2009年10月8日木曜日

祝島と母の入院その後

2~4日にかけて、全国から反原発・反核の団体が勢ぞろいした。
5年ぐらい前に代々木公園で全国集会があったときにも
もちろん参加したが、今年ははるかにたくさんの人々が
集まった。

なかでもプルサーマル受け入れ目前の玄海原発、増設が待ったなしの川内原発
それらを抱える九州勢。
再処理工場・核燃施設のある青森・東北勢。
そして祝島島民挙げて反対運動をしている上関原発予定地の中国勢。

問題を抱える地域の人たちの心意気は強く高かった。

そして、昨日ついに中国電力のだまし打ちのような強行ブイ打ち。
池田香代子さんのブログに詳しい。

なんだかんだの毎日だが、母のほうは25日より入院中である。

高熱も治まり、尿も順調に出ていることから
ステントを尿路に挿入、という計画はなくなり
お腹の中にある石を破砕する、ということになった。

昨日それが行われた。

病院には診療室のほかにレントゲン室やリハビリ室など
いろんな部屋があるが、結石破砕室というのがある。
今まで見たことのない名前の部屋、それがそう。

先生の話によると埼玉県内でこの機械を持っているのは
この病院とあと1か所だけ、とちょっと自慢そうだった。

普通の人(?)だったら、1泊2日で済む場合もあるという。

高齢と認知症とあとは石の大きさ、位置などにより
やってみないとわからない部分がある。

約1時間じっとしていないといけない。かなり痛い。
鎮静剤は使うが耐えられるかどうか。

新潟から私の姉つまり母にとっては一番頼りにしている
長女がでてきた。

母の認知症歴は長く、大体様子も分かってきたが、
眠い日と興奮の日が3:1の割でくる。

きのうはうまい具合におとなしい日だった。

いつもは、私が行っても淡々とした表情で帰るときも明日また来るね、と
行ってもうなずくだけ。

だが、姉の顔をみたらにこっと笑った。

ふーん、やっぱりあてにしているんだな。
姉もまんざらでもなさそう。

処置前に鎮静剤の注射を打つ時、手をにぎっていただけで
そのあと、すぐ眠気がきたらしく
そのまま処置室に入り、私たちは部屋の外で待機していた。

なんかあったら(ぐずるとか?)呼びます、と言われたが
呼ばれることもなく、気がついたら自分が居眠りをしていて
終わりました、と起こされた。
姉は夜用事があるということで処置の途中で帰って行った。

肝心の石は?

大体3分の2ぐらいはとれました。
大きいので・・・。

明日レントゲンを撮ってみて、その後のことを決めます、と看護師さん。

今日お昼に母のところに行ったら
何しにきたの?

こういう言い方をするときはあまり機嫌がよろしくない。

今日は体を拭くときも大声で止めてください、と
叫んでいました。
○子さん、○子さん、助けてください、と言ってました。
姉の名前を読んでいたらしい。

お昼は要らない、と言っていたが
食べ始めたらごはんはきれいに食べた。
おかずも少し。
母の好物のフキ味噌を許可してもらって
それをごはんの上に乗せて食べる。
昔の人だから、いつもご飯粒は一粒残らずきれいに食べる。


お吸い物、お味噌汁はしょっぱいと言って
あまり飲まない。

最近、おかずは私が食べる。

結構、おいしいのだ。
肉も多く、味も濃い。量もかなりの量。
これが病人用とはとても思えない。

連れ合いが入院していた時、薄味で食べられないと
文句を言っていたが、ここなら満足するだろう。

施設では薄味に慣れているから
濃いのは食べにくいらしい。
看護士さんには伝えたが、変った病院だと思う。

お昼にはまだ、担当医がレントゲン結果を見ていない、ということで
今後の予定についてはまだわからない。

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