2018年5月28日月曜日

東井怜さんのこと


東井怜さんが自身の健康管理に専念すると宣言し活動から遠ざかって久しい。活動をいつ再開するかは体に聞いてから、
というような言い方をしていた。だいぶ元気になった様子は電話の声からも伺い知れ、そろそろ復帰か?
とひそかに期待していた矢先の訃報だった。
享年76歳、残念でならない。
東井さんには、なみなみならぬ影響を受けた。それは私だけでなく多くの人たちが程度の差こそあれ、感じて
いたようだ。いろいろなことを東井さんと共に活動してきたが、ここでは埼玉を拠点に活動していた2つに
ついて書きたい。

【東京電力と共に脱原発をめざす会】
名称と世話人について
東電共の会と私たちは呼び、さらに「友の会」ならぬ「共の会」とも呼んでいた。この名前がまず、すばらしい
と思った。デパートなどの友の会が一般的になじみのあった時代、誰もが言いやすく抵抗感のない名前だった。
誰がつけたのだろうか?たぶん、共同世話人の東井さんと岡村ひさ子さん(200812月没 凶年58歳)がつけた
に違いない。東電と敵対しないこと、代表を置かないこと、などなど団体としての特異性が際立っていた。
そして、埼玉県の消費者団体としても登録して、県からの助成金ももらっていたときもあった。
わが脱原発東電株主運動が始まったのが1989年、共の会の始まりはその数年後からかと思っていたが、東井さん
の著書『浜岡 ストップ!原発震災』によると1988年秋と書いてあった。
首都圏の市民の集まりだったが、事務局を東井さんの住まいの一角「いずみひと塾」においた。岡村さんは柏崎
出身でイラストが上手。もう一人の世話人東井さんは知る人ぞ知る物理の専門家で数学を教える教師でもあった。
最強コンビが東電と市民をつないだ。
岡村さんのことに少し触れたい。彼女は東電との窓口として、あの固い東電に対して柔軟にいつも対応していた。
柏崎出身ということも強みだったかも知れない。がんの手術後、順調に経過していたと私たちは思っていた。
7年後あちこちへの転移がみつかった。「こんなに東電との付き合いが長くなるとは、始めたときは夢にも思わ
なかった、早くこんなこととはさよならしたい」と生前漏らしていた。
埼玉の坂戸から東電に通っていた岡村さん。自由で気ままな生活を夢見ていたこともあるだろうに。
改めて、岡村さんのことも偲びながらこの原稿を書いている。
しかし、福島原発震災が起きる前に亡くなったのはよかったのか?悪かったのか?
 福島の人たちは言うまでもなく、それをとりまく東井さんや私たちも未曽有の災害の中に取り込まれてしまった。
 それも自然災害のみならず、国、東電による人災のほうが大きい災害に。

プルサーマル公開討論会~東電対市民 国対市民
 東井さんの功績の一つに、「市民対東京電力」プルサーマル公開討論会を開いたことがあげられる。
 東電共の会を中心とする市民側が粘り強く訴えたおかげで実現した。私の手元にはその報告書がある。
 私自身はあまり内容を理解しないまま、編集を引き受けた。主催を共同で、と市民側は強く呼びかけたが、
 東電主催で、と押し切られた。
1998124日(金)18002130 東京国際フォーラム。
あいさつ/東電取締役榎本聡明 パネリスト/平野良一(青森 核燃情報)、山崎久隆・東井怜(福島原発市民事故調)
服部拓也・尾本彰(東電原子力計画部長・副) 司会者/中村浩美(科学ジャーナリスト)

そしてこの後、市民対国 プルサーマル公開討論会995月に両国で開いている。
国側パネリスト/鈴木正徳、土井良治、杉本孝信、片岡洋(資源エネルギー庁産業課&核燃料課)
/市民側パネリスト 澤井正子、山崎久隆、広瀬隆、佐藤和良/司会 河合弘之(弁護士)
この後、東電とも国とも公開討論会開催をと、再三訴えたのにもかかわらず、開かれていない。
よくぞ開かれたものだと今にして思う。

【チェルノブイリと核の大地 広河隆一 写真展事務局】
そろそろ紙面が尽きる。いずみひと塾を借りて埼玉の女性たちで運営したのは約10年間。三重県津に引き継ぐ際
の最後の写真展ニュース(200112)のコピーを、先の東井さんの告別式で配布した。その中で「日本でも東海
大地震をはじめとして、原発の大事故はますます近づいている」と東井さんは予言していた。
各地の原発立地、核燃立地のみなさんに寄り添いながら、東電、国とも一歩も退かない姿勢で対峙し続けた
東井さん。
私たちも少しでも子どもたち、孫たちに、負の遺産を残さないよう、大人の責任を果たしたい。
*東井さんは株主運動にも初期から参加。長いあいだ、毎年1つは自身で株主提案を作り、総会で趣旨説明までしていた。
事故前も事故後も、趣旨説明や質問のとき、あるときは迫力ある声で、またあるときはさとすような声で東電の経営陣に
迫っていったのが忘れられない。
東電株主代表訴訟にも原告として参加していた。(M)

*脱原発・東電株主運動ニュースNo.273(2018年4月8日発行)より。
http://todenkabu.blog3.fc2.com/blog-date-20180506.html

 ===*=======*======*=======*=======*=====

人生の師~東井怜さん(あさつゆに寄せて)

東井さんと出会ったのはチェルノブイリ後の「原発止めよう2万人行動」のころ。そして必然的に「原発止めよう埼玉連絡会」が誕生した。今は亡き岡村ひさ子さんと東井さんの出会いは映画「ホピの予言」だったと後から知った。そのころ、私はまだなにも知らなかった。
脱原発の運動そのものが私自身を変えたのだが、具体的な一つひとつを教えてくれたのは東井さんだった。市民運動とも学生運動とも無縁だった私には、富岡での子連れのキャンプが新鮮だった。同じ年代の子ども同士、仲良くなって子どもたちも楽しそうだった。
その後も富岡、楢葉、など誘われるままに活動に参加した。そうそう、中手さんの選挙運動でマイクを握ったこともあった。人気(ひとけ)のまったくないところで、車の中から叫んだ。吹雪の青森知事選に行ったのも東井さんと一緒だった。
東井さんが福島に足繁く通っている間、岡村さんの指揮のもと、私たちは川越の消費者センターでせっせと「福島原発市民ニュース」の印刷をして発送する、というのを繰り返していた。東電共の会を埼玉県の消費者団体として登録していたので、堂々と公の場で作業できた。
自治体とも国とも東電とも、凛として対峙し続けた東井さんの後ろ姿を見て、多くを学んだ。最後の活動場所となった静岡の市民ひろばでもかつての私のように何も知らない人たちに人生を教えていたのかも知れない。
そうだ、娘の師でもあった。東井さんのおかげで県立高校に入学できたのだった。感謝!


===========*=======*========*==========

病気を克服した東井さん

突然のお知らせから1か月以上が過ぎた。どんなに悲しんでも、どんなにがっかりしても月日が経つと忘れるのが常。しかし人生の師だった東井さんは、私に宿題を残した。これで3本目の追悼の文章だ。
32425日と熱海でお別れ会を行う、香典は辞退、お花は歓迎との報が届いた。「広河隆一写真展事務局」(現在瀬戸市)の名前と東井さんの自宅を借りている「未来の福島こども基金」の名前でそれぞれお花を贈った。各地の市民団体や個人などからたくさんの花が届いていた。9割がたが脱原発関連、そのほかは東井さんが子育てをしていたころの新座のグループなどからだった。
息子さんの話では、前年に兄弟2人が熱海を訪れ、お母さんと共に散歩したり、食事をしたり、と、おだやかなひとときを持ったとのこと。それは、自分たちの家族の中ではとても珍しいできごとだったと言われた。父との出会いなどもそのとき初めて聞いたそうで、ついでに、亡くなったらどうしたいか、というような話の中で花に囲まれて見送られたいと言われたとか。それにしてもあふれんばかりのお花に囲まれて、こんなに多くなくてよかったのに、と言っている声が聞こえるようだった。
がんがみつかってから手術をしなかった理由は、病院のベッドで天井を見ながら暮らす日々は嫌だったということ、結局、病室で過ごす日々を経験しなかったから、病気に勝ったのです、と息子さん。
誘われるままに首都圏の脱原発の仲間や新座の人たちと共に斎場までご一緒させていただいた。斎場で、私たちはゆったりとした時間を過ごした。これも東井さんからの贈り物だったのだろうか。
東井さんと知り合ったとき、いずみひと塾という塾を主宰していた。数学者遠山啓さんが提唱した水道方式を用いた数学塾で、主に小学生を教えていた。そのころ、たまたま聞いた早朝のラジオから東井さんの静かな声が聞こえてきたことがあった。東海大付属通信制の望星高校の先生でもあった。
東井さんは、ここ2年以上は、病気の治療に専念すると、一切の活動から身を引いていた。東井さんらしいね、徹底しているね、と私たちは思っていた。電話の声は元気だったし、ご自分でも元気だよ、と言っていたのに、、、
 訃報を聞いた日の夜は金曜行動の日。東井さんを意識して描いたT画伯のイラスト入りポスターを市民は掲げたという。九州在住の画伯は、2日にわたってお別れ会に参加。夢でもいいから出てきてほしいとも漏らしていた。東井怜さんは、霊です、と自身でも言ったりしていたから、きっと願っていたら会えると思う

★ミニコミ3誌に、原稿を頼まれ、時系列順に掲載した。
それぞれ、ネットから、原稿そのまま、誌面から、とまちまちで読みにくいかもしれない。あさつゆは福島で発行されているミニコミ。他の人たちの追悼ののことばも載っている。探したがみつからな。みつかったら掲載の予定。

0 件のコメント: