長年関わってきたチェルノブイリ救援活動。もうそろそろ若者とバトンタッチをしようと思いつつあっという間に月日は経過。さらなる困難な状況の中、退くのもためらわれ今しばらく関わらざるを得ないか、とハラを決めたところに認知症の母と同居することに。私個人の二大関心事をテーマに日々のできごとを綴りたい。
2009年6月29日月曜日
鉄砲百合&連れの状況
友人が送ってくれた百合の花。自宅で咲いているそう。
今日の埼玉は午後からドシャ降りの天気になった。
午前に行けばよかったが、午後に予定していた母のところに行くのは中止にした。
同じ市内だが、電車で一駅乗ってさらにバスで15分ぐらい乗るのは結構時間がかかる。ご近所さんが夕方でよかったら乗せて行くよ、とおっしゃってくださったが、ここのところ基金ニュースの編集でどうしても帰りが遅くなり、よって夜ご飯が遅くなり、連れは不機嫌だった。だから、乗せてもらうのをまたにしてもらって行かなかった。たぶん、明日は行ける。
連れは薬を飲む関係上かテレビの関係上か、7時には食べたいらしい。
心筋梗塞の手術をしたときに、これからはご飯を早く作るようにしなくては、と決心したものの、続かなかった。
通信の編集が終わった来週こそ、早めの夕食をこころがけよう。
連れあいのその後のその後:前回管をとりつけてもらった近くの医者に行き、再度とりつけをお願いした。
私も休みだったので一緒について行った。本人は来なくてよい、と言っていたが医師に直接聞きたかった。
管が詰まらないようにするため、あるいは詰まったときの対処の方法など、家族が何かできることはないのか? 聞きたかった。
診察室に呼ばれて入っていったら、何アナタは? という顔の看護師と医師。
処置しますから出てください。
ちょっと後で質問があるのですが。
今でいいよ、何ですか?
上記のことを言ったら、
ありません、の一言で片づけられた。
根本を治さなくては。
でも、1か月以上は手術はできないと言われています。
無言
結果的には今回は血が出なかった。
何でも先が細い管を使ってくれたらしい。たぶん注意もして刺したのだろう。
で、2日後には都心まで心臓の主治医がいる病院の泌尿器科に行った。
もともと心臓よりずっと先に前立腺肥大を抱えていた。
ときどき数値があがって、そのたびにどうしょうか?不安がっていたが、手術をするほど決定的でなかったので薬でなんとかおさまっていた。
そこに重要な血管の1本の閉塞率が90%という心筋梗塞が起きた。
幸いにして会社のすぐ裏が心臓の手術もするB病院だった。
家で倒れていたらとっくにあの世行きだったに違いない。
そのB病院の前に前立腺でかかっていたA病院があった。
A病院では、前立腺が次第に悪化してきて手術をせざるを得ない状況になっても心臓のリスクがあるから手術するのを延ばしていた。
いや、正確に言うと、延ばし延ばしにしたのは本人の希望もある。
心臓の主治医がいるB病院で前立腺の手術を受けたほうがよい、という最終診断になり、紹介状を先月もらって持っていたところに、肥大がピークに達し今回の騒ぎが起きた、というわけだ。
やっとなんとか管を入れたままでも落ち着いたので行ってきたわけだ。
前立腺のほうは紹介状を持っていたが、心臓病のほうの紹介状はないのですか?と問われたらしい。
同じ病院ですよ、とあきれて返答したとか。
B病院の医師の話では、手術までこのままでいいでしょう。
シャワーも入っていいですよ、とあっさりしたものだったという。
まずは平穏に送っている。
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