2009年1月15日木曜日

正月の母――その2

先日の続き。

正月泊まりに来た母はまれにみるはっきりしている状態だった。

1日目は長いマフラーの4つの端を全部縫った。
2日目はなます大根を刻んでくれた。

大きな大根をほぼ1本、千切りにした。

私が子どものころ、雪国の冬は大した野菜はなく
保存のきく根菜類がおもなおかずだった。

いろりのそばにまな板を台所から持ってきて、切っていた。
そして、いろりにかかっている鍋にそのまま刻んだものを入れる。

味噌汁用に、大根を薄い輪切りにしたものを重ねて、そしてちょっとだけずらしてトントントントン切っていくのをよくみていた。

子どもごころにうまいものだな~と感心しながら見ていた、と、思う。

前にも書いたが、父が亡くなってから、町の教員住宅の寮母として賄いをしていたときが母の人生で最高の時だった。

そのときの先生方からはいまだに年賀状も届く。

縫い物は本職だったが、あまりに田舎のため、仕事がなかった。

ところで正月は娘も泊りにきた。

母と私と娘と3人がリビングに寝た。母には折りたたみ式の簡易ベッドを使った。

グループホームでは広い個室に入っている。

田舎ではもちろん、個室があった。
2階に母の部屋があったが、足を骨折した後(驚異的な回復力ですぐに治ったのだが)、1階の仏間で寝ていた。

だから、我が家が一番狭くてある意味、居心地はよくないかもしれない。

母が寝ているベッドの端に私が乗っかって、天袋の物を探したときにはボー然とした顔で私を見上げていた。

おちおち寝てもいられないと思ったのではないかな。

なぜ、天袋を探していたか、というつづきの話はまた。

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