2010年6月12日土曜日

シュロモー・サンド氏と若き通訳氏

「シュロモー・サンド氏特別記念講演会」に行ってきた。

本はまだ読んでいない。
いつか買おうと思っているがどうせ積んどくになるから
ほんとに「読みたい」「読める」となったときに買おうと思っている。

なにせ、老眼になってからは3歩進んで5歩下がる、という感じで
とても分厚い本など読めない。

中東問題もよくわからない。

でも、シュロモー・サンドはすごいらしい。

本物に会ってみたい。

というわけで今回は早めに予約した。
満員の会場。
前の席が空いている、と案内されたが
100%眠るに違いない、という自信があってその前の席は
断り、少し端のほうの目立たないところに座った。

めったにない機会。ぜひ講演を聞きたい、という気持ちは
十分あるのだが、だからと言って眠らないという保証はない。

今まで聞いたことのある通訳付きの講演会、
おもしろい、と思ったことがなかった。

おもしろくないとすぐ眠るのが常だ。

今夜も通訳付きだし、もちろん英語もわからないし
難しい中東問題だし、眠る自信はあったのである。

しかし、一瞬たりとも今日は眠らなかった。

ことばがあふれてくる。
抑揚があり感情豊か。動作も伴う。

必死になって(?)、通訳氏が後を追う。
通訳氏もついつい手ぶりも入る。

私が聞いたことのある通訳者はたんたんと話す、というのが
多かったが、講演者にまけじと大きな声で通訳した。

かつて詩のボクシングという番組があり
ねじめ正一&谷川俊太郎の対決を見たことがある。

大げさにいえばそんな感じだった。

英語はわからないのに本人のしゃべり方と表情と見てるだけでも
おもしろい。役者のようだ、と思った。
目が離せなかった。

通訳氏の表情も見たかったが前列のほうではなかったので
全部は見えず、席を断ったのが悔やまれた。

垣間見えた通訳氏のまじめそうな顔がときどき苦笑したりしている。
何に対してかというと、通訳者のことを考えないで
あまりに長く話すから。
講演者もときどき気がついて、申し訳なさそうな顔をするが
すぐにまた忘れて、話だすと止まらなくなる・・・


しかし、英語のわかる友人が、全部は訳してなかったよ。
かなりはしょったと。

それでも真意はほとんど伝わったのではないかと思う。
(英語がわからないのに断定はできないけど)
はしょらなかったら、あの講演会は終了しなかっただろう。

あんな先生に習う学生は幸せだね。

1 件のコメント:

七転び八起き さんのコメント...

嗚呼、この週末だったのですね。大阪と九州から出張帰途でしたが、間に合いませんでした。これは聞きに行きたかったです。江古田のイスラエル料理屋さんにまた行きたくなりました。こんど皆さんを御招待出来ればと思います。新事務局長さんも、その店を御存知のようでした。