母にとっては3人目のひ孫、私には初の孫の誕生。
いとも簡単に、安産だったらしい。
助産院で普通の畳の部屋で連れ合いと一緒に
普通に産んだ。
上手なお産だ、と助産婦さんに絶賛されたと言っていた。
本人いわく、ここの助産婦さんはほめてその気にさせるのが
上手なの、と。
うん、それがなかなかできない。
子育て、夫育てをもう一度できるものならやり直したいものだ。
娘は上手にほめられて、親の目からみてもあっぱれな産婦生活だった。
アルコールはぷっつりとやめ、母乳によくないから、と甘いもの、油もの
動物性のもの、極力避けた食生活にした。
娘の連れ合いには別の食事も用意したようだ。
直前まで散歩もかかさず、予定日の2週間前には、チェルノブイリ写真展の
受付もやった。
そして、ぴったり予定日の5月1日、に子どもは産まれた。
子どもも親に応えたのか。こちらもあっぱれだ。
赤ん坊は親と一緒の薄い布団に寝ていた。
部屋の窓は開け放して、普通の家そのもの。
母たちの時代は家で産んだわけだが、寝たまま産ませるため
長時間かかったらしい。
今の助産院では、しゃがんだりよっかかったり、好きな恰好をして
赤ちゃんが出てくるのを待つ。
私は、不自然なお産だったことになる。
と言っても今もほとんどが分娩台で産んでいるから
不自然のお産は続いている。
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