2014年6月3日火曜日

沖縄県久米島で子どもたちと一緒に

久米島にも棚田があった! 2014年5月

昨年末から5月終わりにかけて、沖縄県久米島にある「沖縄・球美の里」に再三再四出かけることになるとは、昨年まで夢にも思わなかったことである。

私たち未来の福島こども基金も支援している球美の里は2012年の7月よりオープン。
多くのみなさまのおかげで、第26次までの保養を終えることができた。

この間、子ども846人、保護者249人、総計1095人の福島原発震災被害者の人たちが久米島で保養した。

昨年秋まで現地にいた責任者が辞めて、それ以降、事務局長代行として理事長の広河さんが球美の里に通うことになった。

しかし、DAYS JAPANも10年目の節目を迎え、また、編集長交替という時期とも重なり、多忙を極めている広河さんに代わって、ほかの理事が現地に行くことになった。

その中でも、一番ヒマ(?)な私が行くことが多くなり、気が付いたら19次、20次、23次、24次、25次、26次と、一部だけのとき、全期間(今、保養期間は10日)のとき、といろいろだったがとにかくこんなに通うことになった。

どの回がどの子たちだったか、すでに記憶は定かではない・・・
球美の里ブログで毎回子どもたちの様子をたっぷり見ることができるので時間のある方はそちらをご覧いただきたい。

未来の福島こども基金私自身のFBにもときどき現地から情報を送ったりしたが、とにかく毎日子どもたちの泣き声(母子保養の場合)と喧騒に包まれて、きちんと情報を送ることができなかった。

ここに紹介した写真は春休みの子どもたちの保養次、インフルエンザにかかった子と日夜共に過ごしたことがあり、もっとも記憶に残っている子ども。
すっかり元気になって後半のプログラムには参加できた。下は那覇空港での乗り換えのとき。


また、26次では、球美の里周辺の植物を撮ったので紹介したい。
5月は山百合が終わりにちかづき、月桃の花が盛りだった。
最後の写真は久米島の赤土で泥染めをしたときのもの。球美の里のTシャツを染めたのだが、使っていたエプロンと手ぬぐいも染めてみた。