私の住んでいる埼玉は新盆と旧盆に分かれているそうだ。
連れ合いの実家は埼玉県北部で旧盆だ。
私の故郷松之山ももちろん旧盆。
子どものころ、お盆は都会に出ている着飾った近所のお姉さん、お兄さんたちが帰郷したり、親戚のおじさん、おばさんが墓参りに来て泊まったり、盆踊りがあったり、何かと心躍るときだった。
盆と正月と並び称されるが、特に雪深い松之山ではお正月は「やって来る」だけで、かまくらやコタツでのカルタとりなど楽しみの遊びもあったが、お盆には比ぶべくもない。それに鉄道もない雪の中では、外からのお客でにぎわうこともなかった。
祖父母の建てた松之山の家で子ども11人(父のきょうだい)が生まれ、9人が育った。
その後、父と母が結婚して、私たちきょうだい4人が生まれ育った。
現在その松之山の家はない。その跡地は農協のガソリンスタンドになっている。
でも、お墓は松之山の中心地にあるお寺の裏山にある。
お寺は継ぐ人がなく、今は無人のまま。お葬式があると隣町の松代(まつだい)からお坊さんがやってくる。いや、正確には2年前の平成の大合併により松之山も松代も同じ十日町市となったのだが、いまだになじめない。
お墓には祖父母、若くして亡くなったおばさん、父、そして東久留米に長い間1人暮らしをしていたおばさん、の5人が入っている。
お盆は亡くなった人がお墓から家に戻ってくる、と言われて一般に墓参りはしないようだが、田舎ではそんなことはない。春の彼岸はまだ雪の中。秋の彼岸は農作業の忙しい最中。人々が集うお盆には誰も彼もお墓に行く。子どものころから墓の前で親戚と記念撮影というのが常だった。
今年は「田舎に帰る」という言葉がなんだかちぐはぐ。実家、というのもヘン。
母がいるところが田舎で実家だったのに・・・。
ともあれ、14日は連れの実家に寄りーーこちらも正確には実家ではない。連れの両親が年老いてから長男夫婦の所に入った。義父はもうかなり前に亡くなった。91歳の義母が亡くなったら仮の実家もなくなる?ーーその足で新潟に夕方向かった。高崎で新幹線に乗り換えて姉のいる新潟市まで2時間。
姉の家に1泊して、松之山温泉で共同浴場に入り、新盆を迎えた隣町のおば(父の末妹)にお線香をあげて、健在のおばが2人いる上越市に行き手作りの山菜料理をご馳走になり、我が実家に行った。
仏壇に手を合わせて、やや元気になった妹に会い、帰ってきた。
15日は姉の連れ合いの運転で姉達の孫2人と私と計5人でのにぎやかな車中だった。
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