風の強い22日、首都圏の消費者として地震により営業運転を中止していた柏崎・刈羽原発の営業運転をまだ認めないように、柏崎市長に申し入れを行った。
奇しくもこの日、刈羽・柏崎原発6、7号機の運転再開を新潟県知事らが認めた。
ちょうど、市役所についたとき、運転再開を認めましたが 地元民としてどう思われますか?
といきなり入口に立っていた男性が聞いてきた。
新潟日報の記者だったのだが、
東京から来たのですが、というと残念そうに引き下がった。見ているとなかなかインタビューに応じている人がみつからないようだった。
待ち合わせのため市民コーナーに行ったがまだAさんはきていない。
ふと思って、記者に近づき、かくかくしかじかで柏崎までわざわざ
来たのだが、と話しかけてみた。
そうですか、とだけの返事。
次に、持っていたチェルノブイリ救援カレンダーを見せて、現在のチェルノブイリの様子を話し、カレンダーのことを紙面に載せてもらえないか、と話してみた。
カレンダーのことは関心を示してくれて、約束はできないが、
データを送って、ということになった。
そうこうしているうちに約束の時間が。
もう一人、福島からの友人も到着。
知事は今日予定があるとかで副知事が対応。
肝心のAさんはすでに副知事室に仲介してくれた市議と共に
部屋にいた。
副知事は、私はあまり詳しくないので、と正直だった。
Aさんの話には真摯に耳を傾けていた。
話の間、責任は国にあるので・・・、と
繰り返し述べていたが。
国、電力会社、自治体、それぞれに責任転嫁する姿勢は
変わらないようだ。
この日、もう一つの目的は友の墓参だった。
Aさんと共に「東電と共に脱原発をめざす会」の
代表世話人だった友は、昨年の今頃、病に倒れた。
柏崎のお墓に亡き父親と共に眠っているという話は
夏のころから聞いていた。
本来は嫁ぎ先のお墓に入るのだろうが、家族の思いやりか?
あるいは本人の希望だったのか?
最後までふるさと柏崎の原発の行方を心配していた友。
Aさんはたびたび原発のことで柏崎を訪れているが、まだ墓参を
果たせていないから年が明ける前にぜひ、と願っていた。
それがやっと実現。
お墓には前日までの寒さで雪がまだだいぶ残っていた。
1周忌を行ったばかりだろうか。
新しい塔婆とお花が供えてあった。
私たちもお花を供えて、Aさんが新潟市で買い求めたという
絵ろうそくを飾った。
このお寺は、地震のあと、倒れたブロック塀を直したそうで新しい
塀は木だった。
町のあちこちにまだ地震の痕が残っていた。
今日のニュースによると、6号機は不具合がみつかり、24日に予定
していた性能検査を延期するそうだ。
◎東電発表
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