2011年7月22日金曜日

福島原発震災後初めて福島へ

17日は市民放射能測定所開所式があった。
それに先立ち、さまざまな企画が・・・

(ニュース:【福島発】市民放射能測定所 17日に正式オープン

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の防護班、避難・保養班、
測定班、それぞれに分かれての相談コーナーが設置されていた。

別室では黒部医師と山田医師とによるこども健康相談会。

午後からは両医師によるミニ講演会。

山田さん、黒部さんとも、これ以上、子どもたちを内部被曝させない
ようにしなくてはならないと訴えられた。

続いて広河さんの映像・講演が約45分間。

4月のチェルノブイリ子ども基金主催の講演内容にさらに
保養などの写真が加わり、福島の人たちに役立つような構成だった。
そのあと、予定では、東大教授の高橋哲哉さんによる、広河さんの
講演に対してのコメントということになっていたが、高橋さんは、

「50回以上におよぶチェルノブイリ取材。肌触り、手触りが
伝わるような、ある意味唯物論的な話に対して、コメントはとてもできません」
と、哲学的なコメントをされて、福島出身者として、個人的な話をされた。

「父親の転勤の都合で福島県内を転々としたが子どものときの最初の
記憶として覚えているのは富岡町でのこと。
自分の最初の思い出が放射能によって壊されていく。
地震学者の石橋克彦氏が指摘しているように
日本は軍国主義国家のあと、原発主義国家だった。
国家は国民をだます、それが繰り返された。
福島の今の状況は沖縄の状況と似ている。
旧ソ連はどうしょうもない社会主義国家だったが、
現在の日本はもっとどうしょうもない。棄民を許さないために
何をすべきか」
そのあとの対談もなかなかよくかみ合っていたと思う。

福島原発の収束はいつですか?
なんていう質問があった。

「哲学が専門なのでわかりません」と高橋教授。

広河さんは、
「毎日毎日状況が変わるのでわからない。
自分たちの未来を知るための情報が少ない。
政府が変わるのか? 市民が強くなるのか?
広瀬さんたちが告訴をした。法廷が始まれば、証拠を出さな
ければならなくなる。敵(山下教授ら)と戦う武器の一つとなる。
放射能測定器も武器になる。
3月11日前のことも知りたい。3月11日からの日々は徹底的に
知りたい」

講演会のあと、実際に検知器がおいてある
測定所に移動。福島市はとても暑いところだということが
よくわかた。盆地のため夏は超暑いのだそうだ。
クーラーが来週から入ります、という蒸し風呂のような部屋で
オープンセレモニーが開かれた。

現在、貸与されている1台と、中古の簡易型1台、計2台が稼働している。

今回、新たなに中規模の食品測定器2台を
「DAYS放射能測定器支援募金」「未来の福島こども基金」が贈呈。
それぞれ255万円ずつを贈った。
覚書と受領書の授与式が行われた。
ただし、実際に測定器が到着するのは9月ごろになるらしいとのこと。

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17日の夜は三春で自然食喫茶店を開いていた類子さんの
家に泊めてもらった。

類子さんだけでなく、材料に心を砕いて経営していた
レストランなど、県内のお仲間も次々と閉鎖に追い込まれていた。

山小屋ふうのすてきな家。
山を開墾して、畑と家を作ったという。

この先どうしょうか?
自然から借りたのだから自然に返すしかないか、と類子さん。

庭先にブルーベリーもラズベリーも桑の実も食べごろ採りごろに
なっているのに、ジャムも作れない。
タラの芽も食べれなかった・・・と恨みごとが続く。

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3月18日はいわき市でのハイロアクションに参加。

ほんとうは3月26日にハイロアクション・オープニングイベントが開催の
予定だった。
首都圏からも多くの人たちが参加を予定して、私たちも久しぶりの
福島訪問を心待ちにしていた。

全国に散りぢりになったハイロアクションのメンバーが力を合わせて
開催にこぎつけた。

新潟県の脱原発市民たちも参加していた。

浜岡からも仙台からも岩手からも市民がかけつけた。

私たち埼玉の市民や首都圏からも。なつかしい顔があちこちに。

【お礼とご報告】がハイロアクションのサイトにすでに掲載されている。

 格調高い7・18ハイロアクション・ふくしま宣言をぜひ読んでほしい。

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