2012年2月24日金曜日

いわき市・津波跡と志田名地区の訪問

少し前になるが10日、11日と福島県に行ってきた。
10日は放射能からいのちを守る全国ネットワーク第1日目に参加。
全国各地から市民団体・個人・自治体などが集まり、壮観だった。
特に今回は全国で保養を受け入れている人たちの様子を知りたいと
思っていたのだが想像を超えるたくさんの人たちが動いている、
ということが実感としてわかった。
感想や意見を書くにはこなしきれていないのでいずれ折りをみて
書きたい。
主催者のサイトはこちら
11日は未来の福島こども基金とDAYS放射能測定器支援募金とが
贈呈した測定器を使っている「いわき放射能市民測定室」へ。
首都圏の人たち9人と一緒の見学。
測定室見学の前に、震災後初めて見る津波被害の状況~
案内してくれた運転手さんの話では宮城、岩手のほうが被害が
大きいので、あまり報道されなかったがいわきの海岸沿岸の
被害もすごかった。
今まで大きな津波がきたことがないので、年寄りたちが
逃げなかったと。
津波跡の見学の次は放射能スポットがあると注目を集めている
いわき市川前町の志田名・荻地区にお邪魔した。
以下は同行した友人の報告。
(測定室の話もまた別の機会に)
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志田名・荻地区の集会所に、地元の男性6人が集まってきてくださいました。
(志田名地区の場所はこちら
http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&client=safari&rls=en&q=志田名地区&gs_sm=2&gs_upl=26997l27278l0l27303l5l3l0l0l0l1l125l239l0.2l2l0&bav=on.2,or.r_gc.r_pw.,cf.osb&biw=1011&bih=714&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wl)


事故前は100人位だった住民は、避難などで現在48人(43戸)。
ほとんどの子どもは避難したが、1軒(2人)だけ家庭の事情で残っている。
この部落は線量が高いが、直線距離にして10㌔強の山を下りた川前地区は
線量が低いので、川前に移っている人も多い。

原発が爆発したあと行政は広報車を走らせて避難するように指示を出した
というが、家の中にいて聞こえない人も多く、停電でテレビもみられないので、
事故から3日間は何も知らなかった(集まっていただいた方は皆、インター
ネットを利用していない。携帯電話の電波も入ったり入らなかったり)。
見捨てられたと思った。車のラジオで知った。家畜がいる人は逃げられなかった。

30キロ圏内なので屋内退避となったが、4月22日の解除宣言——
いわき市が「安全ですよ」と言ってから、相手にされなくなってしまった。
市は国から指示されたと言い、国はいわき市からの要請と言い……。
屋内退避のままが続いていれば、補償や補助金が出ていたはず。
今は何の補償もない。医療費や国保、避難している人への補償も、自主避難と
いう条件なので出ない。住む場所だけは探して提供しますよ、でもあとは自分
たちでやってくださいね、と。ちょっと行ったところの川内村は、計画的避難
区域に指定されている。

市から安全宣言が出されたときは、ここの放射線線量が高いという認識は
なかったので、ああ、これで安心かなと思った。小さい子どもがいる方が
自分で線量計を買って測ったら、えっ!、高いんじゃないかってなった。
木村真三先生も、県内をずっと車で走ったら、たまたまここは!って。
それがなければいまもここは高いということも知らず、ここは安全だって
いうことで過ごしていると思う。

雨樋は7マイクロシーベルト、あるいは10数マイクロ。側溝は20とか30。
家屋の2階は高い。水道の水からは検出されていない。

田んぼなども1枚1枚、地区全域の線量をはかって線量マップを作り、
いわき市に何度も除染してくれるよう働きかけた。やっとのことで重い腰を
あげ、昨年12月に除染が始まった。市はこの地区を除染モデル地区に指定。
除染を行ったのは役所が委託した業者とボランティア。

家の中で空間線量で2.0マイクロシーベルト以上のところを優先して除染。
除染したところは、家の中で1.0マイクロシーベルトくらい下がっている。
市の危機管理室は、家の中で0.5以下にするとしているが、家の中を除染
するというのは難しい。家の周りが下がれば、家の中も下がっていく。

今は雪が積もり、線量は多少下がっている。夏になったらまた上がって
いくのか、どう経過するのかわからない。森の中は手つかず。測ったのは
農地と宅地だけ。山は高いだろう。住宅が下がっても、雪がとければ山から
また水と一緒に放射能が、あるいは落ち葉でまた高くなるかもしれない。
どうなるのかわからない。本当にやるのであれば山も全部やらなくてはいけ
ないけども、今の時点ではまず不可能。

しかし、除染した土を置く場所がない。除染した土を、また家庭の脇に仮
置き場の仮置き場として置いている。木村真三さんからは、家屋から最低
100㍍以上離れたところに置きなさいと言われたが、そんな場所はない。
集会所の庭にも置いてあるが、建物から3〜4㍍の場所に青いビニールシート
をかけているだけ。意味がない。国有林等にこの地区の仮置き場を作って
ほしいと、市に要望しているが、国有林は公の土地なので他の地区の除染
した土も置かなければならないと言われている。そうなったら、志田名地区が
仮置き場にされてしまう。
例年冬場は地元で山仕事などをしたりしているが、今年はできない。1時間
くらいかけて他の地区へ行って、他の人の山仕事に行ったりしている。
会社勤めの人もいる。

元々は自分で食べるものは自分で作っていたのに、目の前に自分の畑があっても
作ることができず、米も野菜も車で30分かけてスーパーまで行って買わなければ
ならない。移動スーパーも来るが、全部を廻るわけではない。行きたいところ
だけ行って帰ってしまう。車を運転しない人は、他の人に頼まなければならないが、
そもそも人がそんなにいない。春になっても、仮置き場が決まらなければ除染も
できないし、作付けには手を付けられない。

原発は本当に困った問題です。ハッキリいって。これ以上、我々を苦しめんよう
なんとか、東電のほうで、早く元の生活に戻れるようにしてほしい。
いつもは正月やお盆に、友達や遠くに行った子どもらが遊びに帰ってきている、
そういう人が一人も入ってこないのは、寂しい。政府の人が言ったように死んだ
ような部落が、約1年続いた。
お金のかる人は自主避難できても、お金のない人はいつまでも避難していられ
ないからね。こげな生活でした、この1年間。
今はやっと放射能に慣れてきたというか……、慣れてはいけないけども。
                               (金子記)

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