基地問題と原発問題 シンポジウム
大田昌秀(元県知事)×肥田舜太郎(広島被爆医師)
ゲストスピーカー:斎藤征二(元原発労働者)
9月30日(日) 午後1:00~5:00
入場料:1000円、定員700名
場所:琉球新報大ホール (県庁左斜め前) 電話
託児室あり (5分前くらいには預けてください)
大田昌秀:1925年生まれ。沖縄師範学校2年生当時、情報宣伝の部隊に配属、追い詰められて負傷しながら海に飛び込むが奇跡的に助かり、英語堪能の日本兵が終戦をいち早く教えてくれたことがその後の人生を決定づける。早稲田大学卒業後、シラキュース大学大学院ジャーナリズム科修了、東京大学新聞研究所研究員、ハワイ大学とアリゾナ州立大学で1年間ずつ教授・研究。琉球大学名誉教授、元沖縄県知事(1990~1998年)、前参議院議員(2001~2007年)。現在は大田総合平和研究所主宰。著作は共著含め80冊余。
肥田舜太郎:1917年生まれ。日本大学専門部医学科卒業。広島陸軍病院に軍医として勤務。原爆投下前夜、子供の急患で市外に往診に行き一命を取り留め、原爆投下直後から94歳まで被爆者治療にあたる。68年国連の「生存被爆者はすべて健康」という報告に驚き、被爆者の存在を国連に訴えるのをきっかけとし、海外で約250回の講演会を行い、78年内部被曝の海外書籍を初邦訳、5冊の翻訳書と6冊の著作。福島事故直後より健康相談を受け始め、今も全国から鼻血、下痢、発疹、発熱、甲状腺異常などの健康障害の相談を受けている。
斎藤征二:1940年生まれ。1967年より原発建設から15年間各地の原発で配管工として働く。1981年、敦賀原発放射能漏れ事故が起き、直後に国内初の原発労働者の組合を創設、労働条件の改善に尽力する。2003年以降、甲状腺腫瘍、急性心筋梗塞、腰部脊柱管狭窄症、緑内障、白内障のなど、内部被曝が原因と思われる多くの疾病に見舞われている。4歳の時、南大東島で父が戦死しており、戦争の犯罪性、国家の無責任体質、沖縄問題等に子供の頃より強い関心を持ち、戦争問題は、氏の被曝労働問題で闘う姿勢の基盤となっているという。
問い合せ先:竹野内真理 090-4002-3959 mariscontact@gmail.com
ゲストスピーカー:斎藤征二(元原発労働者)
9月30日(日) 午後1:00~5:00
入場料:1000円、定員700名
場所:琉球新報大ホール (県庁左斜め前) 電話
託児室あり (5分前くらいには預けてください)
大田昌秀:1925年生まれ。沖縄師範学校2年生当時、情報宣伝の部隊に配属、追い詰められて負傷しながら海に飛び込むが奇跡的に助かり、英語堪能の日本兵が終戦をいち早く教えてくれたことがその後の人生を決定づける。早稲田大学卒業後、シラキュース大学大学院ジャーナリズム科修了、東京大学新聞研究所研究員、ハワイ大学とアリゾナ州立大学で1年間ずつ教授・研究。琉球大学名誉教授、元沖縄県知事(1990~1998年)、前参議院議員(2001~2007年)。現在は大田総合平和研究所主宰。著作は共著含め80冊余。
肥田舜太郎:1917年生まれ。日本大学専門部医学科卒業。広島陸軍病院に軍医として勤務。原爆投下前夜、子供の急患で市外に往診に行き一命を取り留め、原爆投下直後から94歳まで被爆者治療にあたる。68年国連の「生存被爆者はすべて健康」という報告に驚き、被爆者の存在を国連に訴えるのをきっかけとし、海外で約250回の講演会を行い、78年内部被曝の海外書籍を初邦訳、5冊の翻訳書と6冊の著作。福島事故直後より健康相談を受け始め、今も全国から鼻血、下痢、発疹、発熱、甲状腺異常などの健康障害の相談を受けている。
斎藤征二:1940年生まれ。1967年より原発建設から15年間各地の原発で配管工として働く。1981年、敦賀原発放射能漏れ事故が起き、直後に国内初の原発労働者の組合を創設、労働条件の改善に尽力する。2003年以降、甲状腺腫瘍、急性心筋梗塞、腰部脊柱管狭窄症、緑内障、白内障のなど、内部被曝が原因と思われる多くの疾病に見舞われている。4歳の時、南大東島で父が戦死しており、戦争の犯罪性、国家の無責任体質、沖縄問題等に子供の頃より強い関心を持ち、戦争問題は、氏の被曝労働問題で闘う姿勢の基盤となっているという。
問い合せ先:竹野内真理 090-4002-3959 mariscontact@gmail.com
※集会の収益は沖縄・球美の里に寄付の予定
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