母のことを忘れていたわけではない。
回数こそ減ったが、少なくとも週に1回は行っている。
地震の翌日ものぞいた。さぞみなさん不安な思いを抱いているのでは
ないだろうか?
と想像していたが、
母とは違って、意思がしっかりしている人に聞いた。
地震? 私たち何回も経験しているからね~
それにみんなといるから怖くはないわ。
同じユニットには東北の人もいる。
あの人はいわき出身、あの人は宮城出身、それぞれ故郷も
気になるのではないだろうか?
テレビを繰り返し見させてよいのだろうか?
それも杞憂のようだった。
何のことはない。
たんたんとした日常があった。
月曜日に行ったとき、洗濯物をたたんで、と職員の人が
みんなのいるテーブルに持ってきた。
母に手伝おうよと、誘ってみたが、
寝る、しにたい、と言っていた。
こう言うのは、母にとっては普通だ。
とにかく「シセツ」に入っていることがおもしろくない。
最愛の息子は一度だって会いにきたことはない。
それも、私が悪いのだ。
私が場所をちゃんと教えないから○○は来られないのだ、と言う。
お前だけひょこひょこ来たってしょうがない、何で○○を連れてこないのだ、と
なじる。
50歳を過ぎている息子が一人で来られないという論理はありえないが
それがわからない。
でも帰り際、明日はマッサージの人が来る日だよ、と言ったら
一瞬ニコッとした。
週に2回、火曜日と土曜日にきてもらっている。
誰でも理由があれば、マッサージを頼んでもよかったらしいのだが
知らなかった。
入所が母の場合は少し遅れたので、話が落ちていたのかもしれない。
2月に誰でも受けてよい、というのに気が付き、
お願いした。
母は両足とも病気というほどではないがかなりむくんでいる。
むくみにもいいかもしれないということで
お医者さんの許可も得た。
最初は緊張していたようだ。
それに、お金はいくらかかるのか?
と聞いたとマッサージ師の方が伝えてくれた。
マッサージは高いものだ、ということも
頭に入っているのだろう。
あの時代の人はそういうことは気にしますからね。
私の母も大正生まれでしたが、似てますよ。
わけのわからないこととわかることがある、というのが
不思議だ。
よいスキンシップができてますよ、とマッサージ師さんの
メモが置いてあった。
終わったあとの、ありがとうが笑顔とともにあります、とも
添えてあった。
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