都知事選もはじまり、衆院選も間近とあって世の中なにかと
あわただしい。
個人としてもなかなかの1週間だった。
23日の祭日、先祖供養のため、田舎へ。
本来はお墓のある松之山のお寺さんに用があるところなのだが
お寺を継ぐ人がいなく、留守寺となって久しい。
お寺の用事は同じ松之山の観音寺か
隣町、松代(まつだい)の長命寺が代行してくれることになった。
今年の夏、実家で妹が守っていた位牌を一つにするための供養を
長命寺にお願いした。そのときに、過去帳も書きなおす、ということになり
ご住職にお願いしてあった。
その過去帳ができたからと、受け取りに、位牌と過去帳をしばらく
あずかることになった姉夫婦と共に
今年2回目の長命寺訪問となった。
丁寧なお経が終わり、母の葬式をどこでするか、というような
話を住職と姉が交わしている。
まだご健在ですけどね、とご住職。
姉は埼玉で行ないますので、ご足労をお願いしますなどと言っている。
そのときまで、あと5年はかかると思っているが。
長命寺の住職は、葬式はそれなりに行なって
代々お墓は守ってほしい、という思いのようだ。
お寺として当然かもしれないが、義母が死んだときの
深谷のお寺はあっさりしたものだった。
お経も気持ち短かった。
深谷の昌福寺は古い歴史のある名刹と言われる
お寺だから、檀家の人数も多いのだろう。
お寺経営の緊迫度も違うのかもしれない。
それはともかく卒塔婆も書いて渡してくれた。
そこに村松屋という屋号も書いてあったことに姉は感激していた。
それを持って松之山のお墓へ。
親戚が集うと必ずお墓に行く。
村の真ん中の小高い丘の上にあるお墓。
その場所は私たちにとって、とてもほっとする場所だ。
昨年の地震で墓が倒れたが、倒れないように
直してもらったからもう安心である。
お墓には父とおば(都内で暮らしていた父の姉)と
若くして亡くなったおば(父の妹)と彼と彼女らの両親、
つまり私の祖父母と5人が入っている。
どうも妹が入っていてもおかしくないとときどき思うのだが
籍が違うからしょうがないか。
でもその妹はまだお骨のまま、義弟が抱えているようだ。
亡くなったとき、保険も少しおりたはずだから、
まずお墓を作るのかと思ったが、大きな分不相応な仏壇を買って
それでおしまい。
お墓まで手が回らなかったらしい。
もともと、私のように、葬式は不要、骨はどこかに撒いて、という
遺言ならいいのだが、生前、死んだらどこのお墓に入るのだろう?
と心配していた妹。
結果は心配したとおりになった。
気の毒だがこれもしょうがない。
小雨が降っていたが、姉が持ってきたお花も映えた。
お墓の後にみえる林の奥のほうが焼き場だった。
今もそうなのだろうか?
1週間を書くつもりだったが、とりあえずここまでにする。
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