2010年5月2日日曜日

「戦争孤児の心の闇」を読んで

昨日読んだ、日本の戦争孤児のことが
頭から離れない。

石川逸子さんが発行されている小冊子『ヒロシマナガサキを考える』(4・15発行)に「戦争孤児の心の闇」(金田茉里)が載っていた。
私には衝撃的な内容だった。

日本の戦争孤児に思いを馳せたことがなかった、と改めて思った。


戦争孤児を知っているか、夫に聞いてみた。

小学校か中学校のころ、上野に遊びに行ったとき、
孤児がたくさん、地下道にいて、怖かった。

あのころだからブルーシートも段ボールもなく
そのまま寝転がっていた、と。

昭和19年生まれの夫。
敗戦の20年に幼な子だった子らが、夫が見たという孤児か?
小学生ぐらいの子もたくさんいた、という内容と
年齢がどうも一致しないが、
でも、何回も見た、と言っていた。

私の生まれた新潟の片田舎では、空襲も受けていないし、
まして孤児の話など、まわりでは聞いたことはない。

東京に出ていた父親のきょうだいが家族を連れて
疎開してきたということは後から聞いて知っているが、
空襲にあって命を落とした人や孤児になった親戚はいなかった。

靴磨きの孤児の話などは、物語りの中の話として記憶しているだけ。

中国残留孤児の話は、ラジオ、テレビ、新聞で報道されている
範囲で知っているが、日本の孤児の話はあっただろうか?

いや、あったには違いないが、自分の心の中ではまったく
抜けおちていた、ということに、内容以上に衝撃を受けている。

そして、それは過去のことを知らなかった、だけにとどまらず
今現在も戦乱の地に孤児がいて、さらに孤児が生み出され
続けているという現状を思い、暗澹とした気持にならざるを得ない。


今日は孫の1歳の誕生を祝って、昼食会があった。

大人8人の前に子どもが一人。
手を叩いた、笑った、と言ってはよろこぶ大人たち。

かわいい孫を前になんだか素直には喜べなかった。

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「戦争孤児の心の闇」(金田茉里)
 <小見出し>
 親の死の受け止め方
 親戚、知人、養子先で。差別された子どもたちの心理的虐待
 浮浪児の生活、地獄をはいまわる
 孤児収容施設での生活、国方針は養子に出すことだった
 学童疎開中に孤児になったもの
 孤児施設には2つの在り方があった。(鉄の格子と愛の監視)
 身売りされた孤児
 働ける年代になって。貧困、偏見をうける
 差別、偏見
 追悼碑問題 大きいしこりを抱えている
 晩年になって離れない恐怖心

東京大空襲訴訟
金田さんたちがわずかな預金を切り崩して提訴している理由
 第一 空襲死者の追悼碑の建立
 第二 戦争障害者、戦災孤児の救済
 第三 空襲を歴史に残し、戦争御できない国にするため
 
戦没者遺族年金は平均年間300万円~400万円。
孤児はゼロ円。
空襲で顔にケロイド、指が折れ曲がっても障害者に該当されない民間人。
かたや軍人は同程度の障害で年505万円の支給を受けている。

と石川逸子さんは書いている。

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