みんなの家の階上は有料老人ホームとなっていて、2階、3階、4階それぞれに個室19部屋ずつある。
2階から順に症状の重い人が入っている。
2階はざっと見学。3階でお茶をいただき見学と説明を受けた。 食堂(居間?)にはいくつかのテーブルに数人ずつの人たちが歓談していた。 男性もいるのだがテーブルにはいなかった。新しい施設のため男性が女性のようになじむには時間がかかるのかな?
1階の母のところはあまり会話は弾んでいないが、食堂のテーブルにはいつも男性も女性もいる。
個室もオープンになっているところは部屋の外から見せて説明してくれたが、見学の人がときどき来るのはいい気分はしないだろうな。
おじゃまします、とあいさつをしたら、その場に居た人たちは気持ちよく笑顔でこたえてくれた。
説明によると「要支援1」以上の人でないとこの施設には入れないそう。では、友だちはゆくゆくは、と思っていたが当分該当しないようだ。
私たちがお茶を飲んで長居した3階は認知症の軽い人たちが入っているが、お互いに会話を楽しんでいた。
その後、4階に。そこでは3,4人の人がそれぞればらばらの椅子に座って大きな画面のテレビを見ていた。ちょうど洋画をやっていた。
職員の人が、症状が最も軽い人たちはあまり話をしないのです。不思議ですね、と。
私たちがあいさつしても迷惑そうに思っていることが伝わってきた。
映画を見たくない人は部屋に入っています、と言っていたが、健康に近い人が新しい場所で一人で1日を過ごすのは辛いだろうね~
とつい、自分の母のことは棚に上げて思ってしまった。
隣町に住んでいる友人のところは家族で暮らしているが、認知症のある母は、ディサービスを週に5日利用しているので何とかやっていける、と言っていた。でも、夜は父親の死後、母親は1人で寝るのが寂しいと訴え、友人が隣の部屋で寝ているとか。
認知症になると、自分がどう過ごしていいのかわからない。テレビもほとんど見なくなる。
しかし、これは認知症だけでなくうつ病の人にもあてはまる。
久しぶりに北海道にいる友人から電話があった。
しばらく連絡がないから元気かどうかと思って電話しただけ、とのこと。
ロシア人の彼女は日本人と結婚して東京に住んだ後、連れ合いの転勤により、北海道に移った。北海道でも最果てに近いところ。北海道には行きたくない、とさんざん言っていたのだが、住めば都、たまに東京に出てくると、人が多くて東京はいやだ、と言う。そうでしょうね。
しばらく近況報告を。彼女のお連れ合いはうつ病で5年ぐらい経っている。仕事も辞めてから長い。
どう? 少しはよくなったけれど、どこにも行きたくない、ただ、寝ていたいだけだと。
そう言えば、母が認知症になる前にうつ病になった。あるいは痴呆が始まりだしていたのかもしれない。そのときは食欲がなく、寝ていたい、あるいは死にたい、ということを言っていた。顔色も悪かった。
今は食欲があり、顔色がいいからうつ病からは脱したのではないかと思っている。
北海道の彼女の家にはロシアから連れてきている母がいる。
ビザの関係で行ったりきたりを繰り返しているが1人暮らしのため、心配なのと、日本に呼んで家事をやってもらっている。大勢の家族を支えている彼女は仕事をバリバリしなくてはならない。カニの売買、中古車や家電品の売買。北海道にはカに漁で船員が多くきていた。そういう人たちを相手に商売をしていたが、今はカニ漁はダメなのでどういう人たちが相手なのだろう?
北海道は何かとロシア人の往来が多いのだろう。
彼女の2番目の子どもの話しになった。親元を離れて札幌でアルバイトをしながら大学生活を送っている。サミットで働いている。 え? サミットは私のところの駅前にもあるが? と頭の中・・・
洞爺湖サミットで通訳している。
あ、そうか。そうだね、大学生だものね。
で、英語? ロシア語?
英語は話せないからロシア語。ふーん、そうか、すごいね。
うん、すごい。24時間体制で、詰めっきりだって。 何かあったら怖いけどね。
3番目の子どもが生まれたとき、私を頼って、我が家の近くでお産をした。今は大学生の彼は小学校3年生ぐらいだった。夏休み中で近所の学童にお願いして通わせてもらった。ほかの子どもたちと一緒にプールに行ったりできて楽しんだ。そのときは日本語は片言しか話せず、英語が話せた。諸事情により、母親と離されてヨーロッパ人の父親がロンドンの小学校に入学させていた。2年間ぐらいロンドンで生活したということだった。私のところに来たときは母親が引き取った直後だったのだ。その後、ロシアのおばあちゃんのところで過ごし、たまに日本に来て、という生活だった。だから、ロシア語は話せても英語はすっかり使わないうちに忘れてしまったらしい。
高校生になって日本で暮らせるようになり、今は下宿生活とは言え、母親の庇護の元だから彼にとっては幸せな毎日だと思う。
波乱万丈の彼女の生き方は一篇の物語になると思うほど。
彼女から電話がくると、また何か頼まれごと? とつい身構えてしまうが、いつも前向きなバイタリティあふれる生き方には学ぶことも多い。
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