日付が変わって、今日、東電の総会が行なわれる。
毎日新聞夕刊に脱原発株主運動のことが詳しく載っている。
ウェブの毎日jpでも見ることができる。
また近く、英訳されて英文サイトMainichi Daily Newsにも転載の予定だそう。
広報担当を買ってでてくれたKさんのところに
取材陣が殺到しているとか。
今日(月曜日)は仕事にならないから早めに自宅に戻ったらしい。
ご苦労さまである。
当日の行動についてはブログ担当のIさんが
明日の行動予定をまとめてくれた。
昨年私は株主になって初めて総会を欠席した。
今年は長い総会になるだろう。
いつも冷房が効きすぎる会場だが、さすがに今年はそんなに冷やさないだろう。
でも、寒さ対策はしていかなくては。
壇上には背広の男性しかいないのだから、冷房が効いていて
当然か。
今年は役員席と株主の間をなにかで遮るようにするとかしないとか。
警備員を例年より増員して備えるらしい。
席数もモニター席もいれて約6000席を用意。
さて、どんな総会になるか?
長年関わってきたチェルノブイリ救援活動。もうそろそろ若者とバトンタッチをしようと思いつつあっという間に月日は経過。さらなる困難な状況の中、退くのもためらわれ今しばらく関わらざるを得ないか、とハラを決めたところに認知症の母と同居することに。私個人の二大関心事をテーマに日々のできごとを綴りたい。
2011年6月28日火曜日
2011年6月14日火曜日
脱原発にむけて~今日の新聞ニュースから
いつも明快な論調でニュースを解説してくれるひらのさんから
メールが届いた。長文である。
一人で読むにはもったいないような内容なので
許可を得て、全文を転載する。
~~~~~~~~~~★~~☆~~~~~~~~~~~~~~
今朝の産経新聞に目を通していたら、いつもは、「おいおい」と言いたく
なるような意見ばかりの「正論」欄が、大きな異変を示していました。
三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏による「30年
がかりで「脱原発」を目指せ」という主張が大きく出ています。
どうしてしまったのでしょう。(産経は、時々、不思議な記事を掲載します…)
見てみたら、Web版にも注目記事で出ていましたので、一応紹介しておきます。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110614/plc11061402570007-n1.htm
細部に関しては、異論も色々あろうかとは思いますが、一読すれば、
十分考えられた「脱原発論」です。
つまり、「復興の柱としてばかりでなく、近年の閉塞感を打破し、日本
再生の突破口にするためにこそ、国の威信をかけて「脱原発」をめざし、
世界をリードしろ。それくらいのことでもしないかぎり、日本の再生など
ありえない」というもので、菅首相の先日の再生エネルギー20%プランの
ようなものは中途半端すぎて駄目だという理由で批判しています。
さらに「「自然を慈しみ、畏れ、生きとし生けるものと謙虚に向き合う」
という日本人が古来持っていた素晴らしい自然観を世界に発信する
絶好の機会になる」という言葉で締めくくられています。
(ついでながら。紙面では無視されていましたが、Web版では、
デモの様子も写真と共に結構まともに伝えています。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110611/dst11061121070042-n1.htm)
理想から言えば、直ちに全廃ですが、広く同意を得るうえでも、反・
脱原発派も、これくらいの妥協はあってよいと思います。(朝日新聞や
NHKが今日明らかにした世論調査の結果からも、今後原発は減らして
いくべきという意見が圧倒的ですから、30年かかりで無くすというのは、
具体的で広く国民が支持できるものだと思います。新規に建設しない
だけでよい。)
現実問題として、すでに原発が動いてしまっている以上、廃炉は数十年
がかりですし、廃棄物も相当量たまっているので、専門家や技術者の
層が急激に薄くなる事態は、却って危険性を増やしかねず、当面最低
限度は、やはり動かさざるを得ないでしょう。(これは、一度原発を国策
にしてしまった国として、残念ながら耐えなければならないリスクだと思
います。)ただ、その場合でも、もう原発が「経済的」というのはありえな
いし、むしろ、原発は「絶対に高コストでなければならない」という考えに
全体を転換させなければならないのは言うまでもありません。また、
それと関連して今回の事故で、特定地域に原発を集中させる事の危険性、
1箇所の原発で複数の原子炉を稼動させることの危険性が明白になった
のですから、同一地域に原発を集中させてはならないということと、1原発
に設置できる炉は2基か3基を限度として、実際に稼動出来るのはうち
1基のみにするという位はは徹底させなければならないでしょう。さらに、
「効率的な」大出力の原子炉というのもやめるべきです。国民的な支持を
確かなものにするためにも(すでに、国民の意識が脱原発の方向に向
かっていることがはっきりした以上、)反・脱原発派としても、単に危険性や
反対を唱えるだけでなく、一歩進んで出来るだけ具体的で現実的な提案を
訴えるべき時を迎えているような気がします。
とても大きな代償を払う事になってしまいましたが、国として「脱原発」を目指して
新しい国づくりを進めようというのは、安易で簡単な国旗掲揚・国歌斉唱などで
お茶を濁すよりも、今「はるかに国を1つにまとめる大きな力になるだろうと
思いますし、土地にしても食品にしても、大きなコストがかかってもきちんと
厳しい基準で徹底して汚染を管理するように国が動けば、長期的に見た場合
逆に日本のブランド力を高めることも間違いないでしょう。
(短期中期的には厳しいですが。)経済界の人々も、目先の利益ではなく、こう
いう展望があることに早く気づいて欲しいと切に願います。また、反・脱原発派
も、国の脱原発化、汚染管理の厳格化が、むしろ国力の向上に資するという
ことを積極的にアピールすべきだと感じます。
いまさらコスト競争などで他の新興国と争ったところで勝ち目などないのです
から、むしろ高コストを売りにして、国のイメージ、ブランド力を高めることに
賭けた方が、ずっと得策です。ドイツ、スイス、イタリアというような、むしろ
日本と同じような高ブランドのイメージで売っている国々こそが、脱原発に
動いている事は、故なきことではないということを、経済界も直視すべきです。
核兵器開発を目指すというような野心を抱えているならともかくも、もはや
日本のような国が原発をもっていることのデメリットの方がはるかに大きい。
原発があることで、中国製品よりも安い製品を沢山作れるというのなら、
それでも経済的意味はあるかもしれませんが、そうでないなら、もはや厄介者
以外の何者でもありません。質は良いけれど、高い、その上「原発事故が
起きた」、「今も原発が沢山ある」、「汚染管理は緩い」(つまり、ひょっとして
危ないかもしれない)というような国の製品など、買うのはやっぱり躊躇するし、
わざわざ出かけたくはないでしょう(よっぽどずば抜けて優れた特長が
あるか、安いかするならともかく)。何よりイメージがよくありません。
そういう国のものを持つこと、そういう国に行くことが、格好よくありません。
このまま原発依存の国づくりを進めるなら、中短期的には、そこそこの
利益はあがるかもしれませんが、長い目で見れば間違いなく、日本は世界
の中で、ただのどうでも良い国に堕ちていくだろうし、国民も、ますます格差が
大きくなってバラバラになっていくのが目に見えています。今の大人の世代には、ちょっと苦しいところも出てくるでしょうが、冷静に国の将来を考えた時、脱原発を明確化して環境立国を目指すという方向性は、世界の中で日本という国の歴史や文化、国民性を最大限に生かすことが出来るものであるし、賭けてみるだけの価値が十分にあるもののように思います。(少なくとも、IT革命やら金融革命などという上っ面ばかりのものより、ずっと日本人の特性にあっているし、地に足のついたものにできると確信します。そして、その分だけ、国民も自分たちのありように自信をもてるようにもなるでしょう。原発を1つ廃止することに、選挙の時みたいに花でもつけて、皆で万歳でもすればよい。)痛みを伴うけれども、国民にとっても我慢するだけの価値のある「改革」となるはずです。
チェルノブイリ25周年に際してウクライナの首相は、世界的な脱原発の動きに対して、「金持ちの国だけが出来る」と言いましたが、つまるところ、金持ちの日本にさえも出来なければ、その他の多くの国々にとっては、黙って危険と隣り合わせの日常を受け入れざるを得なくなってしまいます。逆に、試行錯誤の結果、日本という国が原発に頼らない国づくりというものを進めることが出来れば、日本という国の存在が世界の国にとっての希望ともなるし、その貴重なノウハウを生かして、あるいは低コスト化した新技術を使って、世界の脱原発化に貢献し、世界中の多くの市民が不安な日常から解放されることにもなります。欧米列強の植民地支配からアジア諸国民を解放するため進軍するなどというより、よほど世界の人々の解放につながるし、世界の中での日本の立場を強めることが出来るでしょう。(脱原発のための新しい「日独伊三国同盟」というのもありかも…)
震災の報を聞いて、世界の人々、とりわけ金銭的に裕福でない人々が沢山、日本のための募金活動に参加したというニュースが一頃、多く伝えられていましたが、それだけ日本の国民が期待されているということの裏返しでもあるでしょう。「一流を目指す。しかし、ともかく何であれそのために他者を傷つけることはしない、傷つけるものは扱わない」ということで、「平和主義」、「環境立国」という柱を据えて自信をもって国づくりを進めれば、日本という国は、世界の中で特別の位置にも立つことが出来るし、本当に個性的な国(自己実現した国)になることも出来るに違いありません。(そして、攻撃することが躊躇われるような国となることで、「防衛力」も高められる。)戦争の惨禍から平和主義を学び、震災の惨劇から脱原発による自然との調和のとれた環境立国を目指す事にした、というのはとても明快だし、生まれながらの「聖人」でなくて、人生同様に歴史に沢山の傷を抱えた生身の「国」として、自らを省み、時に赤面し、あえぎ苦しみながら(これをあっさり「自虐」と呼んでしまう、本当に自虐的な人々もいますが…とても軽薄で浅はかです。陰のないところに光は存在しえない。陰の部分を認められないというのは、それを抱え込む事が出来ないという自我の弱さの現れであるし、本当の意味で自身を大切にしていない、愛していないということです。そういう人がしばしば「愛国心」なるものを持ち出すのは、本当に馬鹿げています。いい加減にもっと強くなれ、と言いたい。ちょっと脱線。)それでも前へ歩む姿を日本という国は晒すことによってその価値を示すことができるし、それが出来る国だという事で、国民ももっと国に自信を持つことが出来る、そう確信しています。
総理大臣の退陣は避けがたいことでしょうが、せめて最後にやって欲しいのは、エリツィン辞任演説のような、国民が衝撃を覚えるような最後の演説です。彼は、「多くのことをすぐに成し遂げられると自分も含めて信じていたが、あまりにも問題が大きく、また力不足で、混乱を招き、国民の期待を裏切ってしまったことを率直に詫び(時に涙声を交えて)、そして次の世代に、この大仕事を委ねることにした」ということで首相ながら無名だったプーチンを後継に指名しました。もっとも、この後継者については賛否ありますが、国民がバラバラで当時崩壊の淵にあったロシアが、このことによって1つにまとまり、再び動き出したことは間違いない事実です。あの演説で、流れが全て変わってしまいました。日本の場合、後継を指名するようなことは出来ませんが、何があったのか、何を思ったのかを率直に語り(間違いなく、事故発生当時の状況は、国民の多くが思っている以上に過酷できわどいものだったはず。東京の廃都、東北・関東全住民の即避難というようなシナリオも頭を掠めていたに相違ないのです。その危機感は、後継者さらに国民全体に共有されなければならないものです)、力不足を詫びて、しかしそれでも、日本の将来のため、サバイバルのために痛みをともなうエネルギー政策の大転換を次のトップの下で進めることが必要だという事を全力で訴えることです。それが出来れば、いたずらに長く、結局大した実のなかった小泉時代よりかは、後世に大いに評価されることになるでしょう。バラ色ではなかたけれど、政権交代には確かに意味があったということにもなります。(ゴルバチョフもエリツィンも国民の評価は散々ですが、しかし、崩壊の淵、具体的には内戦の淵にあった国をつなぎとめ、次の世代に渡すことが出来た手腕は評価されるべきです。)
そして、願うところは、将来、日本国民の多くが、ネオンが宝石のように
きらめくニューヨーク、ロスの夜景ではなく、ほの暗く、月明かりが照らす
キエフの町の夜景こそが、都市の夜景として本物の美しさだということを
分かるようになってもらえたらなということです。
http://www.toride.com/~roshiashi/album83.23.html
(勝手ながら、行く度にキエフの夜は、確かに魔女が似合うと
思っています。キエフは妖怪が住んでいそうです。ペテルブルグは、
幽霊。モスクワは、生霊!)
元同僚の人がまとめたロシア、旧ソ連各地の写真アルバムより。
ロシア史の専門家だけあって、下手なガイドブックより、
はるかに読み応えがあります。
一応宣伝しておきます。http://www.toride.com/~roshiashi/album.html
脱線ついでに、ロシアで行くべきだったと後悔している町に
カシモフという町があります。そこの町の写真(ちょうど今の
季節のもの)を見てみてください。
まさしく「ロシア」という町です。
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.19.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.25.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.27.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.28.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.29.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.30.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.32.html
おまけ 元職場と家の近所(生活の様子)
http://www.toride.com/~roshiashi/album110.23.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album110.24.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.4.html
http://www.toride.cm/~roshiashi/album111.9.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.10.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.10.htmlhttp://www.toride.com/~roshiashi/album111.16.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.17.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.18.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.19.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.20.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.21.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.22.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.8.html
~~~~~~~~★~~~☆~~~~~~~~~
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一人で読むにはもったいないような内容なので
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~~~~~~~~~~★~~☆~~~~~~~~~~~~~~
今朝の産経新聞に目を通していたら、いつもは、「おいおい」と言いたく
なるような意見ばかりの「正論」欄が、大きな異変を示していました。
三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長の中谷巌氏による「30年
がかりで「脱原発」を目指せ」という主張が大きく出ています。
どうしてしまったのでしょう。(産経は、時々、不思議な記事を掲載します…)
見てみたら、Web版にも注目記事で出ていましたので、一応紹介しておきます。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110614/plc11061402570007-n1.htm
細部に関しては、異論も色々あろうかとは思いますが、一読すれば、
十分考えられた「脱原発論」です。
つまり、「復興の柱としてばかりでなく、近年の閉塞感を打破し、日本
再生の突破口にするためにこそ、国の威信をかけて「脱原発」をめざし、
世界をリードしろ。それくらいのことでもしないかぎり、日本の再生など
ありえない」というもので、菅首相の先日の再生エネルギー20%プランの
ようなものは中途半端すぎて駄目だという理由で批判しています。
さらに「「自然を慈しみ、畏れ、生きとし生けるものと謙虚に向き合う」
という日本人が古来持っていた素晴らしい自然観を世界に発信する
絶好の機会になる」という言葉で締めくくられています。
(ついでながら。紙面では無視されていましたが、Web版では、
デモの様子も写真と共に結構まともに伝えています。http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110611/dst11061121070042-n1.htm)
理想から言えば、直ちに全廃ですが、広く同意を得るうえでも、反・
脱原発派も、これくらいの妥協はあってよいと思います。(朝日新聞や
NHKが今日明らかにした世論調査の結果からも、今後原発は減らして
いくべきという意見が圧倒的ですから、30年かかりで無くすというのは、
具体的で広く国民が支持できるものだと思います。新規に建設しない
だけでよい。)
現実問題として、すでに原発が動いてしまっている以上、廃炉は数十年
がかりですし、廃棄物も相当量たまっているので、専門家や技術者の
層が急激に薄くなる事態は、却って危険性を増やしかねず、当面最低
限度は、やはり動かさざるを得ないでしょう。(これは、一度原発を国策
にしてしまった国として、残念ながら耐えなければならないリスクだと思
います。)ただ、その場合でも、もう原発が「経済的」というのはありえな
いし、むしろ、原発は「絶対に高コストでなければならない」という考えに
全体を転換させなければならないのは言うまでもありません。また、
それと関連して今回の事故で、特定地域に原発を集中させる事の危険性、
1箇所の原発で複数の原子炉を稼動させることの危険性が明白になった
のですから、同一地域に原発を集中させてはならないということと、1原発
に設置できる炉は2基か3基を限度として、実際に稼動出来るのはうち
1基のみにするという位はは徹底させなければならないでしょう。さらに、
「効率的な」大出力の原子炉というのもやめるべきです。国民的な支持を
確かなものにするためにも(すでに、国民の意識が脱原発の方向に向
かっていることがはっきりした以上、)反・脱原発派としても、単に危険性や
反対を唱えるだけでなく、一歩進んで出来るだけ具体的で現実的な提案を
訴えるべき時を迎えているような気がします。
とても大きな代償を払う事になってしまいましたが、国として「脱原発」を目指して
新しい国づくりを進めようというのは、安易で簡単な国旗掲揚・国歌斉唱などで
お茶を濁すよりも、今「はるかに国を1つにまとめる大きな力になるだろうと
思いますし、土地にしても食品にしても、大きなコストがかかってもきちんと
厳しい基準で徹底して汚染を管理するように国が動けば、長期的に見た場合
逆に日本のブランド力を高めることも間違いないでしょう。
(短期中期的には厳しいですが。)経済界の人々も、目先の利益ではなく、こう
いう展望があることに早く気づいて欲しいと切に願います。また、反・脱原発派
も、国の脱原発化、汚染管理の厳格化が、むしろ国力の向上に資するという
ことを積極的にアピールすべきだと感じます。
いまさらコスト競争などで他の新興国と争ったところで勝ち目などないのです
から、むしろ高コストを売りにして、国のイメージ、ブランド力を高めることに
賭けた方が、ずっと得策です。ドイツ、スイス、イタリアというような、むしろ
日本と同じような高ブランドのイメージで売っている国々こそが、脱原発に
動いている事は、故なきことではないということを、経済界も直視すべきです。
核兵器開発を目指すというような野心を抱えているならともかくも、もはや
日本のような国が原発をもっていることのデメリットの方がはるかに大きい。
原発があることで、中国製品よりも安い製品を沢山作れるというのなら、
それでも経済的意味はあるかもしれませんが、そうでないなら、もはや厄介者
以外の何者でもありません。質は良いけれど、高い、その上「原発事故が
起きた」、「今も原発が沢山ある」、「汚染管理は緩い」(つまり、ひょっとして
危ないかもしれない)というような国の製品など、買うのはやっぱり躊躇するし、
わざわざ出かけたくはないでしょう(よっぽどずば抜けて優れた特長が
あるか、安いかするならともかく)。何よりイメージがよくありません。
そういう国のものを持つこと、そういう国に行くことが、格好よくありません。
このまま原発依存の国づくりを進めるなら、中短期的には、そこそこの
利益はあがるかもしれませんが、長い目で見れば間違いなく、日本は世界
の中で、ただのどうでも良い国に堕ちていくだろうし、国民も、ますます格差が
大きくなってバラバラになっていくのが目に見えています。今の大人の世代には、ちょっと苦しいところも出てくるでしょうが、冷静に国の将来を考えた時、脱原発を明確化して環境立国を目指すという方向性は、世界の中で日本という国の歴史や文化、国民性を最大限に生かすことが出来るものであるし、賭けてみるだけの価値が十分にあるもののように思います。(少なくとも、IT革命やら金融革命などという上っ面ばかりのものより、ずっと日本人の特性にあっているし、地に足のついたものにできると確信します。そして、その分だけ、国民も自分たちのありように自信をもてるようにもなるでしょう。原発を1つ廃止することに、選挙の時みたいに花でもつけて、皆で万歳でもすればよい。)痛みを伴うけれども、国民にとっても我慢するだけの価値のある「改革」となるはずです。
チェルノブイリ25周年に際してウクライナの首相は、世界的な脱原発の動きに対して、「金持ちの国だけが出来る」と言いましたが、つまるところ、金持ちの日本にさえも出来なければ、その他の多くの国々にとっては、黙って危険と隣り合わせの日常を受け入れざるを得なくなってしまいます。逆に、試行錯誤の結果、日本という国が原発に頼らない国づくりというものを進めることが出来れば、日本という国の存在が世界の国にとっての希望ともなるし、その貴重なノウハウを生かして、あるいは低コスト化した新技術を使って、世界の脱原発化に貢献し、世界中の多くの市民が不安な日常から解放されることにもなります。欧米列強の植民地支配からアジア諸国民を解放するため進軍するなどというより、よほど世界の人々の解放につながるし、世界の中での日本の立場を強めることが出来るでしょう。(脱原発のための新しい「日独伊三国同盟」というのもありかも…)
震災の報を聞いて、世界の人々、とりわけ金銭的に裕福でない人々が沢山、日本のための募金活動に参加したというニュースが一頃、多く伝えられていましたが、それだけ日本の国民が期待されているということの裏返しでもあるでしょう。「一流を目指す。しかし、ともかく何であれそのために他者を傷つけることはしない、傷つけるものは扱わない」ということで、「平和主義」、「環境立国」という柱を据えて自信をもって国づくりを進めれば、日本という国は、世界の中で特別の位置にも立つことが出来るし、本当に個性的な国(自己実現した国)になることも出来るに違いありません。(そして、攻撃することが躊躇われるような国となることで、「防衛力」も高められる。)戦争の惨禍から平和主義を学び、震災の惨劇から脱原発による自然との調和のとれた環境立国を目指す事にした、というのはとても明快だし、生まれながらの「聖人」でなくて、人生同様に歴史に沢山の傷を抱えた生身の「国」として、自らを省み、時に赤面し、あえぎ苦しみながら(これをあっさり「自虐」と呼んでしまう、本当に自虐的な人々もいますが…とても軽薄で浅はかです。陰のないところに光は存在しえない。陰の部分を認められないというのは、それを抱え込む事が出来ないという自我の弱さの現れであるし、本当の意味で自身を大切にしていない、愛していないということです。そういう人がしばしば「愛国心」なるものを持ち出すのは、本当に馬鹿げています。いい加減にもっと強くなれ、と言いたい。ちょっと脱線。)それでも前へ歩む姿を日本という国は晒すことによってその価値を示すことができるし、それが出来る国だという事で、国民ももっと国に自信を持つことが出来る、そう確信しています。
総理大臣の退陣は避けがたいことでしょうが、せめて最後にやって欲しいのは、エリツィン辞任演説のような、国民が衝撃を覚えるような最後の演説です。彼は、「多くのことをすぐに成し遂げられると自分も含めて信じていたが、あまりにも問題が大きく、また力不足で、混乱を招き、国民の期待を裏切ってしまったことを率直に詫び(時に涙声を交えて)、そして次の世代に、この大仕事を委ねることにした」ということで首相ながら無名だったプーチンを後継に指名しました。もっとも、この後継者については賛否ありますが、国民がバラバラで当時崩壊の淵にあったロシアが、このことによって1つにまとまり、再び動き出したことは間違いない事実です。あの演説で、流れが全て変わってしまいました。日本の場合、後継を指名するようなことは出来ませんが、何があったのか、何を思ったのかを率直に語り(間違いなく、事故発生当時の状況は、国民の多くが思っている以上に過酷できわどいものだったはず。東京の廃都、東北・関東全住民の即避難というようなシナリオも頭を掠めていたに相違ないのです。その危機感は、後継者さらに国民全体に共有されなければならないものです)、力不足を詫びて、しかしそれでも、日本の将来のため、サバイバルのために痛みをともなうエネルギー政策の大転換を次のトップの下で進めることが必要だという事を全力で訴えることです。それが出来れば、いたずらに長く、結局大した実のなかった小泉時代よりかは、後世に大いに評価されることになるでしょう。バラ色ではなかたけれど、政権交代には確かに意味があったということにもなります。(ゴルバチョフもエリツィンも国民の評価は散々ですが、しかし、崩壊の淵、具体的には内戦の淵にあった国をつなぎとめ、次の世代に渡すことが出来た手腕は評価されるべきです。)
そして、願うところは、将来、日本国民の多くが、ネオンが宝石のように
きらめくニューヨーク、ロスの夜景ではなく、ほの暗く、月明かりが照らす
キエフの町の夜景こそが、都市の夜景として本物の美しさだということを
分かるようになってもらえたらなということです。
http://www.toride.com/~roshiashi/album83.23.html
(勝手ながら、行く度にキエフの夜は、確かに魔女が似合うと
思っています。キエフは妖怪が住んでいそうです。ペテルブルグは、
幽霊。モスクワは、生霊!)
元同僚の人がまとめたロシア、旧ソ連各地の写真アルバムより。
ロシア史の専門家だけあって、下手なガイドブックより、
はるかに読み応えがあります。
一応宣伝しておきます。http://www.toride.com/~roshiashi/album.html
脱線ついでに、ロシアで行くべきだったと後悔している町に
カシモフという町があります。そこの町の写真(ちょうど今の
季節のもの)を見てみてください。
まさしく「ロシア」という町です。
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.19.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.25.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.27.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.28.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.29.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.30.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album58.32.html
おまけ 元職場と家の近所(生活の様子)
http://www.toride.com/~roshiashi/album110.23.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album110.24.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.4.html
http://www.toride.cm/~roshiashi/album111.9.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.10.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.10.htmlhttp://www.toride.com/~roshiashi/album111.16.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.17.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.18.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.19.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.20.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.21.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.22.html
http://www.toride.com/~roshiashi/album111.8.html
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「未来の福島こども基金」にご協力を
食品の放射能を市民の手で測り市民の手で運営したい、というのが
かねてからの広河隆一さんの思いです。
それは、チェルノブイリ事故後、ドイツの市民放射能測定所を
訪問したからでした。
市民から持ち込まれた食品を測り、公表する。
市民はその公表された値を目安に、買い物する。
そんな様子を目の当たりにしました。
福島でもぜひ、食品の測定器購入および運営をスタートさせたいと
有志で「未来の福島こども基金」を立ち上げました。
測定器47台プロジェクト、DAYS JAPANなどと協力し、軌道に乗せたいと思っています。
市民放射能測定所の開設場所は、現在、郡山市といわき市を予定しています。
「未来の福島こども基金」では、会員、募金を募っています。
募金口座 郵便振替 00190-0-496774
口座名称 チェルノブイリから日本を考える会
*口座名称が異なりますのでご注意ください。
他の金融機関からゆうちょ銀行へお振込の場合
店名(店番)/〇一九(ゼロイチキュウ)店
預金種目 /当座
口座番号 /0496774
維持会員 10,000円(年間)
一般会員 3,000円
学生会員 2,000円
募金はいくらからでも受け付けます。
「未来の福島こども基金」のチラシはこちらをご覧ください。
配布してくださる方はご連絡ください。
「未来の福島こども基金」 Fukushima Children's Fund
(問合せ)
fromcherno0311あっとまーくyahoo.co.jp
090-3539-7611 むかい
かねてからの広河隆一さんの思いです。
それは、チェルノブイリ事故後、ドイツの市民放射能測定所を
訪問したからでした。
市民から持ち込まれた食品を測り、公表する。
市民はその公表された値を目安に、買い物する。
そんな様子を目の当たりにしました。
福島でもぜひ、食品の測定器購入および運営をスタートさせたいと
有志で「未来の福島こども基金」を立ち上げました。
測定器47台プロジェクト、DAYS JAPANなどと協力し、軌道に乗せたいと思っています。
市民放射能測定所の開設場所は、現在、郡山市といわき市を予定しています。
「未来の福島こども基金」では、会員、募金を募っています。
募金口座 郵便振替 00190-0-496774
口座名称 チェルノブイリから日本を考える会
*口座名称が異なりますのでご注意ください。
他の金融機関からゆうちょ銀行へお振込の場合
店名(店番)/〇一九(ゼロイチキュウ)店
預金種目 /当座
口座番号 /0496774
維持会員 10,000円(年間)
一般会員 3,000円
学生会員 2,000円
募金はいくらからでも受け付けます。
「未来の福島こども基金」のチラシはこちらをご覧ください。
配布してくださる方はご連絡ください。
「未来の福島こども基金」 Fukushima Children's Fund
(問合せ)
fromcherno0311あっとまーくyahoo.co.jp
090-3539-7611 むかい
2011年6月13日月曜日
6・11アクション 広島原爆ドーム前で
福島ハイロアクションのさえこさんから
転送転載OKとのことです。
---------------------------
福島原発震災が起きて3か月が経ちました。
この3か月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。
目を凝らしましょう。見えない放射能に。4月5日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。
目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。
目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。 チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。
耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、こどもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。
耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。
耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。
耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。
耳を澄ましましょう。自分の心の声に。
私たちの故郷は汚されました。
もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。
海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。
私たちは涙を止めることはありません。
こんなに悲しいことが起きたのですから。
心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。
私たちは涙を恐れません。
私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。
私たちは変化を恐れません。
恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。
大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。
私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。
私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。
私たちはそれを、乗り越えていきます。
私たちは声をあげ続けます。
私たちは、行動し続けます。
人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。
再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和しつつましく豊かに暮らす世界の姿に。
今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。
広島市 原爆ドーム前にて
2011年6月11日 うのさえこ
転送転載OKとのことです。
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福島原発震災が起きて3か月が経ちました。
この3か月、全ての人が、ひとりひとり、懸命に生きてきました。
目を凝らしましょう。見えない放射能に。4月5日までに放出された放射性物質は63万テラベクレル。チェルノブイリ事故の3分の1、広島原爆約200個分の放射性物質が環境中に解き放たれてしまいました。そして毎日、空へ、海へ、大地へ、大量の放射能が流れ出ています。それは生き物に入り込み、蓄積しています。
目を凝らしましょう。今、生命を削りながら必死の作業を続けている人たちがいます。年間被曝限度はこれまでの5倍に引き上げられました。線量計も足りず、内部被曝の検査もされず、大量の被曝を強いられ、恐怖と疲労の中で、私たち社会の命運を賭けて働く人たち。愛する息子が今日も原発復旧作業のために家を出て行くのを、たまらない気持ちで見送る母親がいます。
目を凝らしましょう。今、たくさんの人々が、被曝を強いられて生活しています。 チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、人々が普通の暮らしをするようにと求められています。赤ん坊も、子どもたちも、放射線を浴び、放射性物質を吸い、飲み込み、暮らしています。学校に子どもを送り出した後、罪の意識にさいなまれ、涙を流す母親がいます。大人たちは、子どもたちを守るための方法を必死に探しています。年間20ミリシーベルトという途方もない値。親達は教育委員会にも行き、県にも市町村にも、そして厚労省にも行き、不安を訴え、子ども達が被曝から守られることを求めました。自ら放射線量を測り、校庭や園庭を除染しました。防護のための勉強会を開きました。給食は安全なのか、プール掃除は、夏の暑さ対策は、これまでの内部被曝量は・・・考え付く限りのことをやっています。子どもを疎開させた親もいます。情報が錯綜する中、家族の中に、地域の中に、衝突や不和が生じています。
耳を澄ましましょう。赤ん坊の寝息、こどもたちの笑い声に。この世界を信頼し、裸で産まれてくる赤ちゃん、世界の全てを吸収して日々成長する子どもたち。私たち大人はそれにどう応えるのでしょうか。
耳を澄ましましょう。木々のざわめき、かぐわしい花に集まる虫たち、海を泳ぐ魚たち、山や森に暮らす動物たち・・・生きとし生けるもの全ての声に。
耳を澄ましましょう。まだ生まれぬ生命たちのささやきに。私たちの生命が希望を託すこの小さな声たちがなんと言っているのか、聞き取れるでしょうか。
耳を澄ましましょう。生きている地球の鼓動に。私たちは、動く大地のうえに街を建て、一瞬の生命をつないで生きてきました。次の巨大地震はいつ、どこに来るのでしょうか。
耳を澄ましましょう。自分の心の声に。
私たちの故郷は汚されました。
もう二度と、3月11日以前に戻ることはありません。
海にも空にも大地にも、放射能は降り注ぎました。
私たちは涙を止めることはありません。
こんなに悲しいことが起きたのですから。
心から泣き、嘆き、悔やみ、悼みます。
私たちは涙を恐れません。
私たちが恐れるのは、嘘です。幻想の上に街を再建することです。人々が被曝し続けることです。そして声なき無実の生命たちの未来が、失われていくことです。
私たちは変化を恐れません。
恐れるのは、悲劇を直視せず、悲劇を生み出した社会に固執し続けることです。
大きなもの、効率、競争、経済的利益、便利さ・・・そうしたものを、私たちは問い直します。科学も数字も全て、私たちの生命のために奉仕するべきであって、逆ではありません。
私たちは、別のあり方を求めます。無数のいのちの網目の中で生きる、私たち人間のいのちを守る、別の価値観と社会を求めます。
私たちの中の「原発」に、私たちは気づいています。
私たちはそれを、乗り越えていきます。
私たちは声をあげ続けます。
私たちは、行動し続けます。
人間性への深い信頼を抱き、限界なく、つながり続けます。
再び、目を凝らしましょう。未来の世界に。人々が放射能におびえることなく、被曝を強いられることもなく、地球という自然に調和しつつましく豊かに暮らす世界の姿に。
今日皆さんと歩む一歩一歩の先に、そうした未来があると信じています。
広島市 原爆ドーム前にて
2011年6月11日 うのさえこ
2011年6月12日日曜日
バザーの翌日のデモは体に悪い
デモ好き(?)を自認しているが、さすがにトシのせいか、
最近は疲れる。
4月のデモのあと、何日も足が痛かった。
前日のバザーの準備と当日の販売と後片付け、
芝公園のデモに参加したが途中でリタイア。
早々に家にもどってきた。
まだ実は家には段ボールが山積みになっている。
福島に送ろうと思って先に荷造りをしたのだが、
荷造りをしてから確認のため、受け入れ先のサイトを
見た。
なんと、全部新品しか受け付けない、と書いてある。
新品を優先したが、中古も混じっている。
そのまま送るわけにはいかない、ということになり、
中身をチェックしてからでないと送りだせないことになった。
それとは別に当日集まった品物、当初は福島へ、と思っていたが
新品と制限されるとそんなにはない。
結局、いつものように、婦人厚生施設「かにた」へ主に衣類を大箱で7個。
身障者と共に運営している地域の店「よろづや」へ食器など
みかん大で7箱。
そして、新品の食器2箱を福島へ。
最近、ほとんどのバザー会場では衣類については新品しか扱わない
所が多くなった。
でも、それではバザーの醍醐味は半減する。
品質の良い個性的なモノは中古しかあり得ない。
だから、わがほうのバザー、いまだに人気があるのかな?
売り上げも順調だった。
前回に引き続き平日を選んだ。それも今度は金曜日。
曜日的にはまったく問題なかった。売り上げに影響しなかった。
まだ、福島への発送が残っているから、確定はしていないが
8万円は募金できそうだ。
今回はチラシにもうたったが、募金は、チェルノブイリ子ども基金と
未来の福島こども基金、両方へ折半の予定である。
最近は疲れる。
4月のデモのあと、何日も足が痛かった。
前日のバザーの準備と当日の販売と後片付け、
芝公園のデモに参加したが途中でリタイア。
早々に家にもどってきた。
まだ実は家には段ボールが山積みになっている。
福島に送ろうと思って先に荷造りをしたのだが、
荷造りをしてから確認のため、受け入れ先のサイトを
見た。
なんと、全部新品しか受け付けない、と書いてある。
新品を優先したが、中古も混じっている。
そのまま送るわけにはいかない、ということになり、
中身をチェックしてからでないと送りだせないことになった。
それとは別に当日集まった品物、当初は福島へ、と思っていたが
新品と制限されるとそんなにはない。
結局、いつものように、婦人厚生施設「かにた」へ主に衣類を大箱で7個。
身障者と共に運営している地域の店「よろづや」へ食器など
みかん大で7箱。
そして、新品の食器2箱を福島へ。
最近、ほとんどのバザー会場では衣類については新品しか扱わない
所が多くなった。
でも、それではバザーの醍醐味は半減する。
品質の良い個性的なモノは中古しかあり得ない。
だから、わがほうのバザー、いまだに人気があるのかな?
売り上げも順調だった。
前回に引き続き平日を選んだ。それも今度は金曜日。
曜日的にはまったく問題なかった。売り上げに影響しなかった。
まだ、福島への発送が残っているから、確定はしていないが
8万円は募金できそうだ。
今回はチラシにもうたったが、募金は、チェルノブイリ子ども基金と
未来の福島こども基金、両方へ折半の予定である。
2011年6月9日木曜日
捨てる神あれば拾う神あり
文字通りのリサイクルバザー。
今回は少し様相が違う。
短期間にしては品物が多い。
そうか、断捨離ブームもあったところに3・11大震災が勃発。
モノを片づけている人が多いのだ。
家に不要のモノ、危ないモノを置きたくない。
片づけついでによそ様の役にたつのならこんな
ありがたいことはない。
その結果、じゃんじゃんと届くことになったわけだ。
う~ん、片づけたい人が多い、ということは
買いたいという人が少ないということ?
これは大変。
わが「カリーナ」はじまって以来のピンチか!?
ところが、これが標題と結び付くことに。
以下、福島のOさんから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず数箱くらいは、避難ホテルのロビーの物資コーナーに直ぐ置けます。
そして、バザーの品物を積極的にいただけるところを見つけられると思います。
会津若松市の救援物資受け取り体育館は5月からすっかり物が少なくなっています。
夏服ももうほとんどありません。
そろそろ仮設住宅や借り上げ住宅へ移り始めているので、
今こそ食器・家庭雑貨・衣類など揃えたい時です。
物資受け取り体育館を運営している会津若松社会福祉協議会へ、
物資提供の受け入れ可能性を問い合わせたいと考え始めていたところでした。
もっと困っているところ(岩手、宮城は東電補償一時金もない)や、
逆にまだ余り気味のところもあるかとは思います。
双葉郡8町村くらいは全部問い合わせてから、
東京方面へお願い呼びかけをしようかとも考えています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんとも心強い返事。
これで安心してバザーを開ける。
今回は少し様相が違う。
短期間にしては品物が多い。
そうか、断捨離ブームもあったところに3・11大震災が勃発。
モノを片づけている人が多いのだ。
家に不要のモノ、危ないモノを置きたくない。
片づけついでによそ様の役にたつのならこんな
ありがたいことはない。
その結果、じゃんじゃんと届くことになったわけだ。
う~ん、片づけたい人が多い、ということは
買いたいという人が少ないということ?
これは大変。
わが「カリーナ」はじまって以来のピンチか!?
ところが、これが標題と結び付くことに。
以下、福島のOさんから。
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まず数箱くらいは、避難ホテルのロビーの物資コーナーに直ぐ置けます。
そして、バザーの品物を積極的にいただけるところを見つけられると思います。
会津若松市の救援物資受け取り体育館は5月からすっかり物が少なくなっています。
夏服ももうほとんどありません。
そろそろ仮設住宅や借り上げ住宅へ移り始めているので、
今こそ食器・家庭雑貨・衣類など揃えたい時です。
物資受け取り体育館を運営している会津若松社会福祉協議会へ、
物資提供の受け入れ可能性を問い合わせたいと考え始めていたところでした。
もっと困っているところ(岩手、宮城は東電補償一時金もない)や、
逆にまだ余り気味のところもあるかとは思います。
双葉郡8町村くらいは全部問い合わせてから、
東京方面へお願い呼びかけをしようかとも考えています。
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なんとも心強い返事。
これで安心してバザーを開ける。
2011年6月6日月曜日
チェルノブイリ救援バザー6月10日、もうすぐだ!
なんと、恒例のチェルノブイリ救援バザーの開催まであと5日。
つい数日前、チラシをまいたばかり。
3・11以降何かと忙しい日々。
今年のバザーはどうしようか?
一番頼りにしている仲間が九州に拠点を移した。
でも、バザーには駆けつけるという連絡があった。
熱心なファンから問い合わせも届く。
じゃ、あまり大々的にモノを集めなくとも、今自宅にあるものを
探し出して売るだけでもいいか、と安易に考えて
チラシまきもそんなに前からでないのにしようと。
しかし、甘かった。
チラシをまいたその日の夜から品物が玄関前に届いている。
まだまだ集まりそうな気配。
今回は福島への募金もうたったのだから
前にも増して品物も多く集め、たくさんの人に来場してもらわねば。
つい数日前、チラシをまいたばかり。
3・11以降何かと忙しい日々。
今年のバザーはどうしようか?
一番頼りにしている仲間が九州に拠点を移した。
でも、バザーには駆けつけるという連絡があった。
熱心なファンから問い合わせも届く。
じゃ、あまり大々的にモノを集めなくとも、今自宅にあるものを
探し出して売るだけでもいいか、と安易に考えて
チラシまきもそんなに前からでないのにしようと。
しかし、甘かった。
チラシをまいたその日の夜から品物が玄関前に届いている。
まだまだ集まりそうな気配。
今回は福島への募金もうたったのだから
前にも増して品物も多く集め、たくさんの人に来場してもらわねば。
2011年6月1日水曜日
このごろの母
先日、母の施設で、介護保険も見直しのためケアマネさんの訪問があり
同席した。
母はやや不審そうな顔をしていたが、
最近のお体の調子はどうですか?
お元気かどうかと思って、まいりましたよ。
母はコックンとうなずいていた。
なかなかうまい出だしの言葉だと思った。
健康かどうか心配してきてくれている、ということに安心を
覚えたのだろう。
聞かれたことに最小限のことは答えていた。
お昼は何を食べましたか?
ご飯が少ないから忘れました。
わかったようなわからないような返事。
ご飯の量が少ないのが不満なのだ。
でも、動かないから、体重は徐々に増える一方である。
ご飯の量を増やすわけにはいかない。
3月の大震災以来、母のところへ行くのが週2回から1回、10日に1回と
少なくなっていた。
気がついたときには体に湿疹ができてかきくずし、見た目にもひどくなっていた。
施設では何が原因か調べている、という。
ほどなく原因がわかった。ダニだという。
さもありなん。
ご飯とトイレ以外は極力ベッドから離れたがらない。
それも靴下も上の服も着たまま、布団もすっぽり肩まで
引き上げて寝ている。
姉と相談して連休の初日、母を1泊させた。
その後も少しまめに訪問するようにしたら、
最近は湿疹も治ってきた。
やっぱり、手を抜くと、体調に現れるようだ。
姉も5月は2回も母に会いにきた。
姉に会うとことのほか喜んでいる。
色が白くなったね、とほめたりしていた。
そうそう、何歳ですか?
ケアマネさんに聞かれて60何歳、いや70何歳、いや、89歳と考えながら
正しく答えていた。
4月に誕生日がきたばかりなのによく正しい歳が言えたものだ。
同席した。
母はやや不審そうな顔をしていたが、
最近のお体の調子はどうですか?
お元気かどうかと思って、まいりましたよ。
母はコックンとうなずいていた。
なかなかうまい出だしの言葉だと思った。
健康かどうか心配してきてくれている、ということに安心を
覚えたのだろう。
聞かれたことに最小限のことは答えていた。
お昼は何を食べましたか?
ご飯が少ないから忘れました。
わかったようなわからないような返事。
ご飯の量が少ないのが不満なのだ。
でも、動かないから、体重は徐々に増える一方である。
ご飯の量を増やすわけにはいかない。
3月の大震災以来、母のところへ行くのが週2回から1回、10日に1回と
少なくなっていた。
気がついたときには体に湿疹ができてかきくずし、見た目にもひどくなっていた。
施設では何が原因か調べている、という。
ほどなく原因がわかった。ダニだという。
さもありなん。
ご飯とトイレ以外は極力ベッドから離れたがらない。
それも靴下も上の服も着たまま、布団もすっぽり肩まで
引き上げて寝ている。
姉と相談して連休の初日、母を1泊させた。
その後も少しまめに訪問するようにしたら、
最近は湿疹も治ってきた。
やっぱり、手を抜くと、体調に現れるようだ。
姉も5月は2回も母に会いにきた。
姉に会うとことのほか喜んでいる。
色が白くなったね、とほめたりしていた。
そうそう、何歳ですか?
ケアマネさんに聞かれて60何歳、いや70何歳、いや、89歳と考えながら
正しく答えていた。
4月に誕生日がきたばかりなのによく正しい歳が言えたものだ。
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