長年関わってきたチェルノブイリ救援活動。もうそろそろ若者とバトンタッチをしようと思いつつあっという間に月日は経過。さらなる困難な状況の中、退くのもためらわれ今しばらく関わらざるを得ないか、とハラを決めたところに認知症の母と同居することに。私個人の二大関心事をテーマに日々のできごとを綴りたい。
2010年3月3日水曜日
おひなさま
当市に住んで30年近くになるが
市内のことをあまり知らない。
母の施設に行くようになり、およそ市内の端から端まで行くという感じになった。
自転車で先日通ったとき
民俗資料館をのぞいてみた。
母の施設で市内に展示してあるおひなさまのことが
載っているチラシを見て、民族資料館をのぞこうと思った。
もちろん初めて。
中には農家の人たちが使っていた
農機具や作業の道具などが展示してあるということは
聞いていた。
きっと2人の子どもも小学生のころ見学に行っているのだろう。
職員の方が、どちらから来ました?とアンケートを
とっていた。
今年は市報のほかに朝日新聞の地方版に載ったとかで
市外からも訪問者があるという。
狭いへやには、あるあるおひなさまがごちゃ~と飾ってあった。
自宅で飾らなくなったからと寄贈されたものが多いとか。
昭和の年代のものが多く、古いのでは大正時代のもあった。
飾り方も何も、できるだけ全部並べたいのでこうなりました、と
職員の方。
ひな壇を何段にも重ねて並べたり
田舟という農作業に使っていた木の舟に乗せたり、
かぐや姫よろしく、竹を切った中に入れたり
たくさんのひなたちが並んでいた。
真ん中の写真は「裃おひなさま」と呼ぶのだそう。
普通のおひなさまを買えない人でも、求めやすい値段だったとか。
そういえば、娘が高校生のとき、青春18切符を使って新潟県の
村上市に行ったことがあった。
街中に飾ってあるおひなさまを見に行ったのだ。
今はいろんなところでそんな飾り方をしているようだが
あのころはまだ珍しい話題だった。
携帯を持っていなかったし、デジカメも使っていなかったから
どんなおひなさまだったのか写真は残っていないが
本人は大満足で帰ってきたのを覚えている。
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