2011年7月24日日曜日

7.23 新宿デモは通りが狭くて短くて楽しいデモコース

さて、昨日はこんなデモがありました。

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原発も再処理もいらない!NO NUKES
くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会
7.23 新宿デモ
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日時★2011年7月23日(土)集合18:30/デモ出発 19:00
集合★新宿中央公園『水の広場』(新宿区西新宿2-11 新宿西口都庁そば)
デモコース:「水の広場」→新宿駅方面

【主催】
■原発とめよう!東京ネットワーク
■再処理とめたい!首都圏市民のつどい


数年前から「再処理とめたい!首都圏市民のつどい」が主催で毎月1回
デモを実施。原発震災以降、その拡大版が何回も開かれているが
きのうもその一環のデモだった。
最近は芝公園出発の場合が多く、東京駅までの距離は長く、人通りのない
官庁街も通ったりで、次も参加したい、という気持ちにならないようなデモだった。

直前になってチラシのPDFができたから拡散してほしいと
イラストレーター氏から頼まれて、前日になってメールをあちこちに送った。

もう少し早ければいいのに、と思いながら、しょうがない協力せざるを得なかった。
その甲斐あって(?)、たくさんの人たちが新宿に集まった。

隊列の中心でハネていたのは東電前行動隊の若者たち。

リズミカルにハネながらアピールを繰り返していた。
周りには音楽隊もついていて楽しいデモだった。
















私服の多さにびっくり。

新宿は通りがせまく、デモの隊列とびったり寄り添うように私服が
かたまりになって歩道を移動。
なにか叫ぶ、と、さっとメモをとる。
このかん、ネットなどで市民の監視について騒がれてきたが
その最たるものがこの私服。

大体がショルダーバッグを斜めに体にかけるかあるいは
かばんなしで、筆記用具とメモを持っているのが特徴。
目つきがあやしい。
あえてメモをとらずに市民風を装っている人もいる。

この人たちを税金で雇っているんだ、と改めて確認。

ま、そんなことはどうでもよい。

銀座のすました人たちの流れとは違う、新宿の人たち。
飲食店の従業員たちが店の前に出てきて見物している姿も多く見かけた。

三重県の高校の幟も見えた。たまたまきたので参加したのか?
たまたま幟を持っていた?

新潟からの参加者の一人は私の故郷のすぐ隣町の人。
でも、よく聞いたら、20年前にエネルギーのかけない暮らしを求めて
脱サラをして農業に入った人だった。
どおりで言葉がきれいだった。

あなたのメールを見て参加したのよ、と声をかけてくれた埼玉の人もいた。

東電前アクショングループの若者たちは50日連続デモを行なうそうだ。
いつからか聞き忘れたが。
覚悟は半端じゃない。

原発とめよう!          
浜岡とめよう!
再処理止めよう!
泊りを止めよう!
福島を返せ!
平和を返せ!
再稼働を止めよう!
玄海は限界!
柏崎刈羽を止めよう!
みんなで止めよう!
できる! 
みんなでできる!

2011年7月22日金曜日

福島原発震災後初めて福島へ

17日は市民放射能測定所開所式があった。
それに先立ち、さまざまな企画が・・・

(ニュース:【福島発】市民放射能測定所 17日に正式オープン

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の防護班、避難・保養班、
測定班、それぞれに分かれての相談コーナーが設置されていた。

別室では黒部医師と山田医師とによるこども健康相談会。

午後からは両医師によるミニ講演会。

山田さん、黒部さんとも、これ以上、子どもたちを内部被曝させない
ようにしなくてはならないと訴えられた。

続いて広河さんの映像・講演が約45分間。

4月のチェルノブイリ子ども基金主催の講演内容にさらに
保養などの写真が加わり、福島の人たちに役立つような構成だった。
そのあと、予定では、東大教授の高橋哲哉さんによる、広河さんの
講演に対してのコメントということになっていたが、高橋さんは、

「50回以上におよぶチェルノブイリ取材。肌触り、手触りが
伝わるような、ある意味唯物論的な話に対して、コメントはとてもできません」
と、哲学的なコメントをされて、福島出身者として、個人的な話をされた。

「父親の転勤の都合で福島県内を転々としたが子どものときの最初の
記憶として覚えているのは富岡町でのこと。
自分の最初の思い出が放射能によって壊されていく。
地震学者の石橋克彦氏が指摘しているように
日本は軍国主義国家のあと、原発主義国家だった。
国家は国民をだます、それが繰り返された。
福島の今の状況は沖縄の状況と似ている。
旧ソ連はどうしょうもない社会主義国家だったが、
現在の日本はもっとどうしょうもない。棄民を許さないために
何をすべきか」
そのあとの対談もなかなかよくかみ合っていたと思う。

福島原発の収束はいつですか?
なんていう質問があった。

「哲学が専門なのでわかりません」と高橋教授。

広河さんは、
「毎日毎日状況が変わるのでわからない。
自分たちの未来を知るための情報が少ない。
政府が変わるのか? 市民が強くなるのか?
広瀬さんたちが告訴をした。法廷が始まれば、証拠を出さな
ければならなくなる。敵(山下教授ら)と戦う武器の一つとなる。
放射能測定器も武器になる。
3月11日前のことも知りたい。3月11日からの日々は徹底的に
知りたい」

講演会のあと、実際に検知器がおいてある
測定所に移動。福島市はとても暑いところだということが
よくわかた。盆地のため夏は超暑いのだそうだ。
クーラーが来週から入ります、という蒸し風呂のような部屋で
オープンセレモニーが開かれた。

現在、貸与されている1台と、中古の簡易型1台、計2台が稼働している。

今回、新たなに中規模の食品測定器2台を
「DAYS放射能測定器支援募金」「未来の福島こども基金」が贈呈。
それぞれ255万円ずつを贈った。
覚書と受領書の授与式が行われた。
ただし、実際に測定器が到着するのは9月ごろになるらしいとのこと。

        ~*~*~*~*~

17日の夜は三春で自然食喫茶店を開いていた類子さんの
家に泊めてもらった。

類子さんだけでなく、材料に心を砕いて経営していた
レストランなど、県内のお仲間も次々と閉鎖に追い込まれていた。

山小屋ふうのすてきな家。
山を開墾して、畑と家を作ったという。

この先どうしょうか?
自然から借りたのだから自然に返すしかないか、と類子さん。

庭先にブルーベリーもラズベリーも桑の実も食べごろ採りごろに
なっているのに、ジャムも作れない。
タラの芽も食べれなかった・・・と恨みごとが続く。

        ~*~*~*~*~


3月18日はいわき市でのハイロアクションに参加。

ほんとうは3月26日にハイロアクション・オープニングイベントが開催の
予定だった。
首都圏からも多くの人たちが参加を予定して、私たちも久しぶりの
福島訪問を心待ちにしていた。

全国に散りぢりになったハイロアクションのメンバーが力を合わせて
開催にこぎつけた。

新潟県の脱原発市民たちも参加していた。

浜岡からも仙台からも岩手からも市民がかけつけた。

私たち埼玉の市民や首都圏からも。なつかしい顔があちこちに。

【お礼とご報告】がハイロアクションのサイトにすでに掲載されている。

 格調高い7・18ハイロアクション・ふくしま宣言をぜひ読んでほしい。

2011年7月8日金曜日

東京電力株式会社 会長 勝俣恒久様

東京電力株式会社 会長 勝俣恒久様
      第87回株主総会についての抗議と質問状    

                          2011年7月8日

           脱原発・東電株主運動
                                                                   

 この度の我が社定時株主総会は、世界中が注目する中開催されました。しかし、我が社には福島第一原発での重大な事故を起こしたという自覚があるとは言えず、我々が総会参加するようになってから20年間繰り返されてきた総会運営を反省し、改革するという真摯な気持ちは皆無でした。ここに、以下のことを抗議し、取締役会の猛省を求め、すべての株主への回答としてホームページへの掲載を要求します。


1)議長解任動議を受け付けたにもかかわらず、他の役員に議長を一旦委任することなく自らの解任動議を審議したことについて

 3.11の震災を契機に起こった福島第一原発のメルトダウン、メルトスルーを含む重大事故を起こした最大の責任者である勝俣会長は、その責任をとって辞任すべきであるのに、総会の議事進行役を務めたばかりか議長解任動議が出たにもかかわらず、他の役員に一旦議長を譲ることすらせずにそのまま審議するという暴挙に出ました。そのことについて勝俣会長に抗議し会長自らの回答を求めます。


2)株主提案や動議に賛否のカウントを正確にしなかったことについて

 国民注視の脱原発提案について、また他の議案や動議についても賛否のカウントをすることなく、一瞬の判断で賛否を決めて宣言したことは株主総会の否定です。

 数人の株主から賛否のカウントをするよう要求や動議が出された際、「おふたりの株主から委任状をいただいており、それは合計1,070,810個で、出席の株主の過半数を超えている」と発言。議長自らが総会そのものに意味がないことを宣言しました。

 この時、当日の出席株主の議決権行使個数は1,306,633個と発表しましたが、議長が発言したその時点の入場者数は9,282名。最終入場者数は9,309名でした。どの時点で有効株数を決めるのか?動議に対して賛否を問うのであれば、多くの株主が主張したように参加株主の賛否をカウントし、持ち株数も正確に出さなければなりません。我が社は勝俣会長の発言で分かるように、総会開催前に既に結論を出していたのです。これは総会を形骸化させてきた悪しき伝統であり、猛省を求め、具体的な改善策を求めます。

 また、メイン会場だけでなく2〜5会場まで係員を配置し、参加できるよう配慮していると説明していましたが、メイン会場以外は動議や議案に賛否の意思表示すらできなかったこと、係員が賛否の挙手を促すこともなかったことが複数の株主の証言で明らかになっています。これについても会長の説明と何故異なるのか回答を求めます。

3)「定時株主総会決議通知」が総会翌日に株主の手許に送られてくることについて

 以前より、私たちはこの通知が株主総会が行われる前に印刷されていることを問題にしてきました。我が社はその度に「配当金を一刻も早く欲しがっている株主のため」と言い訳をしてきましたが、今回は無配でしたが翌日の昼には配達されました。これは株主総会をまったく意味のないものと考えていることの証拠であり、事故の反省をしていない証拠でもあります。この通知に関してはどの部署で決定され、何日に印刷され、郵便局に運ばれたのは何日であるか、具体的に回答ください。また、これは適正で問題はないと考えているのか回答ください。

4)勝俣会長の「希望が見えない」発言について

 ある株主の、「この株主総会を世界中が注目している。あなた方の答えが、様々な格付け会社の格付けに影響する。希望を聞きたい」という発言を受けて勝俣会長は「希望とおっしゃるが、残念ながら希望は見えておりません」と発言。会場の株主を失望のどん底に落としました。世界的に影響を持つ大企業の会長として失言では済まされないものです。この発言について会長自らの反省の言葉と、勝俣氏に会長職を任せてよいかどうかの取締役会としての見解を回答ください。


5)株主提案の分割審議動議について

 脱原発・東電株主運動が提出した第3号議案について、分割審議動議を提出した株主が、「この提案を否決するということは、もし今後事故が起こった際、役員の皆さんは明確な責任が生じるのですよ」と確認されました。それを無視して第3号議案を否決したわけですが、その際賛成票を投じた代理人を出席させていた2社の株主名を回答ください。また議決権行使書で第3号議案を否決した企業名を上位100社(地方自治体なども含みます)まで回答ください。

 また、動議の際、議長は一旦分割審議の動議が「反対多数で否決されました」と宣言しておきながら採決の取り直しをしましたが、ふたりの代理人が最初は分割審議動議に賛成の挙手をしたのではないですか?それについても回答ください。


6)第3号議案の「不明棄権」の中身について

 総会終了後、我が社は第3号議案について賛成8%、反対89%、不明棄権3%と発表しましたが、この不明棄権の中に当日総会に足を運んだ9309名が入れられているのではないでしょうか?この3%は自らの「もの言わぬ株主」であったことへの反省を込め、総会に出向き我が社を立ち直らせたいという思いの株主であったのではないでしょうか?このうちの2%が第3号議案に賛成であれば、賛成は10%に達し、来年も同じ議案が提案出来るはずです。この8%、89%、3%の株主数、株式数を回答ください。更に、議決権行使書(インターネット含む)の有効数も株主数、株式数夫々回答ください。

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★脱原発東電株主運動のメンバー数人で
 この抗議書を手渡しに行く。