2011年3月27日日曜日

ハイロアクション【緊急声明】

福島のうのさえこ@宇部です。
昨日(25日)、ハイロアクション福島原発40年実行委員会の呼びかけで、
全国10か所(福島、栃木、山形、大阪、兵庫、石川、和歌山、岡山、
山口、福岡)で記者会見を行いました。

各地とも熱心な取材をうけました。

各地の皆様の温かいご支援なくしては実現しませんでした。心から感謝
いしたします。

これからも、つながりつづけ、行動しつづけます。ありがとうございました。
【緊急声明】

 1971年3月、東京電力は、首都圏へ送る電気を作るため、福島の地で、
原子力発電を開始しました。以来40年間、私たちは、巨大な事故発生の
リスク、放出され続ける放射能が環境と生物に与える影響、そして残される
核のゴミなどについて、不安を抱えながら暮らしてきました。

 これまでたくさんの福島県民・国民が、原発の危険性について警鐘を鳴らし、
事故へのより根本的な対策と、情報の公開、県民への説明会の開催などを
求め、プルサーマルをはじめ、設計寿命を超えた老朽原発の酷使など、危険を
増大することに対して反対してきました。

 3月11日、危惧されていた原発の大事故が、現実のものとなってしまいました。

 原発震災発生から2週間、私たちは混乱と恐怖、故郷と生活を失いつつ
あることへの悲しみと憤りの中で、生き延びる道を探しています。
この危機的状況において、以下のことを緊急に実現することを、国、自治体、
および東京電力に対し要望し、皆様のご協力を呼びかけます。

1、子どもと妊婦の一刻も早い避難を実現してください。

 放射能の影響を最も深刻に受けるのは、胎児と成長期の子どもたちです。
未来を担う世代の健康と生命を守るため、政府は、被曝の危険の高い地域
から、一刻も早く遠方へ安全に避難できるようにしてください。屋内退避を
余儀なくされている30キロ圏内および、すでに高い空間線量が計測されて
いる地域、風下になりうる地域などを優先して、避難を実施してください。

2、一層の被曝を避けるため、避難区域を拡大してください。

 現在、避難区域は20キロ圏内に限定されていますが、すでに50キロ離れた
福島市内でも通常の400倍の線量が確認されるなど、放射能汚染は大きく
広がっています。
 しかし、政府からの避難指示がないため、多くの県民は学校や職場から
離れることができず、被曝の危険にさらされています。

 政府および自治体は、実際の放射能汚染の状況、気象条件、今後のより
深刻な放射能汚染のリスクなどを十分考慮し、抜本的に避難区域を拡大
するよう求めます。

3、安全圏への移動ができない住民の生活を支え、放射能の危険から身を
守るための正しい情報と物資の提供を早急に実施してください。

 避難するかとどまるかを選択するために必要な情報が十分にない、高齢や
健康上の理由で移動できない、移動できない家族を置いていけない、避難区
域ではないため職場を離れられない、そして愛する故郷とこれまで築き上げた
生活のすべてを置いていけない、等々の理由で、今も福島県内には、たくさん
の県民が不安を抱えながら暮らしています。

 今、私たちが必要としているのは、パニックを起こさないための不正確な
情報に基づいた「偽の安心」ではありません。正確かつ詳細な情報が必要
です。
まず、外部被曝と内部被曝を明確に区別し、内部被曝の危険性についての
正確な情報を提供してください。
 
水・大気・食物の放射能汚染に関して現在流されている情報は、急性障害と
晩発性障害、内部被曝と外部被曝を混同していることが多く、これでは、私
たちが自分の状況を適切に判断し行動選択することができません。
 また福島原発の状況のリアルタイムの情報、特にドライベントなど大規模な
放射性物質の拡散がある場合の予告、爆発のリスクに関する現実的な予測、
そして詳細な気象情報とそれに基づく放射性物質の拡散のシュミレーション
などを、県民および国民に伝えてください。

 また、遠方への避難ができない住民は今、正しい情報と生活に必要な
物資が届かず、孤立しています。
 こうした人々の安全が守られるよう、生活に必要な物資と放射能被曝
から最大限身を守るための正確な情報と防護用品を政府、県、東京電
力の責任において、確実に届けてください。

4、福島原発10基は廃炉にしてください。

 国と東京電力には、未来の世代も含めた県民と国民の健康と安全、
そして国土の保全を最優先に、この原発事故終息へ向けての全力の
対応をお願いします。

 私たちは、このような悲劇を生み出す原子力発電所と共存する
ことはできません。
国と東京電力は、福島原発10基全てを、これ以上放射能汚染を拡散
させない方法で廃炉にし、永年にわたり責任をもって安全に管理する
ことをお願いします。

5、全国の原子力発電所および核関連施設の停止、国の原子力政策
の抜本的見直しをしてください。

 次の巨大地震がいつどこにくるのかは分かりません。しかし、その日は
確実にやってきます。3月11日、私たちが経験した恐怖と「間に合わ
なかった」という無念の想いを、他の地域の人々が再び経験することが
あってはなりません。
 国と電力会社、各自治体は、最新の知見と予防原則に基づき、一刻も
早く今稼動中の原子力発電所を停止し、最大限の原発震災防災対策を
講じてください。

 国策として原子力発電、核燃サイクル政策を推進してきた国と東京電力
ほか関連事業者は、このような過酷事故を引き起こしたことに対し深く
反省し、国民に謝罪し、原子力政策の脱原子力への転換をもってその
巨大な責任を少しでも果たすことを望みます。

 今回の震災・津波・原発事故において、全国と世界の皆様からの温かい
ご支援に心から感謝いたします。また現在も続く福島原発事故の鎮静化の
ために、生命の危険を冒しながら必死の活動をされている方々へ最大の
感謝を申し上げます。

 この原発震災によって払わされる多大な犠牲を無にしないために、全ての
人々がさらに何らかの行動を起こしてくださることをお願いします。

 全国のみなさん、私たちの故郷福島に起きている現実を、どうぞ注視し続
けてください。放射能に県境も国境もありません。私たちと未来の世代の
健康と生命を第一に考えた選択をするために、正しい情報の公開と、
必要な国・自治体の対策を求める声をあげてください。

 核が引き起こす現実、この悲劇を引き起こした私たち社会の現実に、
全ての人々が直面することからしか、未来への希望は生まれません。

 震災・津波の被害を受けた東北各地の人々、そして放射能被爆の
危険を共有する全国民、全世界の人々とともに、この厳しい現実から
逃げることなく、被害を最小限にとどめ、今後同様の過ちを犯すことの
ないよう、人類の勇気と叡智を結集することを呼びかけます。

 2011年3月25日 ハイロアクション福島原発40年実行委員会

2011年3月25日金曜日

ハイロアクション福島原発の記者会見

ハイロアクション福島原発の記者会見を全国でいっせいに
行うという連絡を大熊町から避難しているOさんから連絡があった。
県庁所在地で仲間をサポートしてくれる人を探している。


◎県と◎県はまだみつかってないから知っている人がいたら紹介してと。
最初聞いたときは、よく内容が理解できなかった。

こういうことだったのだ。

全国に散らばったハイロアクション実行委員のメンバーが
それぞれの地の県庁所在地で記者会見をするという。

私の住む、埼玉は? サポートしてくれる人みつかった?
さいたまアリーナに原発立地町の双葉町から
町役場ごと、避難してきている。

でも、埼玉には実行委員は行ってないから。
じゃ、三重は? 三重は知っている人いるよ。

三重には実行委員がいるのだけれど小さい子を抱えているから
行動は無理らしい、と。
だから、何県でどんな内容を言うのか?
会見が楽しみだ。
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以下、山口県の場合

現在進行中の福島原発震災に関して、
福島県民有志「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」が、
記者会見を行います。
取材・報道をお願いします。

山口県マスコミ関係者のみなさま


私たちは、福島県民有志による「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」です。
この会は、福島第一原発1号機が設計寿命である40年を迎えるのを機に、
廃炉と廃炉後の社会について真剣に考え全国に発信していこうと昨年11月に
結成されました。来る3月26日、27日には、そのオープニングイベント
「ふくしま原発40年とわたしたちの未来」をいわき市で開催する予定でした。

希望の持てる「ポスト原発社会」を構想しようと、日々準備に奔走する中、
今回の福島原発震災が起こりました。
「廃炉の時代」がこのような幕開けとなったことは本当に悔しいです。
しかし、核が引き起こす現実、この悲劇を引き起こした私たち社会の現実に
すべての人々が直面することからしか、未来への希望は生まれない、そこに
こそ希望がある、ということに変わりはありません。
ハイロアクションとしては、県内にとどまるメンバーとともに救援活動に
手を尽くしつつ、今福島で起きている現実を全国へ向けて発信していく
ことが、現在の使命と考えます。
福島原発40年となる26日の前日、3月25日(金)に、全国に散った
ハイロアクション実行委員を中心に、全国各地で記者会見を行います。
つきましては、取材・報道をよろしくお願いいたします。
ハイロアクション福島原発40年実行委員会 

         記

日 時:2011年3月25日(金) 13時~

場 所:山口県庁記者クラブ
内 容:ハイロアクション福島原発40年実行委員会による声明「福島原発震災」
発表:ハイロアクション福島原発40年の今後の取り組みと協力のお願い
福島県民から山口のみなさんへのメッセージ
私も福島県庁に行き記者への投込みをしてまりました。
ただ福島県庁は、一部に被災があり、隣の自治会館を
仮住まいとして対策本部を立ち上げていますので手狭の中騒然と
しておりました。大会議室を仕切りもなく国、県、自衛隊が混在し
復興業務にあたっております。
記者室も廊下に机と並べ椅子さえない中での作業です。

明日の発表文はまだ公表できませんが、1府8県で行う予定で
あります。皆さんお子さんを連れやもうえず避難されたかたが、
避難先で皆さんの応援のもと、開催できる手はずになりました。
南総里見八犬伝では、ありませんが各地で行動を起こす志士たちを
これからも応援してください。

ハイロアクション実行委員

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2011年3月18日金曜日

福島原発20-30キロ圏内から避難した人たち

15日に「その友人の友人の話」を載せた。

友人の友人、Yさんは、まだ原発近くにとどまっている友人、知人のことを心配している。
16日にもらったメールから:
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

20-30km圏の外にある避難所にいる友人から電話があった。

「どうしてる?」

「牛の餌をやりに行って来た。(自宅は20-30km圏内)
ガソリンがないから入れに来たけどすごい行列。
買い物行っても、歯ブラシ一本買えない。
避難所の食事はおにぎり一個程度。
工場だから炊き出しなんかはない。
今日はサトウのご飯で味がなくて食べれなかったよ。
昨日はラーメン屋さんがトラックで来て、2000食作ってくれた。
すごい時間かかったけど、温かいものがないからうれしかった。
20km圏内の養鶏所にはまだ人が留まって、従業員も通っている。
避難所には赤ちゃんもこどももたくさんいる。」

「何とか移動できないの?」

「息子のところは、彼女のおばあちゃん達が先に避難してきてるし、
動くといっても年寄もいるしなぁ。」

牛を見殺しにできないのもわかっている・・・。
相変わらず、テレビでは
「直ちに人体に影響を及ぼすレベルではない」を繰り返す。
直ちに影響なければ、後で何があっても「因果関係は認められない」

というつもりなんだろうか。
今日は福島県のHPになかなか繋がらなかった。
やっと繋がって、県内の放射能測定値をチェック。
まだ移動ができないというほどのレベルではないか。
でも、避難所があるあたり20-30km圏の観測点はない。
まさか測定してないのだろうか、公開しないだけだろうか。

気になっていたらニュースで可搬性モニタリングポストの測定値を発表していた。
最高で福島第一原発から西北西25kmで80マイクロシーベルト

「数日間いても影響のない値」

数日間って何日?
その間に事態を沈静化できるのか?

20-30km圏の親戚宅に避難している知人に電話する。
孫娘は6歳でうちの息子と毎日一緒に幼稚園に通っていた。
子どもだけはなんとか移動してと言っていたが、まだ一緒だった。

「動けないの?」

「ガソリンはなんとかある。」

「とりあえず、西に向かったら、避難所情報調べて伝えるよ」

「心臓の悪いおばちゃんも一緒だ。
行き先の状況がわからなくては動けない。」

「あいりとママとお兄ちゃんだけでも動けない? 」
「・・・・・・・・
いざとなったら、みんなで動くから」

ぎりぎりって。私もわからない。

「ぎりぎりになって、みんなが一斉に動いたらそれこそパニックだよ
動ける人から動かなくちゃ」
個々に避難を呼びかけてもパニックを招くだけかとも思う。
そう思って、なんとか避難地域を拡大して、行政で移送を手配できないか、
他府県にも協力を要請して・・・と思い続けているが・・・

どうしたら、実現できる?

何とかならないのか あぁ、あまりにも無力。

県外の市町村が次々避難所開設を発表してくれている。

結局個人で行くしかないのか???

2011年3月17日木曜日

福島「ハイロアクションオープニングイベント」

大熊町から避難した友人が最初に避難させてもらったSさんのメール紹介:
(参考:原発のそばに住んでいた友人の話

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福島原発の悪夢が始まって5日目、眠れぬ夜と恐怖の世界が依然
続いています。
大津波による電源喪失、原子炉冷却不能の事態、ベント管開放に
よる周辺環境の放射能汚染のはじまり、1F-1、1F-3、1F-2の水素
爆発、燃料溶融の開始、メルトダウンと水蒸気爆発への死の行進…。
更に、使用済み燃料プールの危機。(1F-1=第一原発1号機)

現場では、協力企業社員、東電社員が死に至る放射線を浴びながら、
必死の給水、収拾作業を敢行していますが、東電は原子炉を
コントロールできずに、
最悪の道を歩んでいるようにみえます。
ことここにおよんでも東電の情報隠し体質は変わらず、顰蹙をかいました。

政府は危機管理体制の脆弱さを露呈し、避難範囲を二転三転し
避難指示を出しました。
17万人の原発周辺住民がふるさとを追われ、隣接自治体はじめ
県内に避難するとともに、多くの人々が県外へと自主避難しています。
12日、南よりの風で双葉厚生病院の医療従事者と患者さんたちが
1F-1水素爆発で被曝し、

宮城県沖の米海軍空母艦載機の放射能汚染を引き起こしました。
13日、プルサーマル炉1F-3の火柱を挙げての水素爆発はさらに
放射性物質を拡散、15日朝、1F-2の水素爆発による放射性物質の
拡散は北よりの風に乗り、いわき、東海、首都圏へと放射能汚染を
拡大していきました。
福島原発の40年は、最悪の原発震災を現出しました。
東京電力は、自らの過信によって、海水注入による廃炉に追い
込まれました。
チェルノブイリ原発事故がそうだったように、福島原発事故は、
多大な国民の犠牲の上に、一つの国家の命運を決しようとし
ています。

かくして、「ハイロアクションオープニングイベント」は、突然
はじまり、原発の終わりとかくも深刻で悲惨なハイロの現実を
つくりだしました。
わたしたちの未来はここを超えた先にあります。

2011年3月15日火曜日

福島原発震災~少しでも遠くに離れること

昨日、福島原発の近くに住んでいた友人の話を載せた。

今日はその友人の友人の話。

避難した人、まだしない人・できない人、それぞれにドラマがある。

   ・・・・・・・・・・・・以下、転送・転載可・・・・・・・・・・・・・・
〔現在、福島原発近くから神戸に避難しているYさんより〕

ますますひどくなって行く状況を見るにつけ、本当に心がざわざわしてしまい、
なかなかメール送れませんでした。

我先に逃げ出した罪悪感を一生背負って生きる位なら、潔く残る強さが
ほしかったと、心が潰されてしまいそうですが、今ここで出来ることを
必死に考えたいと思います。

20-30kmの屋内退避勧告が出てしまい、あぁ、遅かったか、そうなる前に
できればよかったと思いますが、今からでも、さらなる避難手段を整えるよう
要請できないかと思います。

以下は屋内退避勧告が出る前に書いていた内容です。

私はこちらから、子どもを持つ友人に何とか離れてと連絡していましたが、
仕事や家族などの事情や道義的な理由で留まることを選んだ人たちもいます。

そして、今はもうガソリンがないなど、移動の出来る状態ではないようですし、
個人レベルで動いてもますます混乱を招く状況だと思います。

原子力安全・保安院は20km圏外はただちに健康に被害を与える状況では
ないを繰り返していますが、今の状況でどこまで離れればいいかはともかく
として、長期的なことを考えてもとにかく少しでも遠くに離れることが大事
なのではないかと思います。

今は比較的近隣の自治体で避難地域の人たちを受け入れていますが、
新潟県や、福島県でも会津地方の自治体などに、受け入れを
表明していただいて、バスを出すなど、なんとか混乱せずに
なるべく効率的に早く避難できるようにできないでしょうか。

道路が寸断されているところも多いので、いわきには船で迎えに行く、
電車をなるべく早く復旧させて、避難のための専用列車で移動させる
方法を検討してほしいものです。
(電力不足で運行できない場合は他を停電にしてでも、避難専用列車運行)

これを個人のレベルでそれぞれに呼びかけるよりも、
すでに実績のある団体から呼びかけてもらった方がよいのではと思います。
(災害対策本部に?どこにどういう風にかも含め)

私の混乱した頭では、自分の考えが正しいのか、また現実的な実現性は
どうかなど判断できませんので、どうか、力を貸してください。

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2011年3月14日月曜日

福島原発のそばに住んでいた友人の話

双葉郡大熊町に住むOさん。
どうしたかな?

心配はしていたが、連絡はつかないだろうし、つくかもしれないけど
緊急の人たちの回線を使っては悪い、と思って
連絡をとる試みはしなかった。

そろそろ落ち着いたか?
いや、状況はどんどん悪くなるのでもう、聞かずにはいられない。
携帯に電話を入れてみた。

1回目つながらず。
2回目呼んでいたがつながらず。

数分後にOさんのほうから電話があった。

いつものような元気な声。
あ、元気だった?

でも聞いていくうちに・・・

【福島第一原発が危なくなり、どうなるか心配だった。
放射能も出るかどうかまだわからないときだったが、
誰とも連絡がつかず、とにかく情報もほしいから電波の届く
ところに行こう、といわき市まで車を走らせた。
避難勧告が出る前のこと。

でも、車が進むうちに、道路があちこちずたずたになっており
これは、戻れないな、と思った。
いわきのSさんの家に行った。1泊させてもらった。

いわきは断水が続いている(停電も?)。
そんな場所で貴重な水と食料をわけてもらうのは心苦しい。
那須の知人の家に避難することに。
Sさんも誘ったが、彼は自治体の議員で、やらなければ
いけないことがたくさんあるから残ると。

今は那須から電話している。
電気・携帯はつながるが、ここも断水している。

すぐに戻るつもりで家を出てきたからご近所の人に
あいさつもなにもしてこなかった。
犬も置いてきてしまった。

と話しながらも何度も声が詰まった。

老人施設に入っていたKさんはどうしたかな。
避難しているとおもうけど、在宅のお連れ合いとは
はなればなれだと思う。
落ち着いたら、必ずKさんのところを尋ねたい。

体が弱いIさんはどうしたかな?
お孫さんと一緒に避難したと思うけど。

郡山の友達は最初は大丈夫、と言っていたが
今はもう、放射能が多く放出されているしこれからも汚染がひどくなる、
と認識して避難すると言っていた。
会津若松にいる娘や孫も連れて避難したと思う。

ごめんね、何度も泣いてしまって。
こんな遠いところまで来てしまって。
あの風景、あの温泉、もう二度と戻れないと思うと涙が出る。
犬猫を見るたびに涙が出てしまう】

聞くほうももらい泣き。

下の子どもがまだ小学校に上がらない前、
富岡町に私も何度か行った。
Oさんも一緒だった。
福島2-3の事故のときだ。

久しぶりに今月末には首都圏の友達と連れ立って
福島に行く予定だった。


【ハイロアクションは間に合わなかった!!
老体に鞭打って、30年超えてもう40年、さらに60年でも・・・
と許可したのは誰だ!!
泣けてくる・・・ 】
        
上記は富岡町や大熊町にアパートを借りてまで福島に
通ったAさんからのメール。

ハイロアクション 福島原発40年

☆福島原発40年とわたしたちの未来☆


すてきなホームページを立ち上げ、
Oさんともう一人の若い女性とが実行委員会の
中心だった。

今ホームページをのぞいてみたら3月8日の更新が最後だった。
「アロハDEハイロ♪ はこんな感じ」と
楽しそうなタイトルが踊っていた。

3日後に巨大地震が人々を、原発を、襲うとは夢に思わず
ホームページを更新したのだろう。


わたしたちの未来は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2011年3月12日土曜日

福島第一原発で原発震災発生!

ついに恐れていたことが起こりました。

どうなるのでしょう?

再臨界になったらチェルノブイリか、とも言われています。

広河さんのツイッターにも少し福島原発のこと
出ています。
池田香代子さんのツイッター
一番リアルな情報が流れています。

NHKをずっと見ていましたが
原発の火災について、らしい、とか、具体的なことばがなかなか出てきません。
原子炉の建屋かどうかわかりません? 
ばかなこと言うんじゃないよ、と思います。
素人じゃあるまいし。

NHKでは流れてない、爆発のときの映像が
NNN系列で流れていました。

政府発表は今、詳細は調査中とかとぼけたことを言ってます。

JAN JANには福島原発について今までの情報も含めた
記事が載っています。

<原発>特集・・・・必ずここに登場

JAN JANブログトップ

爆発の瞬間の映像も流れてきた
            http://bit.ly/geNhQp



以下のお知らせ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2011年3月12日 20時より


特定非営利活動法人原子力資料情報室
自由報道協会

本日20:00より
福島原発に関する緊急共同記者開催

福島第一、第二原子力発電所の10機の原子力発電所で、いったい
何が起こっているのか。今後どんな危険性が迫っているのか。
政府・東京電力は、事故状況の詳細について公表せず、
「専門家」のコメントも的はずれと感じませんか。
私たちは、原子力発電所の設計を行っていた技術者も交えて、
原子力発電所の基本的な仕組みや設計方法から、福島の原発の深刻な状況、今後
の安全確保対策等の問題について、詳しくお話させていただきます。


【発言者】
上澤 千尋(原子力資料情報室・原子力安全問題担当)
後藤 政志(柴田 宏行) 東芝・元原子炉格納容器設計者
田中 三彦(日立バブコック・元原子力圧力容器設計者・サイエンスライター)
海渡 雄一(弁護士・浜岡原子力発電所運転差止弁護団)
伴  英幸(原子力資料情報室・共同代表)

【記者会見会場】
原子力資料情報室
http://www.cnic.jp/map.html

★ビデオニュース・ドットコム( http://www.videonews.com/ )の
Ustream中継で記者会見をご覧いただけます。

【共催】
特定非営利活動法人原子力資料情報室
自由報道協会

【問合せ】
原子力資料情報室 http://www.cnic.jp/ 
住所:〒162-0065 東京都新宿区住吉町8-5曙橋コーポ2階B
電話:03-3357-3800 FAX:03-3357-3801

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2011年3月8日火曜日

伝達のちから

今日は寒かった。
朝から雪が降り、母のところへ行くのはパスしよう、と思ったが
昼過ぎから小ぶりに。その後、ほとんど降ってないような
感じにになり、自転車で出かけることにした。
駅前を通るのだが、なんと、タクシーが2台も止まっているではないか。
スーパーに自転車を置き、迷うことなくタクシーに乗った。

自家用車を持ってないので、タクシーに乗ることに罪悪感はない。
それなりに利用したいと思っているのだが、
それが結構難しい。

母のところは遠いから、天候の悪い時など利用したいが
まず、駅前にタクシーが止まっていることはめったにない。
通りでも拾えたことはない。
小さい駅で、タクシーが通るような道路でもない。

呼べばいいのだが、呼んでまで乗るのは
病気でもない限り、気が引ける。

そんなわけで、まだふかしたてで温かいサツマイモを
持って、タクシーに乗った。

12時も3時のおやつの時間も終わった時間だったので
どうかな? と思ったがあげていい、といわれ
ほかの人たちにもサツマイモをあげた。
みんな大喜び。
ちょっと小さすぎたかも知れない。
でもカロリー計算しているところに余計なものを
あげるのだから。

さて、本題。

今、俳優のいしだ壱成さんのブログが評判になっている。
2011-03-04 いしだ壱成blog「今だからみんなで考えたいこと」


少年の時、母親と体験した四国・伊方原発反対運動についての
記憶と訴え。
かすかに記憶があるが、出力調整実験に反対する運動。

私自身、その活動には加わっていなかったが、後に知り合いになった
脱原発運動の人たちが何人も四国に行っていた。

その現場にいた人なんだ、いしださんは。

彼のブログへのコメントがまたすばらしい。

知らなかった、ありがとう、という声が圧倒的。

さきほどのぞいたら、すでにコメントが100人を超えていた。

たくさんのツイッターをとおして一気に広まっているらしい。

すごいいきおい。

いしださんのブログを紹介してくれた人がこう書いていた。

「個人は、今すぐ伝えたいことをテレビや新聞に働きかける事を
あきらめつつあり、twitterをはじめとするインターネットを
うまく利用して伝えるという状況がすごい勢いで広まっている」


すごいいきおいで読まれているブログをもうひとつ紹介したい。

池田香代子さんのブログ

3月7日のブログ
NHK「死刑執行 法務大臣の苦悩」 ダメな人

重いテーマだが、NHKのETV特集をみて、きっちりと検証している。

軽々しく抜粋はできない。
読んでもらうしかない。

その池田さんは最近ツイッターを始めた。
登録してなくとも読むことはできるのでときどきのぞく。

目が点になるこんなやりとりが。

「シュワ州知事、国交大臣時の前原に高速鉄道誘致をもちかける。
前原と菅、特別会計から2兆円でカリフォルニア州債を買う。
数ヶ月後、建設計画が中止。2兆円は加州公務員の給与支払いに
使われる。償還80年後?」

「去年11月は30年物米国債時価30兆円の償還時期だったのに、
あっさり買い換えたみたいですね。他にも私たちの知らないところで
いっぱいむしられているのでしょう。どうして日本は米国の
キャッシュディスペンサーに甘んじなければならないなのか、
うー、謎です。」

シュワさんがさっさと知事を辞めたのも

州の運営がうまくいかなかったから?

前原さんがさっさと大臣を辞めたのも
ボロが出ないうちに?

マスコミでは知ることのできない情報をネットで知ることができる。

2011年3月6日日曜日

武蔵野市民学校3月上映会の案内

またもや第一土曜日と日曜日の上映会は終わってしまった。

今日の2本は見ることができた。

でも1本目のバッハはあまりに音楽が心地よく、
気持ちよく寝てしまった。

2本目はすさまじい映画だった。
寝るどころではない。

☆以下、会場はすべて志木・柳瀬川図書館2F 視聴覚室(東上線柳瀬川駅徒歩4分)

【アジア映画の魅力③中国編】3月5日(土)
『菊豆』1990年、カラー、98分 開始13:10~

『初恋のきた道』2000年、カラー、89分 開始15:20~

【世界名作映画の旅シリーズ④ドイツ編】
<音楽好きの人のための名作映画特集>
3月6日(日)『アンナ・マクダレーナ・バッハの年代記』1967年、B&W、94分 開始13:10~
 ◆ドイツ映画批評家賞
監督・脚本・編集;ダニエル・ユイレ、ジャン=マリー・ストローブ
出演;グスタフ・レオンハルト クリスティアーネ・ラング
演奏;ウィーン・コンチェントゥス・ムジクス バーゼルスコラ・カントルム
    ハノーファ少年合唱団
                       
『4分間のピアニスト』2008年、カラー、110分 15:05~
監督;クリス・クラウス

【日本名監督シリーズ④小津&溝口監督】
3月12日(土)

『東京の夜』1933年、B&W、47分 開始13:10~
監督;小津安二郎 出演;岡田嘉子 江川宇礼雄 田中絹代 奈良真養

『滝の白糸』1933年、B&W、98分 開始14:20~

監督;溝口健二 原作;泉鏡花 出演;入江たか子 岡田時彦 菅井一郎 浦辺粂子

【ポーランド映画の全貌シリーズ⑮戦後編Ⅳ】
3月20日(日)
『マテウシュの生活』1968年、B&W、90分 開始13:10~
制作;国際映画大学集団「ヴィトルド」
監督;ヴィルド・レスチンスキ

『尋問』1982年、カラー、118分 開始14:20~
◆カンヌ映画祭主演女優賞
制作・総指揮;アンジェイ・ワイダ

【戦後日本名作映画史シリーズ】⑱’
3月21日(日・祝)
『椿三十郎』 1962年、B&W、96分 開始13:05~

監督;黒沢明 原作;山本周五郎 
出演;三船敏郎 仲代達也 加山雄三 入江たか子

『私が棄てた女』1968年、パート・カラー、122分 開始14:55~
監督;浦山桐郎  原作;遠藤周作  音楽;黛敏郎
出演;河原崎長一郎 小林トシエ 浅丘ルリ子 江守徹

【アジア映画の魅力シリーズ④イラン&トルコ編】
3月27日(日)
『トラベラー』 1974年、B&W、72分 イラン映画 開始13:10~
監督;アッパス・キアロスタミ 出演;ハッサン・ダラビ マスード・ザンドベグレー

『少女ヘジャル』 2000年、カラー、119分 トルコ映画 14:40~
監督;ハンダン・イペクチ 出演;ディラン・エルチェティン シュクラン・ギュンギョル

参加費:無料

主催:武蔵野市民学校 Tel/Fax 048・481・0929(兼岡*電話番号変更)

2011年3月1日火曜日

『オレの心は負けてない』3・1埼玉集会に参加

いい映画だとは聞いていた。

在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい
『オレの心は負けてない』

今日は朝早かったし
絶対に眠るのではないか、と
確信に近いものがあったが
チェルノブイリ救援4月イベントのチラシを配りたい、という
思いもあり、雨の中参加した。

同じ県内でも、うらわ方面は交通が不便。
都内にでるほどの時間がかかる。

でも、行った甲斐があった。
まったく眠らなかった。
なぜか?

宋神道さんの魅力に圧倒されたのだ。

タイトル通りの人だった。

かつて私の住んでいいた田舎でも自分のことは
女も子どももオレと言っていた。

「私」と言うようになって久しいのだが、
この映画のタイトルを見たとき、
すごく懐かしい気持ちがしていた。

だから親近感は抱いていた。

それ以上はロクに映画の内容について知らなかった。

主催者の一人が、何度見てもいい映画だ、と言っていた。

映画の中に登場してくるジャーナリストの川田文子さんの
お話もあったのだが遅くなるので冒頭だけ聞いて失礼した。

冒頭、川田さんは何度見ても涙がでる、と。

2人の娘さんの「子育てと、裁判と、大変な日々が思い返されて
だから涙がでるのかな? と映画を見ていて感じた」と言われていた。
裁判を始めたとき、下の娘さんはまだ保育園だったそう。


初めて映画を見る私はもちろん、何度も涙があふれた。
でも、思わず声がでるほど笑う場面も何度もあった。
深刻な話なのに、ユーモアたっぷりの宋神道さん。

けなげに、たくましく、生きてきた宋神道さん。

人間不信の塊のようでもあった宋神道さん。

映画の最後の場面で「支える会」の人たちと
出会って、私は今が幸せだと愛犬と散歩している姿が
印象的だった。

どんなにいい映画か、どんなに宋神道さんが素晴らしい人か、
とにかく映画をたくさんの人たちに見てもらいたい。

特に政治家はすべて見るべし。