さいたま市議
そえのふみこさんの市政報告会ゲストとして、
チェルノブイリと福島の子どもたちの話をした。
「原発について考える第2弾~子どもや孫にツケはまわさないで」
というタイトル。
そえのさんは浦和市議時代から通算すると5期目という
ベテラン議員である。
一度落選しているそうだが、そのときに、福祉施設を作り、
その活動を今も続けている。
彼女との最初の出会いは「原発止めよう埼玉連絡会」発足のための
集まりだった。
チェルノブイリ事故後2年目の4月、故高木仁三郎さんらの呼びかけで
「原発とめよう!1万人集会」なるものが開かれた。
参考:
脱原発法制定運動(ウィキペディアより)
今の官邸前10万人、代々木公園20万人、などという規模から
思えばなんとつつましい数か!
でも、とにかく予定の倍の2万人が全国から集まり
脱原発、反原発運動に弾みをつけた。
そのとき集まった埼玉の人たちで、団体を作ろう、という
ことになり、その年の5月5日に丸木美術館に集合して
第1回目か2回目かの打ち合わせを行った。
そのときはまだそえのさんは市議ではなく、
一市民として、私たちと一緒に動いた。
原発止めよう埼玉連絡会が発足したのはその年の秋ごろだったか。
記憶はあいまいであるが、そのときに知り合った
脱原発の仲間たち、現在、丸木美術館事務局長の
中野さん、静岡県に居を移して浜岡原発を止めるために
活動している東井さん、官邸前や至るところで
出会うさいたま市の堀口さんなどとは、いまだにゆるくつながって活動している。
そえのさんの市政報告会の後、私の出番。
冒頭に私たちの活動の原点を話したところ、
「原発止めよう埼玉連絡会」はどのような活動をしていますか?
と質問が後であった。
まさに今の情勢にぴったりの団体ではあるが、
残念ながら、この団体は10年ぐらい前に解散している。
「原発止めよう埼玉連絡会」は勉強会や講演会、写真展などを
開き、市民の人たちに、日本の原発の状況を考えて
もらおうと、いろいろ企画し実行したのだったが。
「原発止めよう埼玉連絡会」の活動の中から
「東京電力と共に脱原発をめざす会」も発足した。
関連記事を過去のブログに書いていた。
「東電と共に脱原発をめざす会」の窓口を担っていた友 2008.12.9
友のこと 2008.12.9
柏崎市へ申し入れ&友の墓参
ちょっと自分でその記事を探してみてあれから4年も
経ったのか、と驚いている。
まだ、日本が原発震災を起こす前のことだ。
ほんとにあんなに一生懸命に東電の窓口として
市民交渉の場を設定し、交渉を続けた亡き友。
一倍怒りを東電に対して向けていた、友は今の福島の様子を知ったら
なんと思うだろうか。
書きだすときりがないくらい長い脱原発の歴史を私たちは
たどってきたな、と感慨も新たな感じである。
ところで話をそえのさんの市政報告会にもどすと~
彼女の支援者である「自治会のおばちゃん、おじちゃんが
チェルノブイリの今の状況を知って、そして福島の状況を
改めて感じて、原発のことを気にしなければという
思いになったのではないか?」
「帰りのみんなの満足した顔がうれしかった」と
そえのさんの弁。
市政報告会で原発のことをとりあげるのは
珍しいかもしれない。そえのさんと私たちの長い付き合いを知って
それも納得したのではないだろうか。
60人近くの出席者であったが、市政報告会としては
過去で一番ぐらいの人数でもあったらしい。
ひとりひとりが原発問題を自分のこととして
とらえてほしい。
その願いはかなえられた集いだった。