2011年12月31日土曜日

女たちの御用納め

28日、一般的には御用納めの日。
この日、福島の女たちが大挙して上京してきた。

大挙とは言わないかも知れないが(でもこの暮れのコ忙しいとき、
そうでなくとも避難生活を強いられたり、大変な状況の中、40人というのは
少ない数字ではない)、40人の人たちがバスに乗って東電前に現れた。
早朝6時に福島を出発したそう。

仙台の知人は夜行バスできて、山の手線を3周して東電前に
来たと言っていた。

集合の12時少し過ぎ急いでかけつけた。東電本社と道を挟んだ前


















首都圏の女たち、男たちを合わせると300人ぐらいいたらしい。

いつも東電共の会の市民側窓口として、東電の窓口氏と交渉している
Aさんが、せめて、敷地内まで入れて、福島の人たちだけでもよいから、と交渉。

ダメです。決まりです。と警備担当の人。
抗議書を読み上げる人、2人だけです。

え? 10本用意してきただけれど。

20人ぐらいまでいいんでは・・・と小さな声で窓口氏。

その後も粘り強く交渉。

福島の代表とマイクと首都圏の代表と3人までが敷地内に
入ることに。そのほかの人は敷地外から読み上げた?
なにしろ道路の反対側から見ていたので様子がよくわからなかった。

この日は寒い日だった。
たったそれだけの許可に、えんえんと押し問答があった。

多くの人たちは道路向かいのところで集合したままで
みんなで歌や抗議の声をあげた。

















福島の子どもたちも参加。


















































原発いらない福島の女たちにも報告が載っている。

こちらにも写真報告が載っている。

ところで、誰に対しても同じ対応だ、と警備の人。
みなさん(市民)、中には入れないと。
事情通によると、警備の人は代々警察から(それも公安?)雇い入れているとか。

高圧的な態度だった。
肩書は総務で山下という名前の人。
どっかの副学長も山下だから覚えやすい。

実はチェルノブイリ後の2年後ぐらいだったか?
私たちは東電本社を占拠したことがある。
それも1泊したのだ。

それ以来、本社に市民を入れなくなった。

東電交渉はすべて、別館の東新ビルというところだ。

株主としての書類の閲覧なども別室だ。

東新ビルは万が一占拠されても役員はいないし重要書類も置いてないから???

今回の抗議も前もって、何人がくる、福島から来るのだから部屋で
対応してほしい、と申し入れることは可能だったが、
それは別館で、という意味。

本社の場所で、抗議の声をあげないと意味がないからと
あえて、外での対応でも本社前を選んだのだそうだ。

敷地の中に入れろ入れないのやりとりを聞いていたとき、
歩道に全員(40人)が来てもらっては困る。
(だから道路の向いにほとんどの人はとどまっていた)
通行人の迷惑になるから・・・と警備の山下。

何だって、これ以上ないほどの迷惑を福島の人たちにかけておいて、
迷惑だって????

あきれてあいた口がふさがらないとはこのことだ!

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