2012年12月22日土曜日

はじまりは名護バスステーションから

3・11前に引っ越したタミさんのところを最初に訪ねたのは
いつだっただろうか?

3・11後、あまりにいろいろなことが急展開で進んできたので、
記憶を巻き戻すのにしばしば時間がかかってしまう。

事故が起きたとき、私は埼玉に、娘の家族は横浜にいた。

あのとき、小さい子がいるお母さんたちがそうしたように
2歳の長男を抱えていた娘も長い期間外出を控えていた。

外に出られないからと、ときどき私が孫に会いに行ったり
していた。

そうこうしているうちに娘の連れ合いが海外勤務となり、あちらの
様子が落ち着くまで、娘はしばらく自宅待機となった。

どうせ、外にも出られず、連れ合いもいないのならいっそのこと
タミさんがいる沖縄に旅行に行こうか、ということになった。

私は長くはいられないが、娘は1か月ぐらいウーファーとして
居させてもらうことになり、一緒に出かけた。

那覇からタミさんのいる東村までバスを乗り継がないと行けない。

名護までは高速バスで2時間。そこで乗り換えてさらに1時間。

その名護ターミナルで慶佐次までのバスに乗り換えるさい時間があったので
休憩所でゆっくりお茶なぞを飲んで待っていた。

始発だからまさか乗りはぐれることなどないと思っていた・・・

バスの乗り場の仕組みもわかっていなかった。
気がついたときは慶佐次のほうに行くバス乗り場と
かなり離れていたところに待っていた私たちはあわてて
乗り場まで走ったが、目の前をバスが去って行ってしまった。

次は2時間ぐらいも待たねばならない。

困っていたら、タクシーで***まで行き、そこからバスに乗ると
いいよ、と教えてくれた。

そんなわけでやっとたどりついたのだが、その後、縁があって娘と
孫は名護市に約1年間滞在した。今回、その因縁の名護バスターミナルから
那覇行きのバスに乗って沖縄を娘と孫が引き上げてきた。

バスを待っていたとき、地元の女性が教えてくれた。

始発でもバスは1,2分前しか入りませんよ。

そうか、ぎりぎりに気がついたらどの道間に合わないのだ。

でも、地元の人だったらそんなことで抜かることはないだろう。

私が利用している地元のバスは始発は10分以上は前に入っている。

1年半経てわかったのが引っ越す日だった。

名護バスステーションから始まり、終わりも名護バスステーションだった。

1年間の沖縄滞在のおすそ分けにあずかった私は、沖縄の思い出を
たくさんもらった。

きっとまた来ると思うが、とりあえずさようなら。

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