広瀬隆講演会「今一度、二酸化炭素温暖化説はなぜ崩壊したか」が
暑いさなかの24日、全水道会館で行われた。
1時半開始に大幅に遅れたが、参加した。
会場は大勢の老若男女でいっぱい。いや、老老男女か。
あまり、脱原発関係の人は見当たらない。
どちらかと言えば、9条関係? 平和関係?
でも、知り合いの若者も来ていた。
タイトルの今一度というのは、以前も同じ主催者「終焉に向かう原子力実行委員
会」で温暖化をタイトルにした広瀬隆講演会を行っているからだ。
ところで、一主婦が「まだ、まにあうのなら~私の書いた一番長い手紙」
(地湧社)を書いたのはチェルノブイリの原発事故の1年後、1987年のこと。
朝日新聞に大きく報道されたりして、50万部のベストセラーになった。
私も夢中で読み、50冊ぐらいをまとめて買い、友達に配った。
300円という買いやすく、手ごろなページの読みやすい冊子だった。
著者の書き下ろし後、19年経った「思い」を収録し、2006年に増補新版になっている。
著者甘蔗珠恵子さんがこの本を書いたきっかけは、広瀬隆講演会だったのだ。
私も広瀬隆さんの話を聞いて、日本の原発状況に愕然とし、広河隆一さんの
スライド講演を見て、チェルノブイリ現地の状況に衝撃を受け、市民運動に
関わっていくようになった一人である。
そう言えば、講談社刊「デイズジャパン」に広広コンビによる『四番目の恐怖』が
掲載、その後、講談社から単行本になったのもあのころ。
1987年から2000年にかけて多くのチェルノブイリ関連、脱原発関連本が出版
され、識者が語り、そして、雨後の筍のように反原発の団体が生まれた。
その後、日本ではゴミ問題をはじめとするさまざまな環境問題が起き、
また世界においてはアフガン戦争、イラク戦争が起き、地震、津波などの自然
災害も立て続けに起き、心ある市民にとって多くの痛みと共に忙しい時代が
到来。市民運動も多様化していった。
脱原発団体、チェルノブイリ救援団体も必然的にに縮小を余儀なくされ現在に至っている。
話がだいぶそれてしまったが、そんなかつて脱原発運動を担った人たちも
24日の会場にはいたかもしれない。
しかし、講演後の質問者の問いにはかつての人たちとはちょっと違う感じを受けた。
広瀬さんの話を聞いて、衝撃を受けた、という雰囲気が会場内に漂っていた。
OHPを駆使して次から次へと資料をスクリーンに映し出していく講演方法は
今も健在だ。
いや、今回はその進化というべきか。
動画を駆使した斬新な講演だった。
聞いたところでは、OHPを利用するための材料(フィルム)が入手困難になった
ところへ、いまどきパワーポイントも使えないとは、と同業者(?)に揶揄されて
一足飛びに動画のあるスクリーンへと移行したとか。
それなりの勉強をされたのか、あるいは便利なソフトがあるのか
それは知らない。
とにかく聴衆を飽きさせない。
以前もそうだったが、難点は次から次へと資料を繰り出すので
スクリーンに映し出されたものをすべて読みきれない。
でも、大事なところは大きな字で誰でも読めるように書いてあったから
読みきれないところは本を読め、ということか。
そう、この日は『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(集英社新書)の出版記念を
兼ねていた。
新書なので値段も手ごろ。図書館にリクエストしてもよいかもしれない。
我が町の図書館はリクエストしてもほとんど買ってくれず、ほかの図書館から
の融通が多いが。
話の中で印象に残ったのを2つ。
広瀬さんは、早稲田大学理工学部出身で、
「大学・理工学研究所 創設70周年記念シンポジウム」に
講師の一人として招かれ、先ごろ講演をした。
1番目が経済産業省の人、2番目が広瀬隆さん、ほか企業の人たちが
続いたらしい。
家庭用燃料電池の話が主だったが原発の話をし出したら
経産省の人は帰ったそうだ。
これではダメだ。
まず、人の話も聞かなくては、よい知恵も浮かばない。
もうひとつは、昨年IPCC(気候変動に関する政府間パネル)が主張してきた
二酸化炭素温暖化説がウソだったことに関して。
基礎となるデータを捏造していた、ということがEメールの交信記録から
明らかになり、アール・ゴアの書いた『不都合の真実』を暖炉にくべて
暖をとる夫婦の漫画が出たり(この漫画をスクリーンに映してくれた)、
大スキャンダルとなったのに、日本では断片的にしか報道されなかった。
(北海道新聞は報道したらしい)
私も、データ捏造の話は少しどこかで読んだ記憶があり、これはすごいことだと
その後の報道を期待したが、日本ではほとんど話題にならなかった。
マスコミ報道、国の姿勢、がっかりすることだらけだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿