名護市長選の選挙結果、よかった、よかった。
池田香代子さんの昨日のブログ
「この喜びをひとりでも多くの方がたと 名護市長選」
毎日新聞のひと欄に、「やると決めたら、とことんやり抜く人」との
周囲の人たちの評が載っていた。
64歳と書いてあったが若々しい。
笑顔が素敵な人だ。
下記呼びかけ文では、
「1月24日の名護市長選挙で新基地建設反対を貫く市長を実現し、」
となっているが実現したのだ!
~~~ 以下、転送・転載歓迎 ~~~
===================
普天間基地いらない!新基地建設許さない!
-------------------
全国から日比谷公園・野音に1万人集まろう!
===================
普天間基地はいらない
辺野古・新基地建設を許さない1・30全国集会
―チェンジ! 日米関係―
【日時】2010年1月30日(土)14:00~15:30(予定)
※集会終了後に銀座・東京駅方向に向けてデモ行進
【会場】日比谷公園・野外大音楽堂(千代田区日比谷公園1-3)
最寄り駅:地下鉄「霞ヶ関」駅「日比谷」駅「内幸町」駅
【内容】方針提起・沖縄からの情勢報告・国会情勢報告・参加団体のアピール
【主催】1・30全国集会実行委員会
問い合わせ:フォーラム平和・人権・環境(電話03-5289-8222)
★チラシを印刷できます。
今、普天間基地の「移設」見直しが5月までとされています。
普天間基地の即時閉鎖と辺野古新基地建設の断念をさせる
ためには、今月1月24日の名護市長選挙で新基地建設反対を
貫く市長を実現し、沖縄とともに全国から政府へ意思表示する
ことがすごく重要なときです。
そこで、1月30日に労働組合や市民団体が沖縄をはじめ全国から
結集して、集会デモをおこないます。
大結集が政府へ強く迫ることになり、沖縄への激励ともなります。
ぜひ声をかけあって参加してください。
*************************
辺野古への基地建設を許さない実行委員会
http://www.jca.apc.org/HHK/NoNewBases/NNBJ.html
電話090-3910-4140(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
FAX03-5275-5989(市民のひろば)
*************************
長年関わってきたチェルノブイリ救援活動。もうそろそろ若者とバトンタッチをしようと思いつつあっという間に月日は経過。さらなる困難な状況の中、退くのもためらわれ今しばらく関わらざるを得ないか、とハラを決めたところに認知症の母と同居することに。私個人の二大関心事をテーマに日々のできごとを綴りたい。
2010年1月26日火曜日
2010年1月22日金曜日
100日も寝てないと言う母
昨日の母はめずらしく、ほかのみなさんと一緒にテーブルについていた。
午前のお茶の時間。
でも、こぶ茶がすっぱいと言って飲まなかったとかで
ほうじ茶がおちゃわんに入っていたがそれも飲んでいなかった。
とにかく水分をとるのを嫌がる。
おおむね年をとるとそうのようだ。
トイレに行くのが近くなるから、というのが一番の原因。
すべての臓器は水によって維持できているのだし、トイレが
遠くなったらそれこそ病気になるのだが。
そして、昨日はもう一つ問題があった。
お風呂にここ数日入ってない、と職員の方。
お風呂は好きなほうなのでこれは何かあるなと思った。
廊下まで散歩しようといやがる母をやっと連れ出して
聞いてみた。
あんな冷たい水風呂なんか入るのはヤダ。と強い調子。
そうか、何かの加減でぬるかったんだな。
それがインプットされて、拒否になったのか。
職員の方にそれを話したら、熱いお風呂が好きですよね、
と、納得。
標題は正月に姉たちが来たときの話し。
だいたいがほとんど寝て過ごしているので(足は丈夫なのだ
けれど)、何日おきかにときどき眠れない日が出てくる。
当然のことだ。
それでも不穏の状態にはなってないからまあよいほうだ。
ちょうど、その日は眠れない翌日だった。
前日、姉は妹の介護で病院に行っており、状態も悪い時だった。
だから、姉の感情も高ぶっていて強い調子で言った。
「あのね、***は今病気だよ。死ぬか生きるかのときなんだよ。
57歳で死ななくてはならないなんてかわいそうだね」
それに対する母のことば。ああ言えばこう言う。本領発揮だ。
まして、寝てないときは頭が冴えている。
「病院に入院しているんだろう? (だから)***は大丈夫だよ。
私のほうがよっぽどかわいそうだよ。もう、100日も200日も300日も、
いや2年も寝てないんだから」
いやはや、常識では考えられないことを本気で言う。
(それなのに数字の積み上げ方は合っている・・・)
妹は11日に亡くなった。
母はまだそれを知らない。
午前のお茶の時間。
でも、こぶ茶がすっぱいと言って飲まなかったとかで
ほうじ茶がおちゃわんに入っていたがそれも飲んでいなかった。
とにかく水分をとるのを嫌がる。
おおむね年をとるとそうのようだ。
トイレに行くのが近くなるから、というのが一番の原因。
すべての臓器は水によって維持できているのだし、トイレが
遠くなったらそれこそ病気になるのだが。
そして、昨日はもう一つ問題があった。
お風呂にここ数日入ってない、と職員の方。
お風呂は好きなほうなのでこれは何かあるなと思った。
廊下まで散歩しようといやがる母をやっと連れ出して
聞いてみた。
あんな冷たい水風呂なんか入るのはヤダ。と強い調子。
そうか、何かの加減でぬるかったんだな。
それがインプットされて、拒否になったのか。
職員の方にそれを話したら、熱いお風呂が好きですよね、
と、納得。
標題は正月に姉たちが来たときの話し。
だいたいがほとんど寝て過ごしているので(足は丈夫なのだ
けれど)、何日おきかにときどき眠れない日が出てくる。
当然のことだ。
それでも不穏の状態にはなってないからまあよいほうだ。
ちょうど、その日は眠れない翌日だった。
前日、姉は妹の介護で病院に行っており、状態も悪い時だった。
だから、姉の感情も高ぶっていて強い調子で言った。
「あのね、***は今病気だよ。死ぬか生きるかのときなんだよ。
57歳で死ななくてはならないなんてかわいそうだね」
それに対する母のことば。ああ言えばこう言う。本領発揮だ。
まして、寝てないときは頭が冴えている。
「病院に入院しているんだろう? (だから)***は大丈夫だよ。
私のほうがよっぽどかわいそうだよ。もう、100日も200日も300日も、
いや2年も寝てないんだから」
いやはや、常識では考えられないことを本気で言う。
(それなのに数字の積み上げ方は合っている・・・)
妹は11日に亡くなった。
母はまだそれを知らない。
2010年1月14日木曜日
東電共の会からのお知らせ 「東電との対話フォーラム」
<以下、転送・転載歓迎>
暮れにとうとう柏崎刈羽7号機は国の許可が下され営業運転に入ってしまいました。 消費者抜きで進められるこの行為を、消費地の東電消費者に訴えたいとして、3月6日に下(※)のような企画を進行中です。 短期決戦となりますので、多数のご協力とご参加をお願いします。 第一回実行委員会を1月15日にもつことにしました。 ご都合のつく方、参加してくださいです。 また、どなたかご紹介いただけるとうれしいです。
■第1回実行委員会(当日参加歓迎)1月15日 17時30分~20時
場所:渋谷区消費者センター商工会館2階会議室(和室 住所:渋谷区渋谷1-12-5 玄関の各部屋案内板には「電力消費者と柏崎刈羽原発を 考える」ふぇみん婦人民主クラブ、と書いてあります。
主催:「電力消費者と柏崎刈羽原発」対話フォーラム実行委員会
問合わせ:東電共の会(050-7533-0515=留守の場合はご連絡先を留守録へ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※●対話フォーラム/電気の消費者と柏崎刈羽原発 柏崎刈羽から送電されないと私たちは困るの?(仮称) ~~安全は 確保できたのですか~~
■日時 3月6日(土)14時~18時
■会場 渋谷区消費者センター大研修室(300人)
■参加費 無料
中越沖地震で全7機が被災した柏崎刈羽原発は、その後2年半をかけて調査・点検が進められてきましたが、いまだに被災状況の全貌は見えません。昨年12月28日に、全機の中でも最も新しい7号機がようやく国の許可を得て営業再開したところです。 この間地元では運転再開をめぐって賛否両論渦巻き、数え切れないほどの会合や議論が重ねられてきました。けれどもそれらの苦悩はほとんど消費者に届いていません。 いったい柏崎刈羽原発で何が起こったのか、そしてどうなったのか、関係者の方々からお聞きし、震災を受けた原発を、このまま次々と復帰して送電してもらう必要があるのか、消費地としても考えてみませんか。
■講師予定(交渉中) 東京電力 元原発技術者 地震学者 原発研究者 地元住民 ほか 主催 「電気の消費者と柏崎刈羽原発」対話フォーラム実行委員会 後援を新潟県、柏崎市、刈羽村や地元メディア等に要請中
連絡先 ふぇみん婦人民主クラブ(03-3402-3244) 東電共の会(050-7533-0515=留守の場合はご連絡先を留守録へ) 日本消費者連盟(03-5155-4765)
◆実行委員会参加連絡先 東電共の会(mail:ray-sea@nifty.com またはT/F050-7533-0515)
◆カンパ振り込み先 郵便振替口座 00850-4-2364 東電と共に脱原発をめざす会
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 明日のお知らせだが、ご都合のつく方、ぜひ参加を!
暮れにとうとう柏崎刈羽7号機は国の許可が下され営業運転に入ってしまいました。 消費者抜きで進められるこの行為を、消費地の東電消費者に訴えたいとして、3月6日に下(※)のような企画を進行中です。 短期決戦となりますので、多数のご協力とご参加をお願いします。 第一回実行委員会を1月15日にもつことにしました。 ご都合のつく方、参加してくださいです。 また、どなたかご紹介いただけるとうれしいです。
■第1回実行委員会(当日参加歓迎)1月15日 17時30分~20時
場所:渋谷区消費者センター商工会館2階会議室(和室 住所:渋谷区渋谷1-12-5 玄関の各部屋案内板には「電力消費者と柏崎刈羽原発を 考える」ふぇみん婦人民主クラブ、と書いてあります。
主催:「電力消費者と柏崎刈羽原発」対話フォーラム実行委員会
問合わせ:東電共の会(050-7533-0515=留守の場合はご連絡先を留守録へ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
※●対話フォーラム/電気の消費者と柏崎刈羽原発 柏崎刈羽から送電されないと私たちは困るの?(仮称) ~~安全は 確保できたのですか~~
■日時 3月6日(土)14時~18時
■会場 渋谷区消費者センター大研修室(300人)
■参加費 無料
中越沖地震で全7機が被災した柏崎刈羽原発は、その後2年半をかけて調査・点検が進められてきましたが、いまだに被災状況の全貌は見えません。昨年12月28日に、全機の中でも最も新しい7号機がようやく国の許可を得て営業再開したところです。 この間地元では運転再開をめぐって賛否両論渦巻き、数え切れないほどの会合や議論が重ねられてきました。けれどもそれらの苦悩はほとんど消費者に届いていません。 いったい柏崎刈羽原発で何が起こったのか、そしてどうなったのか、関係者の方々からお聞きし、震災を受けた原発を、このまま次々と復帰して送電してもらう必要があるのか、消費地としても考えてみませんか。
■講師予定(交渉中) 東京電力 元原発技術者 地震学者 原発研究者 地元住民 ほか 主催 「電気の消費者と柏崎刈羽原発」対話フォーラム実行委員会 後援を新潟県、柏崎市、刈羽村や地元メディア等に要請中
連絡先 ふぇみん婦人民主クラブ(03-3402-3244) 東電共の会(050-7533-0515=留守の場合はご連絡先を留守録へ) 日本消費者連盟(03-5155-4765)
◆実行委員会参加連絡先 東電共の会(mail:ray-sea@nifty.com またはT/F050-7533-0515)
◆カンパ振り込み先 郵便振替口座 00850-4-2364 東電と共に脱原発をめざす会
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 明日のお知らせだが、ご都合のつく方、ぜひ参加を!
2010年1月4日月曜日
妹の奇跡
年が明けて、上越地方、中越地方は大雪の正月となった。
3日、列車からみる景色は一面が雪。
年末29日に行ったときは病院のまわりはほとんど雪がなかったのがウソのようだった。
2日に新潟市から姉一家が埼玉にやってきた。神奈川にいる娘一家3人と施設にいる母もまじえて、大勢での昼食会。
このときはまだ妹の意識はもうろうとしていた。
>>>>※>>>>
私と同じ29日に病院入りして介護にあたっている義妹からはひんぱんに報告が入っていた。
30日、妹の容態に驚いた姉は痛み止め(モルヒネ)の量に疑いを抱くとともにひごろかかりつけの自然治療の先生に指示を仰ぎ、健康食品と水素の粉末を与え、義妹、夫にも1日に数度、与えるように依頼。
それらは痛みを和らげ、抵抗力をつけ、排尿によいとのこと。
31日、義妹の報告がひんぱんに携帯メールで届く。
血圧、発熱、脈拍、尿の量、刻々と数値は健康人に近づいていた。
ぱんぱんに膨らんでいた足のむくみも少しずつひいてきたという。
1日、姉が行ったとき、血色もよく、足のむくみなどは改善していたが、呼びかけても反応がなかった。
たまたま居合わせた看護士からは、呼びかけても無理ですよ。
薬が効いているのですから、との返答。
前回聞いた看護士は「適量」を与えている、と答えたのだが、
この日の看護士は、10から20、さらに30と段階的に増やしています。とも。
それを聞いて姉は決心。
モルヒネの量を減らしてほしいことを病院側に必ず伝えるように、義妹、妹の夫にくれぐれも念を押して帰宅。
妹の夫は昔堅気の人で病院にはあからさまに希望を述べることに逡巡していたが、1年前に母をガンで亡くしたばかりの義妹は強い。
病院とわたりあった経験がモノを言い、2日に、希望を看護士を通して申し入れた。
担当の医師は不在だったが代わりの医師は、モルヒネの量を減らすことに反対。
だが、義妹、夫、息子、3人で強く要望。
本人が痛そうにうなるので量を増やした。
そして、それは一般的なことだ。
また、反応がないのはモルヒネの影響だけとは言えない。
減らしたことにより、意識がはっきりするかどうかはわからない。
痛みが強くなった場合、暴れるかもしれない。
「そのときはまたモルヒネの量を増やす」
を条件になんとか要望を受け入れてくれた。
埼玉で私たちが会食をしているころ、その交渉は進んでいた。
要望を伝えたことと7時間後には減らした結果がでてくるとの報告も届いた。
2日の夜、医師の宣言した7時間後、呼びかけにはっきり応え、笑ったり泣いたりしています、と義妹から報告。
埼玉から新潟に向かって帰宅途上の姉にもその報告は届いた。 <<<※<<<
3日、再び私は病院に向かった。
その日の夜、姉は仕事が終わってから
またかけつけてきた。
意識ははっきりしていた。
モルヒネは少し入っているのでろれつがややまわらないながらみんなとおしゃべりをした。
義妹と共に一晩病院に泊まったが、そばで寝ていて耐えられないほどのうなり声ではない、と思った。
4日(医師から1週間後の命と宣言された日)、さらに意識ははっきりして、おかゆも自分で食べるようになった。
義妹と3人でいろんなおしゃべりをした。
治ったら旅行に行きたい、という。
しかし、問題は山積みだ。
今は体力回復が先決だったので抗ガン治療どころではなかったが、よくなったら、抗ガン剤治療を受けるのは当然と思っている妹の家族。
そういう治療を受けさせたくない姉(私もだが)。
いま、漢方医学的な治療が明らかに功を奏したことを実感しているのは家族も確かなことだ・・・・・
また、私と姉の一連のやりとりを聞いていた私の連れ合いは、
そうかな?
痛みのないまま死んだほうが楽ではないのかな?
自分だったらそのほうがいい、と言った。
(人はさまざまだ!)
よくなっても急変する場合もあるから気をつけて、との
姉の先生の弁もあり、生きていけるかどうかも定かではないが・・・
もし、よいほうにむかったとしてもガンそのものは根治はできない。
「生きていてよかった」となるかどうか。
お姉さんの生きさせたい!という気迫がすごかったですね、と義妹。
私に言わせれば、姉もすごいが義理の妹の献身ぶりもちょっと真似ができない。
いのちの可能性に触れた数日だった。
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