南よりの風で双葉厚生病院の医療従事者と患者さんたちが
1F-1水素爆発で被曝し、
宮城県沖の米海軍空母艦載機の放射能汚染を引き起こしました。
13日、プルサーマル炉1F-3の火柱を挙げての水素爆発はさらに
放射性物質を拡散、15日朝、1F-2の水素爆発による放射性物質の
拡散は北よりの風に乗り、いわき、東海、首都圏へと放射能汚染を
拡大していきました。
福島原発の40年は、最悪の原発震災を現出しました。
東京電力は、自らの過信によって、海水注入による廃炉に追い
込まれました。
チェルノブイリ原発事故がそうだったように、福島原発事故は、
多大な国民の犠牲の上に、一つの国家の命運を決しようとし
ています。
かくして、「ハイロアクションオープニングイベント」は、突然
はじまり、原発の終わりとかくも深刻で悲惨なハイロの現実を
つくりだしました。
わたしたちの未来はここを超えた先にあります。
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