母が退院した。
結石は2度の破砕手術でようやくなくなった。
病院でお昼ご飯を食べたあと、ぐーぐー寝てしまった。
何しろベッドの上で食事だから、すぐに寝たい症候群の母にとって
ちょっと目を離すともう横になっている。
それを無理やり起こして、退院の支度。
今日は、どこへ行くのか? と聞く。
いえに帰るんだよ。
母にそう言いながらなんだかむなしい。
母にとってのいえとは?どこなんだろう?
子どものとき過ごした生家。
嫁いだ家。
女中奉公で数年間東京に暮らした以外は雪深い田舎で
50年以上暮らした。
その後、小都会に出て3女と住み始めた家。
区画整理で引っ越しを余儀なくされた家。
3女が病気になって、新潟市に嫁いだ長女の家、
大阪に住む長男の家、そして埼玉にいる次女の我が家。
ここ数年子どもたちの家を転々とした。
我が家からグループホームに入り、やっと慣れたと思ったら
1年足らずで特別養護老人ホームに移った。
せっかく入れる機会、逃したくはなかった。
母の希望などでは決してない。
病院にいる間、どこから出てどこから入ったらよいか
わからないようなあんな大きな家に戻るのはイヤだ、と言っていた。
その家に戻った母は憮然としていた。
職員の人たちはお帰りなさいと口々に笑顔で迎えてくれたが
母は固い表情のままだった。
病院では点滴の針でさえ、刺す時に、痛~い、助けてください、と
大声で叫んでいた。
とにかく少しでも痛いのは我慢ができない。
点滴が多いときには看護士さんの顔をみるたびに、
針は刺さないでください、と言っていた。
一度は点滴しようとしたときにイヤだと必死でもがき、点滴がはずれて血が出た。
その直後、シーツが汚れたばかりの時に私が行った。
母曰く。
殴る蹴るの暴力を振るわれて鼻血を出した。
こんな暴力をふるう家から早く出たい、と。
まさかその通りはうけとらないが、何かの拍子に鼻血を
出したかと思って看護士さんに聞いたら前述のとおり。
大きな家に戻った母は大声を出すでもなくみんなと一緒におやつを食べた。
明日また来るね、と言ったらうなずいていたが。
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