2009年4月26日日曜日

雨の中、原発止めよう!集会&パレードに参加

今現在、26日だから今日が正式にチェルノブイリ事故から23周年だ。

26日前後に毎年、「原発止めよう!東京ネットワーク」主催で
脱原発のための集会&パレードが開かれている。

脱原発、反原発、なぜか、2つの名前があり、
私も意識しないままに両方を使ってしまう。

きのうの25日、恵比寿区民会館で開かれた「柏崎刈羽原発運転再開NO!」に参加。ほとんどドシャ振りの中、パレードにも一部参加した。
出席者60名ぐらい。

実は23周年イベントのために、仲間のTさんが、4月26日、日比谷公会堂が空いているなんてこれはこの日に集会をしろ、ということでしょう? すでに秋に会場を押さえていた。

2074席という大ホールは単なる市民グループが借りるには大きすぎる。

しかし、チェルノブイリ子ども基金では一度、4月に救援コンサートを
開催したことがある。
17年周年救援コンサート「チェルノブイリと地球」。

このときはエゴラッピンのよっちゃん、という人気歌手、ダブルフェイマス&リトルクリチャーのメンバーから4人、それにナターシャ・グジーという豪華な顔ぶれだった。

6月発行の基金ニュースには来場者1200人のお客様を迎えて、成功だった、との記載がある。1階が1000席だから1階が埋まればもちろん上出来というところだ。

事故2年目に、今は亡き原子力資料室代表の高木仁三郎さんらが中心となって、脱原発全国集会があり、日比谷公園と公会堂を全国の人たちで埋め尽くしたことがあった。

私もこのとき、埼玉の人たちと参加した。以来、反原発市民の一員となった。

その後、もう一度、日比谷公会堂で脱原発集会があり、チェルノブイリ被災者も招かれて講演した。

草の根的に広がった、脱原発、反原発運動がピークのころだろうか。
日比谷公会堂を借りるだけの勢いがあったのだ。

その後、原発はさまざまな問題をかかえ、ひずみを露呈しながらも、日本は着々と原発を建設し続け、とうとう55基もある原発大国になってしまった。

そして、反比例するように反原発運動は衰退の一途をたどっている。

いや、衰退という表現は正しくはないかも知れない。
首都圏の反原発運動は衰退していても、全国の反原発運動は根強く続いているのも事実だ。
原発や核施設の近くで暮らしている人々と安全な電気だけを享受している都会の市民との違いか。

集会出席者60人という数字。若い人は少ない。

それでも今年の秋には、全国的によびかけて、東京で大きな脱原発集会を開く予定だ。全国の人ではなく首都圏の人たちがどれだけ集まるか、集められるか?

チェルノブイリ救援には関わっても脱原発運動にまでは関われない、という人たちもまた多い。
実際、限られた時間の中、あれもこれも関われない、というのも事実・・・・・・・

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