友の死はどう考えても早すぎる。悔しい。
初めて彼女と会ったとき、大きなイヤリングをつけていた。
自遊人? だと思った。
祭壇のわきにはご家族、親族の生花に混じって、私たちの
「東電と共に脱原発をめざす会」
「チェルノブイリと核の大地写真展事務局」
2つの花が、そして「原爆絵画展実行委員会」の花も飾ってあった。
首都圏の人たちと共に脱原発市民運動を続け、新座にあった「写真展事務局」では週1回の当番をこなし地元では地域の人たちと共に長年にわたって夏は原爆絵画展、冬は核・イラク・アフガンなどの写真展を開いていた。
「原発止めよう埼玉連絡会」の事務局としてニュースレターの発行も続けてくれた。
イラストが得意で文章も的確にまとめてくれたのでチラシづくりには欠かせない人だった。
(上のイラストは3月、長女の結婚式のために彼女が書いたもの)
イベントにおいては器用さを生かして衣装手作り、子どものころ習ったバレエも生かして演劇や踊りなど、企画実演をした。
ただ世の中に怒るだけでなく、いつもユーモアをもって楽しむことを忘れない人だった。
気心の知れた脱原発の仲間は私にとって、身内に勝るとも劣らないほど大切な人たちだ。
その一人を失った。
彼女と同じ柏崎出身の仲間から
「これから原発に依存しない地域づくりに私たちも具体的に何か出来そうな可能性が出てきたところでした。彼女もおそらく故郷の将来を心配しつつ逝ってしまわれたのだと思います」とのメールが届いた。
「これから原発に依存しない地域づくりに私たちも具体的に何か出来そうな可能性が出てきたところでした。彼女もおそらく故郷の将来を心配しつつ逝ってしまわれたのだと思います」とのメールが届いた。
通夜、告別式に参列して、久しぶりの人たちに会った。
近いうちにゆっくり語り合う場を持とうね、と言ってみんなと別れた。
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