2008年8月30日土曜日

涼しい中での納涼祭

どうしたことか。まだ、1週間も8月が残っているというのに何と涼しいことか。2日間も降るなんて、梅雨どきでもあるまいし 、とここまで書いて下書きに入れたママだった。タイトルは納涼祭のあった24日の翌日に書いた。

それからさらに日にちが経ってしまった。

暑くはなったのだが、豪雨と雷雨がすごい。
日本全国でゲリラ的な豪雨となっている。ここ埼玉でもかつてないほどの雷だった。丸1日ネットもつながらなかった。


ところで納涼祭はあいにくの雨で、建物の外でどじょうすくいの踊りをみたりスイカ割りなどを楽しむ予定だったが中でのお祭りに余儀なくされた。

参加費500円で家族にもお弁当と缶ビールが振舞われた。施設側も予期してなかったほど家族も集まった。それでも家族の参加がない人もいて、ちょっと同情した。

新潟から姉も来た。
納涼祭に先立った行われた家族会にも出席した。

父が荷物をまとめているのですが、どう対処したらよいでしょう?と家族の方が職員に聞いていた。いずこも同じだ。
施設長は、「この仕事をしていて一番嫌なのはウソをつかなくてはならないことですが、ウソによって、入所者が納得しておだやかになれるのならそれもしょうがないことなのです。だから、上手にウソを言って(具体的に教えていた)ください」と教えていた。

母はこの日、ほとんど言葉を発しなかった。
食事も食べたが時間がずいぶんかかった。
どじょう救い愛好会の方々による踊りにもにこりともしないで見ていた。

たぶん、医者からもらっている薬が効いているのだと思う。
夜中も前のような興奮状態はなくなったらしいが、薬が効けば効いたで心配だ。
母の人格を奪っているような気がする。

医師が年寄りは突然よく効いたりすることもありますから「サジ加減」してください、と言ってたっけ。

場合によってはしばらく止めてください、と相談した。それでしばらく止めてみることに。
次の日、夜に行ってみたが特に興奮はしていなかった。

それから4日ほど行ってない。今日か明日には行ってみなくては。

2008年8月21日木曜日

母のところに新入りさんが

この前、母のところに寄ったとき、新しい人が入っていた。

まだ、若くしっかりしているように見えた。

都内から、娘さんがいるこちらに越してきて、グループホームに入ったという。
以前は自宅近くのグループホームに入っていたそうだ。

「食事など自分達で作るんですが、30分も歩いて材料を買いに行ったんですよ」と不満そうに話した。

母のところは有料老人ホームと一緒の建物で、食事もまとめて大きな台所で専門家が作る。だから、グループホームの特徴でもある共同で食事の支度をする、ということができない。

ときどき、おやつのお団子作りとか、ちょっとした副菜とか、を作るぐらいだ。

母は若いころ、賄いをやっていた。自分で献立までは考えられなくとも、材料を渡して作って、と言えば作ることができる。グループホームでの共同の食事作り、大いに期待していたのだが、いかんともしがたい。

でもその方は食事作りが重荷だった・・・

うまくいかないものだ。

今度の土曜日、ホームでは納涼祭がある。初めての大イベントで、盛り上がっている。というか職員さんたちが入居している人たちをを楽しませようとして、いろいろ企画している。ゆかたもできたら着せたいので持ってきてください、と言われていて、夕方持って行った。

そういえば、この間の新入りさんは今日は見えなかった。
大丈夫かな? 
「なんだか寂しいですね、早くお父さんの所に行ったほうがいいんですが。でもそう言うと娘に叱られます」と話していた。

普通に会話できたのだが、同じことを何回か繰り返していたのでやはり認知症なのだろう。


ところで最近のテレビドラマでは、ボケている老人やガンコだけど身体が不自由な老人など登場する。

かつては小さな子どもがホームドラマのアクセントだったりしたが、今はホームドラマそのものがほとんどない(?) シリアスなドラマには老人がいてこそ、リアルになるのか。

歌は世につれ、ではなくドラマも世につれ、である。

2008年8月17日日曜日

お盆と田舎

私の住んでいる埼玉は新盆と旧盆に分かれているそうだ。

連れ合いの実家は埼玉県北部で旧盆だ。

私の故郷松之山ももちろん旧盆。

子どものころ、お盆は都会に出ている着飾った近所のお姉さん、お兄さんたちが帰郷したり、親戚のおじさん、おばさんが墓参りに来て泊まったり、盆踊りがあったり、何かと心躍るときだった。

盆と正月と並び称されるが、特に雪深い松之山ではお正月は「やって来る」だけで、かまくらやコタツでのカルタとりなど楽しみの遊びもあったが、お盆には比ぶべくもない。それに鉄道もない雪の中では、外からのお客でにぎわうこともなかった。

祖父母の建てた松之山の家で子ども11人(父のきょうだい)が生まれ、9人が育った。
その後、父と母が結婚して、私たちきょうだい4人が生まれ育った。
現在その松之山の家はない。その跡地は農協のガソリンスタンドになっている。

でも、お墓は松之山の中心地にあるお寺の裏山にある。
お寺は継ぐ人がなく、今は無人のまま。お葬式があると隣町の松代(まつだい)からお坊さんがやってくる。いや、正確には2年前の平成の大合併により松之山も松代も同じ十日町市となったのだが、いまだになじめない。

お墓には祖父母、若くして亡くなったおばさん、父、そして東久留米に長い間1人暮らしをしていたおばさん、の5人が入っている。

お盆は亡くなった人がお墓から家に戻ってくる、と言われて一般に墓参りはしないようだが、田舎ではそんなことはない。春の彼岸はまだ雪の中。秋の彼岸は農作業の忙しい最中。人々が集うお盆には誰も彼もお墓に行く。子どものころから墓の前で親戚と記念撮影というのが常だった。

今年は「田舎に帰る」という言葉がなんだかちぐはぐ。実家、というのもヘン。
母がいるところが田舎で実家だったのに・・・。

ともあれ、14日は連れの実家に寄りーーこちらも正確には実家ではない。連れの両親が年老いてから長男夫婦の所に入った。義父はもうかなり前に亡くなった。91歳の義母が亡くなったら仮の実家もなくなる?ーーその足で新潟に夕方向かった。高崎で新幹線に乗り換えて姉のいる新潟市まで2時間。

姉の家に1泊して、松之山温泉で共同浴場に入り、新盆を迎えた隣町のおば(父の末妹)にお線香をあげて、健在のおばが2人いる上越市に行き手作りの山菜料理をご馳走になり、我が実家に行った。
仏壇に手を合わせて、やや元気になった妹に会い、帰ってきた。

15日は姉の連れ合いの運転で姉達の孫2人と私と計5人でのにぎやかな車中だった。

2008年8月11日月曜日

地球を考える WATER GREEN

越谷レイクタウンというところで開かれたイベントに行ってみた。
駅前3分? そんなところあったかな?

長男が小さいころ、南浦和に住んでいた。そのあと、新松戸に引っ越した。
だから、武蔵野線はよく知っていたが、最近はほとんど利用したことがない。

知らないのも当然、越谷レイクタウンというのは今年3月に開業した新駅だった。

市のHPを見ると、平成11年に独立行政法人「都市再生機構」が施工者として平成30年までが事業実施年度となっている。戸数7000戸、人口22400人という一大ニュータウン構想だ。

我が街はかつて26年前はニュータウンだった。
戸数約3200戸。

越谷のレイクタウンの大きさがわかる。

でも計画が始まったころ、今日の環境、経済、予想していただろうか?
今回のイベントには大和ハウスさんが協力していた。
分譲の売れ行きはどうなのだろう?
越谷には知り合いがいないので知る由もないが・・・

前置きが長くなった、都市構想のことが本題ではない。

「地球を考える野外イベント、WATER GREEN」
http://water-green.didit.jp/wg/index.html

朝から夜7時まで1日中開催していたのだが、4時ごろから参加。
5時過ぎに六ヶ所トークがあり、そのあとyaeさんのライブがありそれらがお目当てだった。

駅から3分はウソではなく、降りて目の前は何もなくすぐに公園が。
大きな布や看板、いろとりどりの風景が広がっていた。

物販ブースには、エコの名にたがわないお店が並んでいる。
草木染の衣服、石鹸、ハーブ、オーガニックコットンのベビー服、木のおもちゃとフェアトレード雑貨などなど。オーガニックフードの食べ物。埼玉県小川町の地ビール。
いろんなワークショップもある。

まだ新しい芝生の上で寝転がってトークを聞き、ライブを楽しんだ。
風が気持ちよく吹き抜けていき、心地よいひとときを過ごした。

つづきはまた。

2008年8月8日金曜日

大好きな孫とお嫁さんが会いにきた

この暑い中、大阪から弟の連れ合いが母に会うためにやってきた。

本来なら弟が来るべきところ、嫁さんがおみやげを持って夜行バスにのってわざわざ来なくとも、いいのに・・・ と思うが、そろそろ顔を出しておかなければ、いろいろまずいと判断の上、来てくれたのだろう。私はついでがあるなら別だが、交通費をかけてくるほどではない、と思っている。しかし、長姉たる姉の思いは違うようだ。
長男として、長男の嫁として、当然くるべきだ、と信じている。

ともあれ、一番暑い2日間を来てくれた。でも大好きな○○ちゃんは、1日しか来なかった。

嫁さんの顔はすぐにわかったらしい。
○○ちゃんがおばあちゃんの部屋で横になったら、半てん(暑いよ!)を出してきてかけたとか。
アルバムを引っ張り出して、昔の説明する様子はまったく違和感がなかったと、嫁さん。

2日目は私も仕事を休んでみんなでお昼を食べることにしていた。いつものファミレスでうどんを。この日朝、甥と嫁さんとケンカをしたとかで、来なかった。おばあちゃんにとっては残念無念。
車椅子に載せて10分ぐらいのところだが、炎天下に出かけた。

母はメニューを見て一番安いのでいい、という。お金をもっているのか、とも聞く。
大丈夫だから・・・

姉がいるときはお金のことは絶対きかないのに、どうも私だと不安らしい。商売をしている姉のところは構造不況業種で、もう何年も火の車だ。今は私のほうが姉にお金を貸す時代なのだが、母はサラリーマンの私の家が一番お金がない、と思い込んでいる。
でも嫁さんにはお金を使わせたくないらしく、財布を出そうとすると、いいから、と抑える。
そして私に払ってこいと。

食事も母は自分の分を全部食べた。
私が少し残したらもったいないとそれも全部平らげた。
まったく正常だ。

○○ちゃんにご飯を食べさせてやりたいのに、どうしてこないのだろう、と何回も聞く。

今日と明日はお母さんにまかないをしてもらって、2,3日したらおばあちゃんがごはんしに行くからね、と嫁さんに念を押す。

かつて教員住宅でまかないの仕事をして、おばさんおばさんと若い先生たちに慕われていたときがある。ごはんの支度をして、生きがいのあった時代のことが忘れられないのだろう。

2008年8月3日日曜日

六ヶ所村 再処理工場の下に活断層があるって本当だそうだ

ちょうど1週間前のきょう、「渡辺先生、再処理工場の下に活断層があるってほんとですか?」というタイトルの学習会が明治大学リバティタワーというところで行なわれた。

この場所は最近よく市民グループが使っている。設備の整った大学の教室を土日などに市民グループが使えるのは、私大にも税金が使われているわけだから、大いに結構なことだ。ただし、使用料はかかるが交通の便など考慮するとそう高くない使用料かもしれない。

さて、1週間前の学習会だが、渡辺満久さん(東洋大学教授)の話しはよかった。「変動地形学」なんて難しいのではないだろうか?と内心、心配だったが、スライドを使ったわかりやすい講演だった。どこまで理解できたか心もとないが、六ヶ所再処理工場が大変なところに立地している、ということは十分理解できたのだ。

実はその1週間前ごろ、3人の大学教授による話し(原発関連ではない)を聞く機会があった。正確に言うと1人は名誉教授で2人が現役の教授。
かなり期待して行ったのだが、これが1人を除いてまったくおもしろくなく、大学生は気の毒だな、と心から思ったものだ。

何でおもしろくなかったのか考えてみた。1人は演説調、もう1人は早口。どちらも用意した紙を読んだだけだった。

それに引き換え、渡辺先生は、スライドの地形図を立体的に見られるようにセルロイドの「赤青メガネ」を全員に用意したり、図表の合間に息抜きのイラスト(主にネコ)を入れたり、あきさせないように工夫していた。

何でも吸収するぞ、という意気込みの人にはそんな工夫は必要ないだろう。でも多くの学生や一般市民にはまず、話しを聞いてもらうということが大事だと思う。話しにひきつける努力と魅力は重要なカギだ。

もう一つ個人的にひきつけられたのは話しの冒頭、田んぼの写真が写されて、断層の説明があった。その風景がなんともなつかしかった。それもそのはず、我が故郷・上越市の田んぼ風景で写真には写っていないが後ろ側は松之山だと後から知った。

新潟県人らしく、と、ひとくくりにするのは乱暴だが、話しかたは淡々として関西人のような(これも失礼!)メリハリはない。でも説得力があった。友だちが言うように「学会やマスコミにたくさん発表してもらって、『常識』にして欲しい」ものだ。

ただ、先生の立場は反原発ではない。
「化石燃料への依存体制から脱却するための方策として、原子力発電は現実的に進められているものの一つとして評価している。ただし、言うまでもなく、そこでは高度な安全性が確保されなければならない。そこが問題である」 と資料にも書いてあった。

何をもって安全が確保されるのか? どう考えてもあり得ないと思うが・・・・

でも、原発は反対ではないという人がこういう発表をしてくれるのは推進側も脅威ではないだろうか。
先生曰く「数人の学者が何を言っても力はないでしょう。 最後はみなさんの世論です」

そうか、やっぱり私たちの活動や口コミが重要なのだ。
渡辺先生にも勧めたいのだが、DAYS JAPAN8月号がオススメだ。
http://www.daysjapan.net/dj/index.html
*まだ間に合うのなら「脱原発へ」 文:藤田祐幸  写真:広河隆一ほか
○原発が止まっても停電しない ○炭酸ガスと放射能の関係 など
カラーの図表入りで小中学生でもわかる記事を、 ということで書かれたとか。

まわりの人たちに広めたい。