2022年7月7日木曜日

ウクライナ緊急支援~7.9カテリーナチャリティコンサート(オンライン見逃し配信あり)

★ウクライナ カテリーナ・チャリティコンサート★ 7/9(土) 会場 スペースオルタ オンライン同時開催 参加費1,500円 *収益はウクライナの市民のためにカンパします。 14:00 第1部    活動報告 黒部信一(未来の福島こども基金 代表/小児科医)  ウクライナ支援報告 佐々木真理(チェルノブイリ子ども基金 事務局長) *休憩* 15:00 第2部   ♪カテリーナ コンサート~バンドゥ―ラ&歌~♪ 16:00 終了 ◆チケットは、オンラインチケット販売サービスPeatix (ピーティックス)から 購入いただけます。https://kateryna.peatix.com/ ◆会場参加の方は電話でも受付けます。090-3539-7611 ◆チケットをご購入の方は、イベント終了後3日間(見逃し対応)アーカイブ動画をご覧いただけます。 ◆詳しくはこちらをご覧ください。 https://fukushimachildrensfund.org/ https://www.facebook.com/fukushimachildrensfund/ ◆ネットでのチケット購入が苦手、という方には代理購入もいたします。 ご連絡ください。 どうぞよろしくお願いいたします。 主催 未来の福島こども基金 ホームページ:https://fukushimachildrensfund.org/ メールアドレス: info@fukushimachildrensfund.org 7.9イベントの連絡先:event@fukushimachildrensfund.org

2021年6月2日水曜日

   東電株主代表訴訟~裁判官が現地視察へ! 

以下は、私も参加している東電株主代表訴訟の

事務局からの発信です。

http://tepcodaihyososho.blog.fc2.com/

~~~~~~~~~~~~~~~~


裁判官が現地視察へ!
6月1日 東電株主代表訴訟 進行協議期日

福島第一原発事故について東電元役員らの責任を追及している東電株主代表訴訟において、裁判所(東京地裁民事第8部・朝倉佳秀裁判長)が、福島第一原発の敷地内で視察をすることが決まりました。

これまで原告らは、被告らの任務懈怠の判断に当たっては、福島原発の敷地内及び被害の実態(双葉病院、請戸の浜、中間貯蔵施設等)を実際に見ることが不可欠であるとしてそれらの現地検証を求めていました(2017年12月17日付検証申出書、2020年10月22日付検証申出書補充書)。
これを受けて、裁判所は、本日(2021年6月1日)の進行協議期日(非公開)において、取締役らの任務懈怠の判断のために、福島第一原発の敷地内において立地条件や大物搬入口などを中心に見たいとし、10月中に実施予定との判断を示しました。手続きとしては、検証ではなく現地での進行協議です。日程は、今後調整して確定する予定です。
福島第一原発事故をめぐる裁判で、裁判所が福島原発のサイトに行くのは初めてのことです。

期日後の記者会見(司法記者クラブ)で、海渡雄一弁護士は、同じ役員らの刑事責任を判断する刑事裁判の控訴審で指定弁護士らはあらためて現地の検証申立てをしている、この商事部(民事第8部)の判断は、刑事の審理にも影響を与えるのではないか、とコメントしています。

今後の日程 すべて東京地裁103号法廷
※被告小森氏の尋問は延期。

(1)7月6日(火)10時~17時 第60回口頭弁論期日(第4回尋問期日)
10時~12時10分 被告武藤の反対尋問105分
13時10分~16時55分 被告武藤の反対尋問15分、再主尋問5分、補充尋問10分/被告武黒の主尋問60分/被告小森の主尋問30分/被告勝俣の主尋問45分/被告清水の主尋問45分
(2)7月13日(火)10時30分~ 進行協議期日(非公開)
(3)7月20日(火)10時~17時 第61回口頭弁論期日(第5回尋問期日)
10時~12時10分 被告武黒の反対尋問90分、再主尋問5分、補充尋問10分/被告小森の反対尋問15分13時10分~17時/被告小森の反対尋問45分、再主尋問5分、補充尋問10分被告勝俣の反対尋問60分、再主尋問5分、補充尋問10分/被告清水の反対尋問60分、再主尋問5分、補充尋問10分
~~~~~~~~~~~~~~

※以下は5月27日の裁判期日関係の記事です※

ジャーナリストの添田さんが記事をアップされました。
https://level7online.jp/2021/0531/ <https://level7online.jp/2021/0531/>

〔以下参考〕
> 5月27日NHK福島
> https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210527/k10013054671000.html
> 朝日
> https://www.asahi.com/articles/ASP5W6FLVP5WUTIL040.html
> 東京新聞
> https://www.tokyo-np.co.jp/article/107024
> ※紙面ではベタ記事でした      

2021年3月24日水曜日

 すっかりご無沙汰してしまった、このブログ。

大事な友の死について、何年だったか?確認したいと思った。なんと2008年からブログを始めているが、載っていた!

2008年の12月に亡くなっていた。ということはその翌年の1月に妹が亡くなっている。

2人ともがんだった。

10年を経て、2018年は大事な仲間を2人続けて失った。

死は類を呼ぶのだろうか?


いやいや、今日は桜がきれいなので、アップしようと思ったのだった。




22日の月曜日の朝、撮影。

21日は原発止めよう志木ウォークの日で、まさかの風雨。

始まるときはほぼ雨が止んだので大丈夫か?

と思ったらさにあらず、雨にもマケズ、風にもマケズ、という

感じ。

その翌日だから、もしかして、桜の小枝など落ちてないかな?

と下心があって、行ってみたが、落ちてなかった( ;∀;)



2018年11月2日金曜日

11/10(土) 13:30~ 和光市中央公民館 会議室1
お近くの方、ご参加ください。
保養についてお話しをします。

2018年10月16日火曜日

福島原発刑事訴訟>いよいよ被告人質問

<福島原発刑事訴訟支援団事務局からの情報>

10月15日のNHKニュースウォッチ9の動画



武藤栄氏の話に傍聴者は「嘘つき!」と心の中で何回も叫んだそうです。
被告人質問の報道(その1)です。


東電津波対策先送りどう認識 被告人質問キーマン武藤氏(朝日)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181016-00000014-asahi-soci

<東電公判>武藤元副社長、冒頭被災者におわび 被告人質問(毎日)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181016-00000028-mai-soci

津波対策先送り「心外」=長期評価の信用性否定―武藤元副社長・東電公判(時事)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181016-00000055-jij-soci

東電元副社長、津波対策は“適正な手順” 福島第1原発事故裁判(フジテレビ、動画あり)
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20181016-00403283-fnn-soci

東電強制起訴裁判、元副社長「当事者として申し訳なく思う」(TBS、動画あり)
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20181016-00000044-jnn-soci

津波対策の「先送り」否定 東電の武藤元副社長(東京)
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2018101601002011.html

東電強制起訴 武藤元副社長「津波予測信頼性ない」(東京)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018101602000265.html

被告人質問報道(その2)

原発事故裁判 きょうから東電旧経営陣の被告人質問
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181016/k10011672801000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001


東電社員 巨大津波対策 事故前に検討と証言
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181016/k10011672911000.html?utm_int=detail_contents_news-related_002


東電強制起訴裁判 被告人質問始まる
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181016/k10011673061000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001


東電裁判 元副社長 原発の津波対策 先送りを強く否定
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181016/k10011673661000.html

2018年6月6日水曜日

さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト発行ニュース


さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト発行の、さようならニュースNO.82号

今新潟知事選に立候補している池田ちか子さん、毎年1回はフルマラソンを走っているとのこと。頼もしい限りです!



2018年6月5日火曜日

新潟出身で都会で暮らしている我が友人からこんなメッセージが
届いた。

"エンピツ持ったらいけだ!″~嘉田元滋賀県知事のことば

「商工会長のはなはだ簡単すぎるメッセージ★の動画を見た後に、自然と出てきた池田陣営の応援演説がとてもよかったです。なかでも、もと兵庫県知事の嘉田さんのお話がいいと思いました。選挙応援でこんなにも説得力があって豪華な風景を作り出している方たちに心からのエールを送りたいと思いました」

★はなはだ簡単すぎるメッセージ★

6月10日の投票日。
"エンピツ持ったらいけだ!″

※我が家のベランダで咲いたグラジオラス(沖縄県・久米島産)


2018年6月2日土曜日

新潟に女性知事を誕生させよう!

新潟県に女性知事を!
実現したら、うれしい(^^)/

あべともこ(衆議院議員・神奈川12区)さんの
ことばを引用します。

@abe_tomoko
Follow Follow @abe_tomoko

新潟知事選挙の応援に新潟に。米山前知事の辞任は大変残念だけど、今回立候補の池田さんを県民の皆さんの総力で知事にしてほしい。原発のない暮らしを選ぶ底力が新潟にはあると思う。県会議員としてこつこつ仕事を重ねてきた池田さんは、粘り強い新潟の女性の気質そのもの。各地から応援を。

池田ちかこさんのツィッター
https://twitter.com/ikedachikako

池田ちかこさんの公式サイト
http://ikedachikako.jp/

2018年5月28日月曜日

東井怜さんのこと


東井怜さんが自身の健康管理に専念すると宣言し活動から遠ざかって久しい。活動をいつ再開するかは体に聞いてから、
というような言い方をしていた。だいぶ元気になった様子は電話の声からも伺い知れ、そろそろ復帰か?
とひそかに期待していた矢先の訃報だった。
享年76歳、残念でならない。
東井さんには、なみなみならぬ影響を受けた。それは私だけでなく多くの人たちが程度の差こそあれ、感じて
いたようだ。いろいろなことを東井さんと共に活動してきたが、ここでは埼玉を拠点に活動していた2つに
ついて書きたい。

【東京電力と共に脱原発をめざす会】
◆名称と世話人について
東電共の会と私たちは呼び、さらに「友の会」ならぬ「共の会」とも呼んでいた。この名前がまず、すばらしい
と思った。デパートなどの友の会が一般的になじみのあった時代、誰もが言いやすく抵抗感のない名前だった。
誰がつけたのだろうか?たぶん、共同世話人の東井さんと岡村ひさ子さん(2008年12月没 凶年58歳)がつけた
に違いない。東電と敵対しないこと、代表を置かないこと、などなど団体としての特異性が際立っていた。
そして、埼玉県の消費者団体としても登録して、県からの助成金ももらっていたときもあった。
わが脱原発東電株主運動が始まったのが1989年、共の会の始まりはその数年後からかと思っていたが、東井さん
の著書『浜岡 ストップ!原発震災』によると1988年秋と書いてあった。
首都圏の市民の集まりだったが、事務局を東井さんの住まいの一角「いずみひと塾」においた。岡村さんは柏崎
出身でイラストが上手。もう一人の世話人東井さんは知る人ぞ知る物理の専門家で数学を教える教師でもあった。
最強コンビが東電と市民をつないだ。
岡村さんのことに少し触れたい。彼女は東電との窓口として、あの固い東電に対して柔軟にいつも対応していた。
柏崎出身ということも強みだったかも知れない。がんの手術後、順調に経過していたと私たちは思っていた。
7年後あちこちへの転移がみつかった。「こんなに東電との付き合いが長くなるとは、始めたときは夢にも思わ
なかった、早くこんなこととはさよならしたい」と生前漏らしていた。
埼玉の坂戸から東電に通っていた岡村さん。自由で気ままな生活を夢見ていたこともあるだろうに。
改めて、岡村さんのことも偲びながらこの原稿を書いている。
しかし、福島原発震災が起きる前に亡くなったのはよかったのか?悪かったのか?
 福島の人たちは言うまでもなく、それをとりまく東井さんや私たちも未曽有の災害の中に取り込まれてしまった。
 それも自然災害のみならず、国、東電による人災のほうが大きい災害に。

◆プルサーマル公開討論会~東電対市民 国対市民
 東井さんの功績の一つに、「市民対東京電力」プルサーマル公開討論会を開いたことがあげられる。
 東電共の会を中心とする市民側が粘り強く訴えたおかげで実現した。私の手元にはその報告書がある。
 私自身はあまり内容を理解しないまま、編集を引き受けた。主催を共同で、と市民側は強く呼びかけたが、
 東電主催で、と押し切られた。
1998年12月4日(金)18:00~21:30 東京国際フォーラム。
あいさつ/東電取締役榎本聡明 パネリスト/平野良一(青森 核燃情報)、山崎久隆・東井怜(福島原発市民事故調)
服部拓也・尾本彰(東電原子力計画部長・副) 司会者/中村浩美(科学ジャーナリスト)

そしてこの後、市民対国 プルサーマル公開討論会も99年5月に両国で開いている。
国側パネリスト/鈴木正徳、土井良治、杉本孝信、片岡洋(資源エネルギー庁産業課&核燃料課)
/市民側パネリスト 澤井正子、山崎久隆、広瀬隆、佐藤和良/司会 河合弘之(弁護士)
この後、東電とも国とも公開討論会開催をと、再三訴えたのにもかかわらず、開かれていない。
よくぞ開かれたものだと今にして思う。

【チェルノブイリと核の大地 広河隆一 写真展事務局】
そろそろ紙面が尽きる。いずみひと塾を借りて埼玉の女性たちで運営したのは約10年間。三重県津に引き継ぐ際
の最後の写真展ニュース(2001年12月)のコピーを、先の東井さんの告別式で配布した。その中で「日本でも東海
大地震をはじめとして、原発の大事故はますます近づいている」と東井さんは予言していた。
各地の原発立地、核燃立地のみなさんに寄り添いながら、東電、国とも一歩も退かない姿勢で対峙し続けた
東井さん。
私たちも少しでも子どもたち、孫たちに、負の遺産を残さないよう、大人の責任を果たしたい。
*東井さんは株主運動にも初期から参加。長いあいだ、毎年1つは自身で株主提案を作り、総会で趣旨説明までしていた。
事故前も事故後も、趣旨説明や質問のとき、あるときは迫力ある声で、またあるときはさとすような声で東電の経営陣に
迫っていったのが忘れられない。
東電株主代表訴訟にも原告として参加していた。(M)

*脱原発・東電株主運動ニュースNo.273(2018年4月8日発行)より。
http://todenkabu.blog3.fc2.com/blog-date-20180506.html

 ===*=======*======*=======*=======*=====

人生の師~東井怜さん(あさつゆに寄せて)

東井さんと出会ったのはチェルノブイリ後の「原発止めよう2万人行動」のころ。そして必然的に「原発止めよう埼玉連絡会」が誕生した。今は亡き岡村ひさ子さんと東井さんの出会いは映画「ホピの予言」だったと後から知った。そのころ、私はまだなにも知らなかった。
脱原発の運動そのものが私自身を変えたのだが、具体的な一つひとつを教えてくれたのは東井さんだった。市民運動とも学生運動とも無縁だった私には、富岡での子連れのキャンプが新鮮だった。同じ年代の子ども同士、仲良くなって子どもたちも楽しそうだった。
その後も富岡、楢葉、など誘われるままに活動に参加した。そうそう、中手さんの選挙運動でマイクを握ったこともあった。人気(ひとけ)のまったくないところで、車の中から叫んだ。吹雪の青森知事選に行ったのも東井さんと一緒だった。
東井さんが福島に足繁く通っている間、岡村さんの指揮のもと、私たちは川越の消費者センターでせっせと「福島原発市民ニュース」の印刷をして発送する、というのを繰り返していた。東電共の会を埼玉県の消費者団体として登録していたので、堂々と公の場で作業できた。
自治体とも国とも東電とも、凛として対峙し続けた東井さんの後ろ姿を見て、多くを学んだ。最後の活動場所となった静岡の市民ひろばでもかつての私のように何も知らない人たちに人生を教えていたのかも知れない。
そうだ、娘の師でもあった。東井さんのおかげで県立高校に入学できたのだった。感謝!


===========*=======*========*==========

病気を克服した東井さん

突然のお知らせから1か月以上が過ぎた。どんなに悲しんでも、どんなにがっかりしても月日が経つと忘れるのが常。しかし人生の師だった東井さんは、私に宿題を残した。これで3本目の追悼の文章だ。
3月24、25日と熱海でお別れ会を行う、香典は辞退、お花は歓迎との報が届いた。「広河隆一写真展事務局」(現在瀬戸市)の名前と東井さんの自宅を借りている「未来の福島こども基金」の名前でそれぞれお花を贈った。各地の市民団体や個人などからたくさんの花が届いていた。9割がたが脱原発関連、そのほかは東井さんが子育てをしていたころの新座のグループなどからだった。
息子さんの話では、前年に兄弟2人が熱海を訪れ、お母さんと共に散歩したり、食事をしたり、と、おだやかなひとときを持ったとのこと。それは、自分たちの家族の中ではとても珍しいできごとだったと言われた。父との出会いなどもそのとき初めて聞いたそうで、ついでに、亡くなったらどうしたいか、というような話の中で花に囲まれて見送られたいと言われたとか。それにしてもあふれんばかりのお花に囲まれて、こんなに多くなくてよかったのに、と言っている声が聞こえるようだった。
がんがみつかってから手術をしなかった理由は、病院のベッドで天井を見ながら暮らす日々は嫌だったということ、結局、病室で過ごす日々を経験しなかったから、病気に勝ったのです、と息子さん。
誘われるままに首都圏の脱原発の仲間や新座の人たちと共に斎場までご一緒させていただいた。斎場で、私たちはゆったりとした時間を過ごした。これも東井さんからの贈り物だったのだろうか。
東井さんと知り合ったとき、いずみひと塾という塾を主宰していた。数学者遠山啓さんが提唱した水道方式を用いた数学塾で、主に小学生を教えていた。そのころ、たまたま聞いた早朝のラジオから東井さんの静かな声が聞こえてきたことがあった。東海大付属通信制の望星高校の先生でもあった。
東井さんは、ここ2年以上は、病気の治療に専念すると、一切の活動から身を引いていた。東井さんらしいね、徹底しているね、と私たちは思っていた。電話の声は元気だったし、ご自分でも元気だよ、と言っていたのに、、、
 訃報を聞いた日の夜は金曜行動の日。東井さんを意識して描いたT画伯のイラスト入りポスターを市民は掲げたという。九州在住の画伯は、2日にわたってお別れ会に参加。夢でもいいから出てきてほしいとも漏らしていた。東井怜さんは、霊です、と自身でも言ったりしていたから、きっと願っていたら会えると思う。

★ミニコミ3誌に、原稿を頼まれ、時系列順に掲載した。
それぞれ、ネットから、原稿そのまま、誌面から、とまちまちで読みにくいかもしれない。あさつゆは福島で発行されているミニコミ。他の人たちの追悼ののことばも載っている。探したがみつからな。みつかったら掲載の予定。

2018年5月16日水曜日

紹介~「南京事件」のビデオ



以下、埼玉の脱原発MLに流れてきました。
貴重な情報です。


  名古屋市長が繰り返し「南京事件はなかった」と発言し、

  安倍首相が日本の「侵略」を認めず、「村山談話」、

  「河野談話」を否定しようとしている今日、

  NNNドキュメント「南京事件?〜歴史修正を検証せよ」は、

  日本軍の行なった筆舌に尽くせない中国人殺りくの

  歴史的事実の一端を雄弁に告発しています。

  見逃された方は以下のリンクから映像がご覧になれます。

                           
                          敬具。

  みなさま
 以下、NNNドキュメント「南京事件?〜歴史修正を検証せよ」

  (2018.5.13(金)深夜)。たいへん見応えがある力作でした。 

  加害行為を認めた陣中日記(第1次史料)と兵士たちの証言(映像・肉声)

  から、捕虜虐殺(銃殺)をCGで再構成しています(老人・子ども含む)。

  また、南京事件を否定する歴史修正主義をルーツに遡って実証的に検証し、

  とくに「自衛発砲説」を軍の責任者による戦後につくられた責任逃れの弁明

  であることを明確に立証しています。 

   http://www.dailymotion.com/video/x6jhn9a 

 この事実から逃れるとはできないと改めて思いました。

  未見の方は早めにご覧下さい(消されるかもしれないので)。 

  *************** 

  かつて日本が行った日中戦争や太平洋戦争。

  残された兵士のインタビューや一次資料を分析、

  さらに再現CGで知られる事のなかった戦場の全貌に迫る。

  政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた。
  
  消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす。

   http://www.ntv.co.jp/document/ 

 BS日テレやCS「日テレNEWS24」で再放送されるようです。制作:日本テレビ
 
  再放送: 5月20日(日)11:00~ BS日テレ

  5月20日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」








2017年12月31日日曜日

テレビの話題

◆やっぱりというか、だそう。

以下、niftyニュースから;
https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12144-317910/
「ウーマンラッシュアワー村本大輔が年末年始の番組に「まったく呼ばれてない」と投稿」

「話題にしてるのは忖度しない新聞社、SNS、他局のモーニングショーのみ。あとはスルー。あの程度のネタすら出来ないのが地上波ということを今回、可視化した。これがおれがやりたかったもうひとつの目的」
とツイートした。

先に紹介したユーチュブは翌日すぐに削除されていた。
でも、またすぐに以下でアップ。
まだ、観ることができる。
https://www.dailymotion.com/video/x6buwq3


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆「母たちの祈り=フクシマとチェルノブイリ
再放送が決定!
1月14日(日)NHKBS1 午前0時00分~ 午前0時50分
福島に暮らす3組の親子がベラルーシを訪れた。事故から6年、当時の自分の判断を今も後悔したり、周囲から孤立して心を閉ざしたりしていた福島の母たち。しかし、チェルノブイリ原発事故を経験したベラルーシの母たちと交流する中で変化していった。同じ痛みを抱えてきた母親どうしの語らいや、自分たちの未来とも重なる被災地への訪問。それぞれが、自分なりの向き合い方を見つけていく。



2017年12月18日月曜日

ウーマンラッシュアワー12月17日THE MANZAI 2017

1年振りの投稿。
すごい漫才、話題沸騰中と聞いた。で、見てみた。おもしろい。


2016年12月14日水曜日

石井竜也さんのコンセプチュアル・コンサート2016「GROUND ANGEL 〜FAITH〜」

facebbookに投稿したコメントより
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
10月の終わりの土曜日、新宿西口スタンディング
http://seiko-jiro.net/modules/bulletin/index.php…
で広河隆一撮影のチェルノブイリ救援カレンダーと文京シビック展示室で始まる予定の沖縄・球美の里4周年イベントチラシを掲げて立っていました。
通りがかりの2人連れの女性が近寄ってきて、
あ、石井さんが応援している施設ですね。
ありがとうございます。
とお礼を言われたのです。
高江のこと、川内原発のこと、福島の放射能のこと、反戦のこと、思い思いのポスターなどを持って意思表示をする場です。
忙しく歩いている人たちに混じって、足を留めてくれる人がいたら、それだけでうれしいのですが、声までかけてもらった上に、ありがとうとお礼を言われたので、その日はすっかり気分がよくなったのでした。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^




石井さんのコンサートに参加したのは2度目ですが、すてきなコンサートです。
満員の人見講堂のファンの空気がとてもあたたかい。

歌にもMCにも共感の空気が漂います。
球美の里に支援しますと話されたとき、ひときわ大きな拍手が起こり、感動しました。

==========以下は球美の里スタッフが投降したFBより===========
https://www.facebook.com/kuminosato.net/
【御礼】
石井竜也さんのコンセプチュアル・コンサート2016「GROUND ANGEL 〜FAITH〜」。
http://www.t-stone.com/concert/ 
今年末も例年どおり、収益の一部を沖縄・球美の里で保養する子どもたちのために寄付していただくことに。
「GROUND ANGEL」とは、2001年のアメリカ同時多発テロにショックを受けた石井さんが「GROUND ZERO」に対し、「天使が舞い降りる地」=「GROUND ANGEL」と位置づけ、年に一度でも少しの時間でも、みんなでいま起きている様々なことをまず考えてみることから始めよう、という目的のもと、2002年より毎年行われている平和記念活動です。
会場では石井さんのご厚意により球美の里のパンフレット等資料が来場者の方々へ配布され、球美の里への募金箱も設置されていました。開演前、募金箱の横にいたスタッフに、観客のお一人の女性がズッシリと重い物を手渡されました。「この日のために貯金箱に小銭を貯めてきたので子どもたちのために使ってください」とのこと。スタッフにとっては特別な重みのある貯金箱。感激とともに有難くお預かりしました。
石井さんのライブは終始、一曲一曲に平和を願うメッセージが込められていました。ステージ上には平和への想いを形にした石井さんのアートオブジェが置かれ、スクリーンには、球美の里の名誉理事長でフォトジャーナリストの広河隆一の写真も多く映し出されていました。
歌の合間のトークでも石井さんは、東日本大震災のことや球美の里のこと、その他、昨今の政治の話にも触れられ、「国内外、世の中で起きている様々なことに向き合って、平和な世界をつくろう」「たとえ、ものが言えない暗い時代になっても愛や希望を歌おう」という強いメッセージを発信されていました。
石井さん、スタッフの皆さん、来場者の皆さん、あたたかく継続的なサポートに心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

2016年9月27日火曜日

母の死 その1

9月14日に病院にて、肺炎のため死亡。94歳だった。

4月11日に施設から我が家に戻ってきて数か月。2月ごろから、もう、もたないか?と思うことがしばしば。最期は家で看取ろうと決心しての帰宅だったから、頑張った(2人とも?)とも言えよう。

残念ながら畳の上ではなかったが、最期病院にかけつけたとき、小さくなっていた息がだんだんに遠のき安らかに眠った。

病院に行ってもほとんど寝ている状態が多かったから、手を握って帰るだけの毎日だった。病院はクーラーが効いていて、とても寒かった。手足が氷のように冷たく、看護師さんに訴えても、あ、さっき、ふとんの外に手が出ていたからね、と、取り合わない人がほとんど。一人だけ、あっためるのを持ってきてくれた人がいた。
しょうがないから、靴下をはかせ、いっている間中、手をさすっていた。

認知症が昨年ぐらいからどんどん進み、靴を脱がないでベッドに入るのが常となったり、私のこともわかっていたのかどうか疑わしくなっていた。

2月下旬、海外にいる娘一家が一時帰国のとき、母に会いにきたた。ひ孫2人が一緒。下の子が「おばあちゃん、こんにちは」とよくとおる声であいさつしたら、「こんにちは」とはっきりした声で返したのには私も娘夫婦もびっくり。ほとんど会話もなくなっていたから。

持っていったバナナをひ孫たちとおいしそうに食べた。


耳は認知症になりかけのころから聞きにくくなっていて、耳元に口をつけて話をしなければ聞こえない。だから、施設内で音楽会や映画会があっても楽しめないからめったに参加しない。
ほとんど寝る生活だった。
とにかく「寝る!」という言葉は常に発していた。
困らせようと思うときには「死む!」とよく言っていた。
死ぬではなく死むなのだ。
死むのほうがなんだか力強い。
昔から母は使っていたから方言の一種かなと思っていたが、
最近の子どもはなんで死ぬではなく死む、というのでしょう、という投稿がどこかにあったから、知らない人は知らないんだな、と思った。

ともあれ、よく寝ている割には昔培ったたまものか、足は丈夫だった。
それも2月ごろから歩くのがだんだんおぼつかなくなっていた。

4月に引き取って以来、ようやく母について書くことができた。
娘は母が家に来たことも、入院したこともしらなかった。

写真は5月。このころは抱きかかえて一緒にベッドからテーブルまで歩くことができた。
テーブルの上に両手を置いてあげると結構長い間ついていることができた。
きょうはここまで。




2016年7月31日日曜日

浴衣を集めて思うこと

さてさて、前回の更新が4月9日でそれから、ずいぶん間をあけたものだ。
更新直後の11日に母を引き取り丸丸3か月が経った。
介護生活にもようやく慣れ、日常に戻ったということかもしれない。
母のことは次に書くとして、今日は浴衣のことを書きたい。

ドルトムント独日協会というところが、福島の子どもたちの保養費用を集めて多額の支援金を沖縄・球美の里に送っている。私が世話人をしている未来の福島こども基金も球美の里を支援している。というか、球美の里の運営にも私自身関わっている。
夏は3回、冬が2回、春が1回、学童だけの保養を沖縄・球美の里で行なっているが(それ以外は就学前の子どもと母親の保養)、昨年の夏の保養2回分(約1000万円)、春の保養1回分(約500万円)をすでに寄付してもらっている。★今年の夏の保養もすでに2回分の支援が決定しており、1回目61次の保養は終了。現在ほかの募金からの支援で62次保養が始まった。ドルトムント独日協会からの今年2回目の保養は18日から始まる。昨年、今年と合計すると大変大きな額である。そのドイツでは難民問題など、急を要する問題が山積み。福島への募金も減少傾向にあるそうだ。
それで少しでも寄付金集めの足しにと日本の浴衣人気に目をつけ、バザーで売っているとのこと。そろそろ手持ちが底をつきそうなので、集めてほしいとの依頼がドルトムント独日協会よりあった。
日本国内はもしかして、ドイツよりさらに福島への関心が薄れている感もあり、私たちとしては、全面的に協力しなければならない。

主題はここから。
未来の福島こども基金では、ニュースレター12号に掲載し、下のようなチラシを同封した。
今週の月曜日25日にメール便で1500人のみなさまに送付した。
28日から荷物が毎日届いている。何らかの反響はあるだろうと予想はしていたが……。
25日に送ったゆうメールは早ければ翌日。通常27日着と見ていいと思う。
仮に26日にニュースレターが届いたとして、その日のうちに読んで翌日に出さないと28日にこちらには届かない。
これはネット以上の速さではないだろうか?

未来の福島こども基金のホームページやfacebook、個人のFBでも告知したのは約1か月前。
訪問者数はそう多くないのは事実だが、いわゆるSNSは使った。
しかし、1件も問い合わせがないし、浴衣も送られてこなかった。

実は未来の福島こども基金で支援している沖縄・球美の里では、クラウドファンディングプロジェクトを始めた。

開始5日以内に50%達成しないと成立が難しいそうだ。
そのため、開始前から念には念を入れた準備を行い、開始直前に知人たちに告知してそれは始まったのだが……。なんとかそれは達成できそうではあるが……。

話を戻すと、ニュースレターを送った後、未来の福島こども基金には、浴衣についての問い合わせは1件もない。
ただ、送られて来るのみ。
28日3件。29日1件。30日2件。31日1件。
パソコンを見る人、見ない人、それぞれに立場が違うのだ、と思わざるを得ない。そして案外パソコンを見ない人は多いのではないだろうか。

ニュース12号は昨年度の収支報告を掲載している。
ご寄付者との間に信頼関係があるからこその浴衣寄付なのだと改めて、感じている今日このごろである。

(★今年の夏休み保養、今、真っ最中であるが、そちらの保養費も支援してもらっているので、修正した~8/4記)




2016年4月9日土曜日

今年の桜

4月1日に久米島から子どもたちと一緒に帰ってきた。
ちょうど桜の真っ盛り。ラッキーだった。
本州出身で現在久米島在住の友人の話では、長い間、ソメイヨシノは見たことがないと。
そう言えば、花がいつも咲いている沖縄では桜はあまり見かけない。
沖縄に多いのはヒガンザクラで濃いピンク。ソメイヨシノとはまるで違う。

母の状態があまりよくないので、1日おきぐらいに通っている。
晴れていたら土手を自転車で約15分、その後、一般道を15分、たっぷり自転車で30分はかかる道のりである。

桜を何回も見ることができた。

柳瀬川の土手の桜と新河岸川の写真も1枚。

母にもと、施設の近くで花見をしたが、まったく見ていなかった。

認知度の低下が著しい。
月曜日には母を引き取ることになっている。ベッドも、車いすもレンタルした。準備万端だがどうなることやら。ま、家族やご近所の人もいるので、何とかなるだろう(-。-)y-゜゜゜







2016年3月1日火曜日

子どもたちの未来について考えてみませんか?>パルシステム東京昭島委員会

前回の投稿からちょうど1か月目。
早、3月。
今日は、パルシステム東京昭島委員会というところで、チェルノブイリの保養をチェルノブイリ子ども基金の佐々木さんが、福島の子ども保養を私が話をする会があった。
昨年より、パルシステム東京さんの各地域の委員会に呼ばれること数回。

ここ半年で目黒、等々力、墨田、昭島と多方面の地域において、学習会を開いてくれた。
どこもパルシステム東京の食材の試食も兼ねて、お茶つき。

どこもこじんまりとした会ながら、真剣に聞いてくれた。
長いこと、5年ぶりに昭島の友人に連絡をとり、急だね、と言いながら友人も参加してくれた。

中神という青梅線の駅前のカフェで友人と3人で昼食をとり、旧交を温めることができた。

帰りは母の施設に直行して、おやつを食べさせた。

最近は昼食、夕食、おやつの時間、私の行ける時間にできるだけ行くようにしている。毎日とはいかないが、大体2日か3日おきには行っている。

先々週、娘一家が一時帰国して、孫(母にとってはひ孫)も一緒に母のところに行ってきた。ほとんど会話もないのだが、3歳の孫が「こんにちは!」と元気に言ったら、なんと「こんにちは!」と返事を返したのだ。

おそるべき子どもの力である。

そして、持参したバナナを3本を孫2人と母と、おいいしそうに食べた。大きなバナナだったが完食。その日以降、なんとなく元気になってきた。

今日は施設の近くのコンビニでバナナを買おうとしたら、売り切れだった。
悩んだ末に、サツマイモ入りの蒸しパンを購入。
そして、パルシステムの委員会でいただいた試食品の魚肉ソーセージ、どちらも食べた。昔からの味だと間違いない。お茶も飲んで、今日のおやつの時間は大成功!



2016年2月1日月曜日

最近の母

2016年も開けたと思ったら、もう1月も末。
毎日毎日バタバタと時は過ぎていく。

母は12月ごろから食欲が落ち、痩せてきた。

昨年の春ごろも食欲がなく、もう年だからしょうがないなと覚悟していたところ、また食べだして元気になっていた。

今はなるべく通って母に食事をさせている。

行っても、寒い、暑い、痛い(極度の痛がり)、寝る、、、、
ぐらいしか言わない。
食べたくないときは首を振る。

痛がりということも理由に、インフルエンザの注射は毎年パスさせてもらっているが、インフルエンザにかかったことはない。

今年の新年は、埼玉に来る予定がなかった姉一家だが、母の衰弱が激しいので、と言ったところ、来ることになった。

24日の日曜日、たまたま姉の娘一家が埼玉のアウトレットモールまで新潟から買い物に来る(!?)ということでその車に大人4人、小学生2人の計6人が乗り、やってきた。

母に食べさせるため、柔らかいものを、と、大根と里芋を煮ておいたのを、母のところに行く前にお茶と共に出したところ、食べるわ食べるわ・・・
ついでにご近所からいただいた、ポンカン、ザボン、久米島の友からいただいたドラゴンフルーツも。

私と夫の生活ではご飯が余った、焚き過ぎだ、とケンカになるのだが、見事なまでの食いっぷり。食べ盛りとはこんなものか、とはるか昔を思いやった。

とにかく、それら全部平らげて、母のところに出発!

母の状態によっては外に連れ出すのは無理かと思ったが、案外落ち着いていたので和風のファミレスまで一緒に。

こちらも案外食べた。途中、何回か席を立とうとしたのをごまかしごまかし、3分の1ぐらいは食べた。上出来だ。

その2日後、施設に行ったら、なんとスプーンを持ってご飯を食べていた。
最近ではお昼に行っても、寝ているときが多い。
食べさせなければならない人が何人もいるので、スタッフは大変、順番だ。
だから、私が行ってから起こして移動させ、それから食べさせる。

途中立ってベッドに行ってしまうことも多し。
でも、大丈夫、今のベッドは電動だから簡単に起こせる。
起こした姿勢で、ベッドで続きを食べさせる。


やはり、食べるとエネルギーが出て、自分でも食べようという気分になるのだろうか?
この調子でもう少し、食べてほしいものだ。

しかし、どっちも髪が真っ白だから、母のところでみんなと一緒のテーブルで食事をさせていると私が入所者のようで、まったく違和感がない(^_-)-☆
実際に母のご飯を6:4ぐらいで私の方が食べていたりする。
残すのはもったいないからね。

写真は和食レストランで。